第17話 古き赤の民
赤の国。
新しきと古きが混じる国。
古くからある国でありながら、その歴史は常に変動とともにある。
イデル殿が部屋を出るのを見届けてから、おそるおそる息を吐いた。どくどくと、血の巡りに合わせたように頭が痛みだす。……ほんとにそんなに軽くないみたい。目を閉じて、少しのあいだ、ベッドに伏せる。
「クモ、へいき?」
「大丈夫、へいきだよ。ただ、まだ少し歩けなさそうなの。早くここから出ないといけないのに、ごめんなさい。リルザ様」
イデル殿、怪しんでた。頼りないわたしがリーゼを連れて、どうやって青から来たんだって。これ以上勘ぐられる前に、ここを出るべきなのに。
イデル殿は褐色の肌だった。この国に来て初めて見たけど、彼はきっと、古くからこの赤に住む古民族。赤の国って、もとは褐色の肌の人がほとんどだったのだけど、たくさんの人種が入って、今じゃ褐色の肌のほうが珍しい。
古い部族なんだったら、緑に対する敵対感情も特に深いかもしれない。
「どうして、リルザってよぶの?」
「え?」
「おれ、リーゼだよ。まだリルザじゃないよ」
ふるふると首を振られる。
「どういうこと?」
「だって、おれ、まだ成人の儀式受けてない」
成人の儀式。わたしの国にもあるけど、なんだか様子がちがいそうだ。
「たしかに、リルザイスは父上がつけてくださったおれの名前だよ。偉大なひいおじい様の名前だったんだって。でも、子供のうちはちがう名前なんだ。そうすれば、悪霊が憑いても、その名と共に祓うことができるから」
「そうだったの」
身分を隠すために、機転を利かせて偽名を使ったわけじゃなかったのね。っていうことは、えーと。
背筋を伸ばして、あらためて彼を見る。
「リーゼ。ここは、赤の国なの。知ってる?」
「うん。わかるよ」
「じゃあ、ここではあなたが緑の王子様ってこと、誰にも言っちゃだめよ。それもわかる?」
リーゼは、じーっとわたしを見た。
「……リーゼ、わかった?」
「わかった」
やっとうなずいてくれる。なんだか緊張しちゃった。見た目は立派な男性だから、ふとした瞬間に、こんな子供扱いは酷い間違いなんじゃないかって思う。
ともあれ、リーゼがうなずいてくれたことには安心した。彼は子供だけど頭がいいし、約束を簡単に破るような子でもないと思う。返事までの沈黙は、彼が慎重に考えた時間だったのかも。
ゆっくり、大きく息を吐く。
「少し、眠るね」
もう一度彼を見る。
「リーゼ、お願い。遠くに行かないで。わたしが起きたとき、あなたがいなかったらとても心配なの」
彼はまた少し沈黙して、それからうなずいた。
「わかった」
「……ありがとう」
枕に頭を下ろすと、沈み込むような眠りがわたしに訪れた。
***
それから数日、わたしはすっかり重病人だった。原因は怪我なんだけども、熱を出してしまって、ベッドから起き上がれなかった。イデル殿はお医師を呼んでくれたり、世話役の人をつけてくれたり、客人として丁重に扱ってくれた。
赤国っていうと、緑にケンカ売ってばかりだから正直いいイメージを持っていなかったんだけど、ここで会った使用人の子達はみんな陽気で屈託のない子ばかりで、さらわれてこの国に来たのに、居心地のよい滞在をさせてもらった。
ようやく歩きまわれるようになってきた三日目のお昼。
食事の手をとめて、さっきからリーゼがわたしの髪をつかんで難しい顔をしている。
「痛いよ、リーゼ」
「…………」
かと思うと、ぽいっと投げ捨てた。
「なんで投げるのっ」
「それ、きらい」
「なっ」
部屋にはわたしと子供リルザ様こと、リーゼのふたり、ベッドの上でまったりしている……といったらなんだか聞こえがいいけど。
「さいしょのクモみたいな方がいい」
最初の。
どうやら、リーゼはわたしの髪を下ろした姿がお気に召さないらしい。リルザ様に気に入られようと、必死で手入れしてきた髪を。
