第16話出張料理人
「ここがこの村の教会です、バンジさん。主に信仰の場所ではありますが、無医村であるこの村では簡易的な診療所も兼ねています」
「あ、ああ、なるほど」
「今、この中に収容されているのは一人――レオンさんという冒険者さんです」
木製の教会の廊下を歩きながら、リーシャは素早く説明した。
「レオンさんは一週間前、村の外でバンジさんが倒したあのゴライアス・ベアに襲われかけていた村人を守るため、やむなく一頭を討ち取った。けれど魔獣を殺したことで唯一神デミュアスのお怒りを買い、その身は呪いに蝕まれました」
参った。あの魔獣とかいう獣は、抵抗しなければ喰われ、抵抗すれば呪いによって殺される。出くわした時点でゲームオーバー確定ということか。
無茶苦茶としか思えない話だったが、それ故にその呪いとやらがこの世界の人間にとって如何に深刻な問題であるかも、同時にわかってしまった。
俺が無言でいると、リーシャが少しだけ表情を曇らせた。
「レオンさんは……よい方です。この村には縁もゆかりもない流浪の身であったのに、この村を気に入ってくださっただけではなく、何とか魔獣たちの矛先をこの村から逸らそうとたった一人で奮闘してくださっていた。ああ、本当に……唯一神デミュアスは何故あのような方にも裁きをお与えになったのか……」
リーシャの声は、確実に迷っていた。
本当に唯一神の裁きとやらが公平であり、納得できるものなのか、迷っている。
まぁ、この世界にとっては部外者でしかない俺には間違った教えとしか思えないのだけれど――この世界の人間なら、葛藤して当然だろう。
それきり口を閉じ、黙々と歩いた俺たちは――ある部屋の前で立ち止まった。
「ここが、病室です。あまり大きな声を出されると患者さんの体調に障ります。どうかバンジさん、驚かれませんよう――」
その言葉とともに、リーシャがドアを開け、中に入った。
中には数個のベッドがあって、その中のひとつに――信じられないものが横たわっていた。
「レオンさん、お体はどうですか?」
その言葉とともに、苦しげな息遣いでベッドに寝ていた人物が目を開けた。
「う……リーシャ、か?」
「はい、レオンさん、私です。レオンさん、突然ですがお見舞いのお客さんを連れてきました」
「え、見舞い……? 私にか?」
「ええ、そうです……バンジさん、どうぞ」
促されておずおずと進み出た俺は――ベッドの上に寝かされていた人物を見て、はっ、と浅く息を漏らした。
女――? レオン、という名前の響きからてっきり男だと思っていたけれど。
ベッドに寝かされていたのは、これぞ異世界人のそれと言えるような、燃えるような赤髪の女性だった。
顔立ちそのものは目鼻立ちのくっきりとした美人だが、顔に複数走った古い傷跡は、如何にも冒険者という肩書きを納得させるもの。
浅黒い肌と、色気というよりは迫力を感じさせる引き締まった肉体は、どう見ても筋トレなどで身につけたものではない、実践的な力の気配を感じさせはしたものの。
だが――その第一印象を圧倒するものが、目の前にある。
なんだ、これは。
俺は心の底からゾッとする思いで、ベッドに寝かされた女を見た。
黒い――赤黒い痣が、レオンという女の全身に、べったりと貼り付いている。
その赤黒い痣だけで既に正視に耐えない有り様なのに――あろうことか、その赤黒い痣が、まるで鼓動するかのように、ドクドクと蠢いている。
それは痣というよりも、何か別の寄生生物がべっとりと女の全身に貼り付いているかのようで、俺は酸っぱいものが食道を駆け上がってくる感覚を必死になって堪えねばならなかった。
「驚かれました、よね――これが、これが唯一神デミュアスの裁き、魔獣の呪いです」
俺が自己紹介も出来ずに絶句していると――隣で唇を噛み締めていたリーシャが、意を決したように口を開いた。
「この痣は病ではありません。いや、病であるのか、それとも魔法であるのか、それさえ我々人間にはわからない、と言ったほうがいい。いずれこの痣が全身に広がり、内臓を侵せば――その患者さんは助かりません」
「あはは、悪いな客人、気色悪いもの見せちまってよ――」
レオンが力なく笑ったが、直後に顔をしかめ、うう、とうめき声を上げた。
どうやら、この痣はそれが貼り付いた人間に壮絶な苦痛を与えるものであるらしい。
俺もリーシャも何も言えずにいると、ふむ、と声を上げたのはアズマネ様だ。
「あ、アズマネさん……?」
アズマネ様は赤黒い痣に侵されたレオンの右手を取ってしげしげと見つめた後――ちっ、と、実に憎らしげに舌打ちした。
「……ふん、こんなものを流行らせてまでこの世界の神は人の信仰を欲したのか。娘」
「は、はい?」
