第23話ホームシック
「ちょちょちょ! ちょっと待て! おっ、お礼って何を――!?」
「うふふ、とぼけちゃってぇ。バンジさん、いくらなんでも成人した女がこんな格好でいるのにその一言は酷じゃないんですかぁ?」
くりくり、と、裾から覗いたへその辺りを人差し指でなぞられて、ゾクッ、と俺の背筋に悪寒が走った。
途端に、はぁぁ、という熱っぽい吐息が俺のへそに吹きかけられ、更に悪寒が強まった。
「ねぇバンジさん、この村にはそういう若い男の人が集まる場所も、年頃の若い女の人も多くないんですよ」
「んな、ななな……!」
「私、そういうことには、その、職業柄あんまり詳しくはないんですけれど……疲れてたりすると……男の人って、ここが辛いんですよね?」
すすす、と、リーシャの細くて白い人差し指が腹の上を下の方に向かって移動して、俺はすんでのところで声を上げそうになった。
その俺の苦悶の表情を何故なのか嬉しそうに聞きながら、リーシャがとうとう全身を俺の上にずり上げ、俺の腰の辺りに跨ってきた。
「……あの、私みたいな骨と皮だけの虚弱女、バンジさんの好みではないかもですけれど……若いだけは、若いつもりでいますので……その、今日は思う存分に私を慰みものにしていただければ……」
「なぁーにを突然ワケわかんないこと言ってんだあんた!? とっ、とりあえず服を着ろ! お礼をするにしても展開が急すぎて興奮するどころか怖いっていうか……!!」
とは言っても。
ヤ、ヤバい、このままだととても抗いきれない――! という危機感も、俺は確かに感じていた。
それにこの人、虚弱な体質とは裏腹に、身体つきは途轍もなく女性的でしなやかでふくよかだ。他の人の例を直に見たことがないからよくわからんが。
それになまじ虚弱な体質であるためか、平時から血管の色が浮き出ているぐらいの病的に白い肌は、今はまるでそれ自体が発熱しているかのように全身薄紅色で――。
その薄紅色の肌から、単なる匂いとは違う、フェロモンとしか言いようがない、動物的なメスの色香が暴力的なまでに振りまかれている。
どうしよう……俺は回らない頭で考えた。
やめろっ! と一声叫んで蹴りつけたりしようものなら、おそらく虚弱極まるこの人は全身の関節がバラバラになって死んでしまうだろう。
かといってこのまま成り行きに身を任せてGo to heavenということになっても、それはそれでこの人は心臓発作か何かで死んでしまいそうだ。
村人一人救ったその晩、人一人を腹上死に追い込み、二重の意味でイカせてしまったら――などという下ネタな懸念が頭をぐるぐると巡っていた俺が、とにかく焦りまくっていた、その時。
ふと――ぐすっ、という湿った音が聞こえ、俺ははっとした。
「あ、あれ? ごっ、ごめんなさいバンジさん、すみません……!」
ぐすっ、ぐす……という音は、昼間に聞いた、まさにあの洟音。
それを聞いた途端、なんだ、またか? と俺はさっきまでの興奮が急速にしぼんだような気がした。
この人――慣れないことをやったせいで、また鼻血が出たらしいのだ。
ホラいわんこっちゃない、そんな虚弱な身体で逆レイプとかしようとするから……などと呆れていた俺は。
不意に――ぴちゃ、という感じでリーシャの頬から滴った透明な液体に、はっと息を呑んだ。
「え? り、リーシャ……?」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさいバンジさん、すみません、すぐに、すぐに止めますから……!」
「あ――も、もういい、もういいってお礼なんて。それにそんな泣いてる人にそんなことしてもらわなくってもいいからさ……」
俺が上半身を起こし、全裸のリーシャに頭から毛布をかけてやると、リーシャは毛布を目線の高さまで両手で引っ張り、隠れるように嗚咽し始めた。
なんだかよくわからないけれど――リーシャはリーシャで、この状況に張り詰めていたものが切れたのだろう。
俺がそんな事を考えながらベッドに腰掛け、リーシャが落ち着くのを待っていると――ふと、リーシャが口を開いた。
「あの……バンジさん、聞いて……くれますか?」
「え――な、何だ?」
「今日の昼――私がゴライアス・ベアと出くわしていたの、あれは実は……偶然、とかじゃなくて、私、あのとき生贄に……人柱になりに行ってたんです」
生贄、人柱――その物々しい言葉に、俺は息を呑んでリーシャを見た。
ひっぐひっぐと、命が助かった安堵というよりも、今更ながらに死が怖かったとでもいうように、リーシャは細い腕で己の全身を抱き締めた。
「今まで私、聖女として……何人の村人を神の御下に送ったかわかりません……私、もうどうすればいいのかわからなくて……。でも聖女として、責任を取らなきゃって、もしかして聖女である私自身が魔獣に身を捧げたら、この村が救われるんじゃないかって、何日も何日も思い詰めて……」
俺は愕然と、その独白を聞いていた。
ゴライアス・ベアに襲われかけていたリーシャ。あれは決して偶然の邂逅ではなく、リーシャが己が命を魔獣に差し出そうとした結果だった?