途端に恥ずかしくなって、わたしは頭の怪我に気をつけながら髪をまとめた。鼻の奥がつんとする。だめだだめだ、こんなことで泣くもんか……でも、もう二度とリルザ様の前で髪を下ろせないような気がする。
見た目の変わったわたしを見て、リーゼはちょっと満足そうだ。
「リーゼ」
「なに?」
「このまえ、世話をしてくれてるヤーニャにも、きらいって言ったでしょ」
「うん。だっておれ、おんなにちかづかれるの、きらい」
「きらいって言葉、人を傷つけやすいから……あんまり使ったらだめだよ」
驚いたように、リーゼはわたしの顔を見つめた。まさか説教されるなんて思ってなかったってところかな。別に腹立ち紛れに言ったわけじゃない。そもそも本来のリルザ様なら、こんなことを軽率に言ったりされないだろうし。
それでも言わずにいられなかった。わたしは今の彼のことを、傷つき満たされない子どもだと思っている。失礼だとためらう気持ちもあるけど、ひとつの体で時をさまようリルザ様。
子どもには、愛情を持って接したい。わたしにとって、こうして欲しいって伝えるのは愛情のつもり……なんだけど。やっぱりこんな言い方じゃ、ただのお説教よね……。
リーゼは答えなかった。浮かんでいた驚きをすっと引っ込めて、食事の続きを始めた。
「これ食べたら、デイダラ達のとこに行ってくる」
「デイダラ……さん? リーゼ、誰かと親しくなったの?」
今度はわたしが驚いた。リーゼは行儀よくパンを頬張りながら、こくりとうなずく。ここで出されるパンはわたしの知ってるパンと違って、黄色くて平べったくて、香ばしい。
「デイダラってのがすごいんだ。きっとあいつがここで一番強い。力が強いのはほかにもいるけど、きっとあいつは負けないよ」
「へえ……」
わたしが目覚めているとき、リーゼはいつも部屋にいた。だから彼もずっとこの部屋から出ていないんだと思い込んでいたんだけど。
「待って、どうして誰が強いかなんてわかったの? リーゼ、ひょっとしてなにか危ないことしてるんじゃ」
このお屋敷の娘さんが殺されたのだ。イデル殿は犯人を捜しているはずで、まさかリーゼもそれに一緒についていってるとか?
「ただの鍛錬だよ。午前中、あっちの庭でやってるんだ」
ぞんざいに、手で方向を指す。
「そうなの。リーゼはその鍛錬にまぜてもらっているのね」
「うん」
リーゼにしては元気よくごはんを食べていると思ったら、急いでたのね。彼は早々に自分の分をたいらげると、席を立った。でも突然、ぴたっと止まって、なぜかわたしを見る。
「行っていいよね?」
「え?」
まばたきをする。
「クモが起きるときに、おれいたから、もういいよね? 外に行っても」
「も、もちろん」
うなずくと、リーゼはやれやれとばかりに部屋を出て行った。
……なんだか、わたし、すごく口うるさい母親みたいな感じ?
「あ、待って、リーゼ!」
リーゼは振り向いてはくれたものの、まだなにかあるの? とその目で言っている。わ、わたし悪くないと思うんだけど……だってここ、赤で、リーゼは普通ではなくて。
「わたしも一緒に行きたいの。いいかな?」
彼は好きにしたら、と言うと、まだ食事の終わっていないわたしを待たずに出て行ってしまった。
気を取り直し、自分の分を食べ終えて席を立つ。熱も引いたし、緑へ帰らないと。クロース殿もガルディス殿も、リルザ様のことを心配しているはず。
寝巻きから自分の服に着替える。リルザ様が調達してくださった生成りのシャツは、とりきれなかった薄茶色い血のシミが胸や腕に大きく広がっていた。
これで過ごすのはさすがにためらうけど、そういっても替えはないし。お城を出るときに持ってきたお金は、人さらい達に巻き上げられてしまった。耳飾りを売った残りのお金、リルザ様がわたしに渡そうとした分は、今もリーゼが持ってるのかな。寝巻きをたたんで考え込む。
