第15話

 イデルの怒号に身をすくませた小柄の人物は、柄の一撃でたやすく落ちた。

「クモ」

 後方にいた連れの男が、頼りない声を出す。

「動くな!」

 駆け寄ろうとした男を牽制をする。

「この馬車に一体何をした! 乗っていた者達はどこだ!」

「なにもしてない、しらない……」

「知らない?」

 イデルは鼻で笑った。ただ、口端が恐れに引きつって、あまりうまくはいかない。

「そのように体を血で汚して、よくもぬけぬけと。ナビエはどこだ! シェリーは……!」

 林から姿を現したふたりは、どちらも血にまみれている。

 倒れた馬車。あたりに入り乱れる足跡。

「しらない……ころさないで……」

 男のおびえようは不快だった。曲がりなりにも腰に剣を帯びておきながら、連れが傷つけられてこの態度とは。

「知らないと言えば見逃してもらえると思っているのか? 助かりたければナビエとシェリーの行方を言え。今すぐに!」

「いやだ……いやだ……」

 こちらの言葉を聞かず、頭を振るばかり。

「この腑抜けが!」

 男につかみかかる。こぶしを振り上げたとき、差し迫った声が飛んだ。

「やめて!」

 思わず動きが止まったのは、女の声だったからだ。イデルは殴りつけた相手が女だったと気づいて、それには動揺する。

 振り向くと、苦しげに半身を起こしてこちらを見ていた。

「話を……、聞いてください」

 見上げたその面に、イデルは一瞬目を奪われた。艶やかな葡萄色の目。衣服を染めた血にばかり目がいっていたが、改めて見ればとても男には見えなかった。

「わたし達は、青国の者です」

「青の?」

 彼女は帽子をとる。若い娘の一色の白い髪に驚かされたが、青の人はみな銀の髪という一文を思い出す。子供が大陸について学べば、そのように教えられる。

「……遺体を見つけたので、弔っただけ」

 弱々しく腕を上げ、林を指す。

「この先にいます。あの子のお知り合いなら、早く行ってあげてください」

 力尽きたように腕を下ろし、ゆっくり地面に沈んでいく。

 一瞬考えたが、仲間が彼女に近づくのを見ると、任せてイデルは林へ向かった。連れの男はただ立って彼女を見ていた。



 木の根元に横たえられた、妹と古い友人を見つける。御者を任せた男ももう長い付き合いだった。胸で手を重ねた三人がもう動かないことはすぐにわかった。

「ナビエ」

 つぶやいた自分の声が、まるで遠い。

「……シェリー」

 何を思えばいいのかよくわからない。

 怒りを覚えればいいのか。悲しみか。後悔か。

 うずまきかけた激情は、すぐにあきらめが流してしまった。どうせなにをしても帰ってはこない。それはよく知っている。

 両膝をついて腰をおろし、妹を見つめた。いつも鼻が低いなどと愚痴ていたが、確かにそう高くないのだと初めて気づく。あれほど近く育ってきたのに、もしくはだからこそ、こんなふうにまじまじと顔を見たことなどなかった。

 しばらくのあいだ、そうしていた。考えることはすぐに尽きて、喪失だけが残る。涙は出ない。ただ、好んで着ていた白の服が凄惨なまでに血に染まっていても、顔だけは一切の血の跡がなかった。あの娘が丁寧に清めたのだと思ったとき、少しだけ気配を感じた。

 振り払って立ち上がり、妹達をあらためる。


 イデルは、妹のシェリーを抱いて馬車へと戻った。気遣って待っていた仲間達に、見る間に失望が広がる。

「ナビエ達を連れてきてくれ」

 彼らに役目を与えると、部下であり、幼なじみであるヒズがやってきた。

「男の剣を見ましたが、少なくとも今さっきに使ったような形跡はありませんでした」

 あの男のことなどすでに頭から消えていたことに気づく。あれにナビエが殺されたとは思えなかった。そうか、と答える。

「相手は多かったんだろうな。弓も用意していたようだし、ナビエはいくらも足止めできなかったようだ」

「……シェリー様はそう走れません。ナビエがともに逃げられなかった時点で、状況は絶望的だったのかと」

 イデルは歯を食い縛る。

「盗られたものはなにもなかった」

「なにも?」

「シェリーの指輪も首飾りも、すべてそのままだ」

 腕の中で静かに眠る妹を見る。ナビエの剣も良いものだが、彼の隣に並べられていた。

「賊が残したようなものは見つけられなかった」

「もう一度調べておきます。先にお戻りください」

「頼む。なにか見つけてくれ」

 ヒズはうなずくと、早足で林へと向かった。イデルは、立て直された馬車の中にシェリーを横たえた。

 青の旅人達のもとへ行く。娘は気を失っている。娘のそばに座っている男に声をかけた。

「おい」

 が、男は振り向かない。

「聞こえないのか」

 苛立ちを隠さず、イデルは男の肩を乱暴に引いた。男の目がイデルに向く。先ほどまでの怯えはどこにいったのか、見返す目が恐ろしいほど澄んで、イデルは小さなおそれを抱く。

「しんでない」

「……その娘か? 見ればわかるだろう、生きている」

「しんじゃえばよかったのに」

 何を言ったのかとっさに理解できず、イデルは男を異物のように見た。

「しぬかもっておもうからこわいんだ。しんじゃえばもうこわくない。あとはただがまんするだけ」

 ぼそり、ぼそりとつぶやく。

「……白の闇に食われたか。あわれなことだな」

 侮蔑しながら、ただ、同情もまじっていた。大事なものを失うかもしれない、その予感の持つ恐ろしさは今しがた味わっている。

 イデルは倒れている娘を抱き上げた。

「クモになにするの」

「妹達を送ってくれた者に、ひどい振る舞いをした。介抱くらいはさせてもらう」

 男は、その言葉の意味を少し考えたようだった。

「ありがとう」

 少しの間、男を見つめる。それは素直な言葉に聞こえた。


 彼は自分は招かれていないと思っているのか、イデルが馬車へ向かってもついてこようとしなかった。

「おまえもおいで」

 置いていかれる子供を、イデルはあわれんだ。呼んでやると、彼は顔を上げた。

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