俺が何も言えずにいると、リーシャの嗚咽が一層大きくなった。
「でも、今、今の私、安心しちゃってるんです……。助かってよかった、って、まだ生きていいって、バンジさんやアズマネさんに言われて、安心して、嬉しくなって……! でもそう思うたびに、今まで助けられなかった村のみんなの顔が、苦しむ顔が思い浮かんで……!」
わあああっ、と、リーシャは遂にベッドに突っ伏して泣き喚き始めた。
「私、私――! 聖女なんかじゃない、ただの、ただの卑怯で狡くて自分勝手な人間だった……! 自分だけ助かって安心してる、今まで何もできずに何人も何人も見殺しにしてきたのに! 私だけ、聖女である私一人だけが助かったのに……!」
ぶるぶると身体を震わせながらのリーシャの嗚咽は、ますます激しさを増した。
「こんなの、こんなの……あまりにも都合がよすぎます! 私、死んじゃった村のみんなにどう言い訳すればいいの!? 私、だんだん何もわからなくなって、とりあえず、とりあえず自分が傷つかなきゃって、自分を虐めれば言い訳になるんじゃないかって、そんな、そんなわけがわからないことばっかり考えて……!!」
だから――少しでもこういう形で罪滅ぼしをしようとした、か。
今しがたまでのリーシャの突拍子もない行動が、実はかなりの覚悟の上の行動だったことを僅かでも思い知って、俺はどうしようもない同情の念に駆られるしかなかった。
この嗚咽の限りに泣き叫んだ後、悲しみと絶望とで死んでしまうのではないかと思わせる程に、リーシャの嗚咽は悲痛で、長く長く続いた。
俺は何も言えず、毛布にくるまったリーシャの肩の辺りに手を乗せてさすった。
少しでも、少しでもこの人の後悔と嘆きとが、俺の手の熱で解れるように。
撫で続けると、少しずつ、少しずつではあるけれど、リーシャの嗚咽も弱まっていった。
まだ呼吸は荒いけれど――ようやく上半身を起こしたリーシャの涙に濡れた目が、表情が、明らかに俺に何かを求めていた。
けれど――今は絶対、その時じゃない。それは俺にだってわかった。
代わりに、俺はリーシャの細い細い身体を、毛布ごと抱き締めてやった。
そういえば昔、これも爺ちゃんが言っていた。
雪崩に巻き込まれたりして、極度に体温が低下した人間は、人肌で温めるのが一番だと。
もし低体温症で死にかけている人がいたなら、すぐさま自分も服を脱ぎ、可能な限り肌を密着させ、己の体温で死の淵から救ってやるのがマタギの極意であると。
今はまだ、素肌で触れ合えるほど、俺たちはお互いを知ってはいないけれど。
悲しみと絶望に凝り固まっていたこの人の心の氷が、少しでも溶けるように――。
俺はありったけの願いと祈りとを込めて、リーシャの身体を抱き締めた。
「リーシャよ、黙って聞げな?」
「はい」
「
「……はい」
「リーシャは今、うんと悲しいんだど思う。
……どうにも俺は、本心からの言葉を話す時、慣れ親しんだ秋田弁が出てしまうようだ。
聞けば歯の浮くような内容の言葉を、こんな冴えないズーズー弁で……。
思えば噴飯ものだったけれど、このときばかりは何故か、俺は他人からの借り物の言葉で喋ってはいけないのだという、妙な義務感があったのだ。
「でも、そいづは違うべしゃ、な? 人間はさ、動物はさ、誰だって何かの命ば喰らって生ぎでるんだがらの。昼間、俺が
俺はそこでリーシャの細い身体から身体を離し、涙に濁ったその琥珀色の瞳を覗き込み、よくよく言い聞かせた。