そう、着替えより、お金がなかったら帰ることもできないんじゃないの? わたし、お金の工面なんてしたことない。わたしを緑に送るって言って下さったリルザ様ならいろいろと手配して下さるだろうけど、あいにく今一緒なのはリーゼ。
お金ってどうやったら稼げるんだろう。わたしにできることって……家事とか? そうだ、このお屋敷で少しの間、召使いとして雇ってもらえないかな。それで旅費を稼げれば。
うんうんうなっていると、扉がノックされ、お世話になってる使用人の女の子が入ってきた。顔なじみになったヤーニャだ。
「ク、クモさん? どうしたんですか、その格好」
なぜか焦った様子で、わたしの前へ立つ。
「おかげさまで回復してきたし、そろそろ帰らないとと思って」
「だめですよ、そんな!」
とんでもない、と言わんばかりの口調に驚く。
「だめって、どうして?」
茶の髪をさっぱりとまとめたヤーニャは、ハキハキしていて元気がいい。わたしの一番の侍女で友達だったカリンを思い出して好ましく思っていたのだけど、今はしどろもどろ。
「その……あ、頭を怪我されて、熱も出ていたんですから、もうちょっと安静にしていないと」
「熱は下がったのよ」
「でも、その、まだ悪いところがあるかもしれません」
「頭の傷もずいぶんよくなったわ。血も止まったし、めまいももう起きてないの」
「でも、でも、その、まだ休んでいてくださいませんと」
ヤーニャはもごもごと言葉を探す。なにを困ってるのかわからないけど、なんだかかわいそうになる。でもわたしもリーゼも、いつまでもここにいるわけにはいかないし。
「イデル殿に、お礼を申し上げたいの。どちらにいらっしゃるの?」
ヤーニャは困り果てた顔。
「……今、聞いてくるので、ここでお待ち下さい」
「お礼申し上げるんだもの、わたしからうかがうわ。イデル殿のところへ案内をお願いできない?」
「い、今聞いてきますから、どうかここでお待ち下さいっ!」
ヤーニャは同じ言葉を繰り返すと、逃げるように部屋を出て行った。
どうしようかな? 待てというのだから待つべきなんだろうけど、リーゼの様子も見たい。
結局わたしは、リーゼを探しに部屋を出ることにした。様子を見るだけだから、そんなに時間はかからない。
部屋を出ると、すぐ左隣が階段だった。庭って言っていたから、そのまま降りてみる。
わたしがこのお屋敷を歩くのは今が初めて。部屋で寝ているときも、見たことのない白い壁を珍しく思っていたんだけど、建物の壁すべてが白いみたいだ。外から見るとどんななのかな、すごく綺麗なんじゃないだろうか。
誰ともすれちがわないまま、リーゼが示した方向に進んでみると、威勢のいい声が聞こえてきた。続いて目に飛び込んできたのは、明るい日差しの中、打ち合う人達。
「ヒズっ、ヒズ待ったっ」
「待ったがあるか!」
姿勢を崩して待ったをかけるも、認めず鋭く一撃を打ち込む。かろうじて得物を横にかまえそれを受け、耐え切れずしりもちをついたところで、軍配が上がる。
「い、いてぇっー!!」
「サクナ、弱すぎ! 間違いなく、おまえが屋敷で一番弱いぞ」
げらげらと、野次と笑い声が飛ぶ。庭には他にも十数人の人がいて、それぞれに打ち合っているようだ。
「うるっせーや、てめえらだってヒズに勝てねーじゃんか!」
気の置けないやりとりに、思わず口元がゆるむ。ヒズと呼ばれた人が、笑いながら、サクナと呼ばれた人に手を貸した。
「なあヒズ、どうやったらそんなに強くなれんの?」
「ヒズはね、あんたとはそもそもの出来が違うのよ」
赤毛の女の人が笑って茶化す。女性が多いことに驚いたけど、そういえば赤では女性の戦士は珍しくないんだった。すっきりと動きやすい衣装をまとって武器を扱う姿は、とっても凛々しい。
「やってるな。差し入れだぞー」
向かいから、三十代くらいの男の人が、大人のこぶしほどの赤い実をたくさん抱えてやってきた。あれは、見たことないけど、果物かなあ?
