春寒と爛れた愛情について
まことは退屈が苦手です。
退屈がどんなことなのかがよく分からないからです。
よく分からないことは怖いです。
だから苦手です。
でもまことは、あぁ今退屈だなぁ、って思ったことがありません。
だって、暇になったら――好きな人のことを考えれば良いんですもん。
そんなには会えない大好きな人のことで頭をいっぱいにしてれば、まことは幸せなんですもん。
1人でいるときも、誰かといる時も、まことの頭の中のどこかにはあの人の影があります。
にこにこ笑顔のかっこいいあの人がいるんです。
最近その人は、楽しそうなメッセージとか、お友だちとの写真を送ってくれたりして、まことに自分の幸せを分けてくれます。
まことはそれが幸せです。
こういうちっちゃい幸せが、ずっと続いてくれれば良いのになって思います。
こんにちは、
「ごっ……ごめんくださいっ。」
「はーい、今出ます。――おぉ、まことさん。」
お友だちのマジマさんです。ここの学生寮に住んでいる、優しいおにいさんです。
「どうかした?
「えっと……今日は、マジマさんに用事があってきました。」
「俺?あ、部屋上がる?」
「へ、良いんですか?」
絶対にまことのことを自分の部屋に上げてくれないマジマさんが、珍しい事を言いました。犯罪がどうのこうのと、いつもは上げてくれないのです。
「うん。今日は先客が居――」
「おぉ、まことちゃん。年明けぶりだね。」
「わぁ、
マジマさんの部屋の奥から、凛子さん――
――このお2人は、お付き合いをしているんですって。
まことが初めてお会いした時に、凛子さんが教えてくれました。すっごく仲良しなお2人です。
「……いつの間にそんな仲深めてんだよ。」
「ふふ、新年会は楽しかったんだよ。ね、まことちゃん。」
「はいっ、呼んでくれてありがとうございました!」
「元気だねー、で、しまし……間縞君に何か用なんだっけ?」
「あ、そうでしたそうでした。」
初めて上がったマジマさんの部屋は思ったよりきれいで、リビングに置かれたローテーブルには2人分のゲームコントローラーがおかれていて、正面の小ぶりなテレビにはゲームの画面が映っていました。……もしかしたら、お家デートだったのかもしれません。お邪魔してしまいました……。
「えっと、それでですね。」
カーペットに座って、ローテーブルの向こう側にマジマさんが座りました。凛子さんはマジマさんのベッドに寝転んで体をテレビへと向けて1人でゲームを再開しています。
「――マジマさんに、少し手伝ってほしいことがあるんです。」
ここでクイズです。てーれん。2月の一大イベントって何でしょう。
節分?立春?――ちがいます。
そう、バレンタインデーです!
「――そっか、なるほど。まことさんは歌坂に作るんだね?バレンタイン。」
「作りたいんです、でも……。」
まことは、お料理もお菓子作りも、全然できないんです。卵を割るのが精いっぱいなぐらいなんです。
「だから、マジマさんに手伝ってほしくて……。マジマさん、お料理上手だって聞いたので……。」
「ん、誰が言ってたの?それ。」
「えっと、
――『あぁ、年末年始って良いなぁ、お酒がたらふく飲めて。んぅ、でもやっぱり、
「……まことさん、酒のアテが作れるっていうのは、料理上手って言う意味ではないよ。」
「え、え、そうなんですか!?」
「うーん、俺もお菓子とかは作った事無いし。……あ。」
そう言って、マジマさんはぐるんと凛子さんの方に頭を向けました。まこともつられてそっちを見ます。2人分の視線を受けて、凛子さんがゆっくり顔を上げました。まこととマジマさんを交互に見てから、嫌そうな顔をして言います。
「……あ?」
「適任者。まことさん、こいつ出来るよ。」
「え、そうなんですか?」
「いや、違う。違うよまことちゃん。」
「もぉ、何で早く教えてくれないんですかっ。」
「いやだから、私もお菓子なんか作ったこと無いって。」
「無くたって作れるだろうが。お前腹立つぐらい才女なんだから。」
「やだぁ、しましま君が私の事褒めたぁ。鳥肌。」
「やかましい。」
凛子さんは何か言いたそうでしたが、溜め息をついてからまことの方を見ました。
「んー、まことちゃん、君、何が作りたい?」
「あ、えっと……、これが作りたくて。」
「……マカロン?」
スマホで調べた画像を凛子さんに見せると、それをマジマさんも覗き込んで見ました。軽く目を細めながら、それを見ていました。
「そうです、マカロンです。」
なんでも、バレンタインであげるお菓子には意味があるらしくって、まことが瑞月くんにあげるものとしては、これがぴったりだったんです。
「げ、レシピ難しいのしかないや。」