「今ここでその唯一神デミュアスとかいう痴れ者への信仰は捨てよ。それだけではない。その名を口汚く罵れ、唾を吐きかけよ、糞と小便とをぶっかけてやれ」
「あ、アズマネ様――!?」
その荒々しい口調には、俺の方が驚いた。
本当に忌まわしいものを見た、という表情で、アズマネ様は呪いの言葉を吐いた。
「こんなことをし腐りおって、神であるものの風上にも置けぬわ。よいか、神であるものならば、時たま思うことあって人の子らに神罰を降すこともあろう。だが覚えおけ、恐怖と苦痛で人の子らを脅迫し、己への信仰を強要することは――紛れもなく悪魔のやり口であるとな」
悪魔。その言葉には、俺も同意せざるを得なかった。
こんなやり方で、しかもこんな形で人に罰を降す存在なんて、神の罰であるどころか、悪魔の所業としか思えない。
俺も無言で少女を見下ろし、アズマネ様の言葉を追認したつもりになっていると、ハァ、とリーシャが溜息を吐いた。
「やはり――間違っています、よね? こんなことは。とても神様がやることとは、私にも思えません――」
リーシャのその言葉に、俺は息を呑んだ。
「バンジさん、アズマネさん」
「な、なんだ?」
「あなた方はこの国に馴染みがないと思うので改めて自己紹介いたしますが、私はリーシャ・ロナガン。数年前、聖都からこのブルナ村に派遣されてきた聖女です」
「せ、聖女ってさっきも言われてたが、なんなんだそれって?」
「一言で言えば、唯一神デミュアスの神託を広め、守るための存在です。ええっと――巫女のようなもの、と言ったら通じますかね?」
俺が頷くと、リーシャは随分迷ったような表情の後、続けた。
「聖女は唯一神デミュアスに選ばれた存在――幼くして魔力と呼ばれる力を持つ存在であり、癒やしの魔法で人々を癒やし、平和へと導く存在です。私も最初はその使命を信じ、聖女として必死に修行した。聖女に選ばれることはとても名誉なことですから。でも――」
リーシャはそこで唇を噛んだ。
「派遣先であるこのブルナ村の人々の苦しみは想像を絶していました。魔獣に怯え、やむなく抵抗すれば呪いに身を蝕まれ、誰も彼も苦しみ抜いて死んでゆく。村人の多くはこの状況に耐えかね、行く宛もないのに故郷を捨てて逃げ出す始末――このままでは、この村は遠からず全滅してしまいます」
ああなるほど、俺が今朝まで寝泊まりしていた小屋は、そういうことだったのか。
俺が今更ながらに納得していると、リーシャが顔を上げた。
「ねぇ、バンジさん、アズマネさん」
「な、何だ?」
「率直に言って、これが本当に慈愛ある神の思し召すことなのでしょうか? この村の人々の困苦を神がお与えになった試練だなんだと嘯いて、言いくるめて、緩やかに死に向かわせる――それが私の憧れた聖女の務めなのでしょうか?」
私にはとてもそうは思えません、とリーシャは力なく言った。
「こんなこと、聖女である私が言うべきことじゃないことはわかっています。そう思うこと自体が神の意に反しているのもわかっている。でも――アズマネさんの言葉で確信しました」
ぎゅっ、と、リーシャは握った拳を震わせた。
「私はもう、これ以上自分に嘘はつけない。やっぱり私にも、こんなことは悪魔のやり口にしか思えません――!」
もう我慢がならない、というように、リーシャははっきりと、己が信じていた神を呪う言葉を発した。
レオンも、俺も、その言葉の強さに少し戸惑ったが、その一言を口にすることで決意を固めたかのように、リーシャは迷いが消えた表情で俺を見た。
「バンジさん、私、レオンさんを助けたい、助けなければならないと、そう思います。そしてバンジさんが言う通りにすれば、この悪魔の呪いに打ち勝てるかも知れない……そうですよね?」
「ああ、その可能性は高い。俺が生き証人だ」
俺が頷くと、リーシャの琥珀色の瞳が決意の色を浮かべた。
「なら、やってみましょう。私は神の、唯一神デミュアスの裁きに抗います。抗ってでも――私はこの人を、この村のみんなを助けたいんです」
「わかった、そう言ってくれて俺も嬉しいよ。――だけど少し時間をくれ、あのゴライアス・ベアの肉を病人に生のまま食わせるようなことはしたくないからな」
「え――?」
俺の言葉に、リーシャが不思議そうな表情を浮かべる。
俺は腰に帯びたナガサを引き抜き、指先で水平にクルリと回してみせた。
何のことはない。ジビエの修行中、世話になったマスターがよくやっていた小技である。
目を丸くしたリーシャに、俺は秋田弁で、とっておきの強がりを言ってみせた。
「出張料理人、西根バンジ――ゴライアス・ベア解体ショーの始まりだ」
◆
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