「デイダラさん、ありがとー!」
「サクナ、何個持ってく気だよ」
「はは。よう、リーゼ。おまえもおいで」
突然呼ばれたリーゼの名前に、わたしのほうが心臓がとびあがった。どこにいるのかと思ったら、いつのまにかリーゼはデイダラさんのところに近づいてきていた。
「日陰だってずっといれば暑いだろう。のぼせっちまう」
リーゼは渡された赤い実を素直に受け取ると、みんなの食べ方を見ながら、真似して食べ始めた。割った中身はずいぶんと水分があるみたいだから、ジュース代わりなのかも。
食べながら、リーゼがデイダラさんに話しかける。
「デイダラ、サルトラ教えて」
「いいぞ。練習したか?」
これにはなぜか、さっきのサクナさんが答えた。
「してたしてた。ヘッタクソだけど!」
「サクナぁ、あんたが言う? いいじゃないの、がんばってるんだから」
リーゼがヘタクソ? 驚いているとリーゼが変わった武器を持っていることに気がついた。槍みたいだけど、片方が刃、もう片方は鉤のように曲がっている。どうやって使うんだろう。
デイダラさんも残りの赤い実を下ろすと、リーゼと同じ槍を構える。その馴染んだ手つきに彼の熟練が見えた。
周りの人達が下がって、ふたりの打ち合える場所を作る。リーゼは赤い実の皮を捨てた。……わたしのほうが緊張してきた。
「さ、いつでもいいぞ」
デイダラさんは穏やかな口調。リーゼはうなずくと、少しの呼吸を置いてから槍を繰り出した。
探るみたいに、落ち着いた勢いで何合か打ち合う。リーゼのほうが攻め所を探っているように見えた。一度、隙を見たのか、リーゼが鋭く打ち込んだのだけど、デイダラさんはなんでもなかったようにやり過ごした。リルザ様は武芸に優れた方なのに、このデイダラさんのほうがずっと上回っているってことなんだろうか。なんだか悔しくて、手をぎゅっと握り締めて応援する。
そのあとも、リーゼは何度か攻めた。見ているうちに、なんとなくリーゼがやりづらそうだって気づく。ときどき刃先ではなく鉤のほうを出すのだけど、そのたびにデイダラさんに鋭く弾かれて下げられる。
デイダラさんの調子が変わった。激しく打ち込み、リーゼが守る一方になる。わたしが息を飲んでいるうちに、デイダラさんは一瞬で柄を持ち替え、鉤でリーゼの槍を捕らえた。
硬質な音が響く。折れるリーゼの槍。
――武器破壊!
遅れて、その言葉がひらめいた。本で読んだことがある。すごい。
「わあ……!」
気がついたら、わたしは一生懸命拍手をしていた。
「ん?」
その場にいた人達が驚いてこっちを見た。あ、しまった、恥ずかしい。
「あんた、クモさんか」
デイダラさんが、目を見開いた。わたしのことを知っているってことは、イデル殿に殴られた時にでも一緒にいたのかもしれない。
「すみません。あんまりきれいだったから思わず」
駆け寄ってそう伝えると、デイダラさんは少し照れたように笑う。
「そんなたいそうなものじゃないよ。熱でふせってるって聞いてたけど、もういいのかい」
「はい、おかげさまで」
答え終わる前に、リーゼがてくてくと彼に近づいてきた。
「ん、どうしたよ?」
「デイダラ、やっぱりすごい。おもしろい」
うれしそうに目を細めている。思わず、まじまじ見てしまった。デイダラさんもそうだったみたいで。
「なんだリーゼ、おまえちゃんと笑えるんだなあ」
「どういうこと?」
「いやさ、笑い方忘れちまってるのかと思ったからさ。笑うと、かわいいなあ」
デイダラさんが笑いながらリーゼの肩をたたく。リーゼは眉をひそめて、不満げだ。
と、いつのまにか他の人達も近づいてきて、わたし達を取り囲む。
「いや、俺もかわいいって思ったよ? リーゼだっけ、おまえちゃんとしゃべれんじゃん」
「ほんと。綺麗な顔してるのねえ。リーゼ、あたしの名前はリリエよ。言ってごらん?」
「リリエ?」
「あ、言った! ちょっと、かわいいわよ!?」
「リリエ、うるせえ!」
「クモさんって言ったっけ、あんたも綺麗だなあ。青国ってのはすごいんだな」
盛り上がっていく勢いになんて答えたものか、まばたきしていると、デイダラさんがみんなを追い払う。
「こらこら、困ってるだろ」
ぶうぶう言いながら、みんなは稽古に戻っていく。それからデイダラさんは、改めてわたしを見た。
「クモさん、そういうわけなんですが、これからリーゼにちょっと教えてやってもいいですかねえ。怪我しないよう、気をつけますから」
「どうぞ、お願いします」
長居するわけにはいかないけど、でもリーゼのあんなに嬉しそうな顔は初めてだ。そんなに楽しいなら、やらせてあげたい。
「よろしくお願いします。わたしはイデル殿にお話があるので、これで失礼します」
リーゼの練習を見たかったけど、ヤーニャに呼びに行かせているのだから戻らないと。
わたしは自分に与えられていた部屋に戻った。
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