「んだがらしゃ、リーシャ。お前さんは簡単に死んだらわがんね、わがんねんだぞ。あんだが助けられながった人の分まで、お前さんが生ぎねばや。殺してその肉を喰らって、その獣の分まで生ぎる、助けられなかった人の分まで、自分が生ぎる――それが命に感謝するってことなんでねぇが? 少なぐっとも、俺は俺の爺ちゃんがらそう教わったぞ」
そう、いざとなったら、大自然は人間のちっぽけな命乞いなど聞いてはくれはしない。
雪崩でも、滑落でも、遭難でも、飢饉でも疫病でも寒さでも、山は簡単に人の命を奪う。
だから――俺の爺ちゃんは生きた。
殺してきた獣たちの分まで。
生きられなかった人の分まで。
そんな北の辛く厳しい大自然に抗い続けて、文句も言わず、誰よりも誠実な人生を生きた。
だったら――その血やDNAを受け継いだ俺だって、やることは一緒なはずだ。
俺の言葉に、絶望と後悔とに暮れていたリーシャの目に、何らかの光が灯ったのが――俺には見えた気がした。
俺は更に言い聞かせた。
「それでも納得でぎねぇっつうんだば――思い切って聞げ、山の神様さよ。もう少し生ぎでいいですか、ってさ。そうせば心配ねぇ、山の神様はきっと答えてくれるべさ。お前さんに山の神様の声が聞こえないっつうんだば、マタギである俺が、ちゃんとお前さんを神様の声が聞こえるところまで連れでってやる。だがら――今はすったに泣ぐもんでねぇ、な?」
俺がその言葉と同時に背中を擦ってやると、ぐすっ、と、今度は嗚咽ではなく、洟を啜るような音がして、そっと、リーシャが俺の肩に顎先を乗せてきた。
うおおっ……!? と俺が身構えると、涙にまだ震えている声で、けれども確実になにか元気が出たようなリーシャの声が、耳元に聞こえた。
「ねぇ、バンジさん」
「何だや?」
「バンジさんの故郷って――なんていうところなんですか?」
「ああ――秋田、っていう国だ。こっから多分、ずっとずっとずうっと――東の果ての、山の中なんだべな」
俺は意外なタイミングで回ってきたお国自慢の機会に、多少気をよくして答えた。
「色々と事情があって、もう帰られねぇと思うけどしゃ――いいところだぜ。山は綺麗だし、食うものも酒コも美味ぇべし、
そう、そこに生きる女の人たちの美しきことは、まさにこの人のようで――。
そう思ったその途端、俺の目にも何故か涙が噴き出てきて、今度は俺の方が慌てた。
もう、二度と帰ることが叶わないだろう俺の故郷。
今頃、雪解けを迎えているだろう、あの山々の美しさを。
今頃、辛く長い冬を乗り越え、春を謳歌しているだろう、あの草花の強さを。
その雄大な山懐に抱かれた、切ないほどに小さな人の営みを思い出してしまった俺も――実はかなり、ホームシックに陥っていたようだ。
思わず俺は、慰めるつもりだったリーシャの肩に鼻先を埋め、ぐずぐずと泣いてしまっていた。
これ以上、その夜のことは、いくら俺でも書くまい。
秋田県民は誰でも
ただひとつ、言えることは――俺とリーシャはその後、そのまま抱き合った姿勢のまま、朝まで泣き疲れて寝てしまったということだけだ。
◆
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異世界マタギ ~魔獣肉でジビエ料理作ってスローライフをしたいだけなのに周りが放っておいてくれない件。可哀想だから魔獣を殺すな? お前んところに魔獣送るぞ~ 佐々木鏡石@角川スニーカー文庫より発売中 @Kyouseki_Sasaki
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