さっそく携帯で調べた凛子さんがそんな声を上げました。そうなんです、そこが大きな問題なんです。
「ネットのレシピだと、難しいことばっかり書いてあって分からなくて……。作るのもそうなんですけど、まずはレシピを探したり、材料買ったりしないとで……。」
「そう、だね……。うん、分かった、手伝うよ。間縞君が。」
「何言ってんだ天野、お前も手伝うんだよ。」
「え、あー、ちょっと野暮用があるなぁー。」
「さっきまでゲームしてたくせに何言ってんだ。――大丈夫だよ、まことさん。天野が居れば大半は上手くいくから。」
「ほんとですか!やった、ありがとうございます!」
「……はぁ。」
そういう訳で、お菓子作りがスタートしました。まぁまだ何も始まってないんですけどね。
「じゃあ私はとりあえず……レシピを探してくるよ。図書室に簡単なレシピがあったかもしれないから。」
「んーじゃあ、俺とまことさんは買い出しに行こうか。――天野、後でレシピ送ってくれ。」
お2人は手伝うと決めたらすぐに動き始めました。のりのりです。高校生になったらこれぐらいの行動力が身につくんでしょうか。
「じゃあ、まことさん。」
「あ、はい、行きましょ。」
マジマさんに促されて、2人で駅の近くのデパートに行きます。行く途中に、マジマさんと凛子さんは学生寮の1階のとある部屋に立ち寄りました。
ぴんぽーん
「柚巳ちゃーん、いるぅ?いるよねぇ?ちょっと出て来てよぉー。」
……しゃっきんとり、って言うんでしょうか、こういうの。
「はーい。――って、わ、どうしたんですかこんな大勢で。」
「すみません池名さん、いくつか頼みたくて。」
「わわ、間縞君からの頼みでしたら、断れませんね……。何でしょうか?」
「柚巳ちゃんは今から、私と一緒に図書館に行くよ。」
凛子さんが長い髪を1つに結びながら言いました。柚巳さんは首を傾げています。
「レシピ本。図書委員なら本棚の場所とか、効率良い探し方とかご存じかなって。あとは単に人手が欲しい。付き合って?」
なんとも淡々と用件を伝える凛子さん。こんな指示でも柚巳さんは状況を理解したらしく、楽しそうに頷いていました。
「あと俺から。確か池名さん、ママチャリ持ってたよね?」
「はい、持ってますよ。使います?」
「助かる。借りたいんだ。」
ままちゃり……って、あの、荷台とカゴがしっかりしてる自転車の事ですよね。まことは自転車を持っていませんし、乗れないのでよく分かりませんが。
「全然どうぞ。駐輪場に止めてあるのでお好きに使って下さい。」
「恩に着るよー柚巳ちゃん。じゃあ、詳しくはおいおい説明するから、行こうか。」
「えあ、もう?少しだけ待って、凛子さん。」
「ん、はぁい。――じゃあ、しましま君たちはもう行く?」
「そうだな。じゃあ。」
そう言ってマジマさんはまことの方を見ます。それに気づいて、まことはこくんと頷きました。軽く凛子さんに手を振ってからマジマさんの後に続いて、寮の裏にあるらしい駐輪場に向かいます。
「おぉ……。」
これが、ままちゃり。駐輪場には1台しか自転車が止まっていませんでした。マジマさんは預かった鍵でロックを外して、スタンドをかちゃん、と倒しました。それから、少し心配そうな顔でまことを見ます。
「まことさん……、2人乗りってしたことある?」
「わぁぁぁぁ!風になってるぅぅぅぅぅ!」
「はは、落ちないでね。」
まことは、自転車の荷台に立って、マジマさんの肩に手を置いて、下り坂を下っていました。人生初の自転車2人乗りです。楽しくてしかたありません。
「ひゃあぁぁぁぁぁっ、ほぉぉぉぉぉっ!」
「凄いハイテンション……。」
「えへ、楽しい時はこうするんだよーって、榎波さんが。」
「あの人の言うことを真に受けちゃ駄目だよ、まことさん。」
向かうは駅近くのデパートです。買うもの、必要なものは、あとで凛子さんが教えてくれるんだとか。
「マジマさんは、凛子さんからバレンタイン貰うんですか?」
「んー、いや。多分貰えないよ。」
「えぇっ、何でですか、お付き合いしてるどうしなのにっ。」
「あー、はは、どうだろー。」
そんな感じで何だかマジマさんらしくない、棒読みっぽい口調でそれだけ答えるマジマさん。
「甘い物お嫌いですか?」
「ん、好きだよ。最近はそんなに食べる機会ないけど。」
「そうですかー。では、まことが友チョコを作ります!」
「はは、それは嬉しいな。楽しみにしてる。」
マジマさんは、重たいはずのまことを荷台に立たせたまま、軽々と自転車を漕いでデパートに向かいます。この調子なら、もうすぐ着いてもおかしくありません。
「ねぇねぇマジマさん、1つ聞いても良いですか?」
「ん?」
「マジマさんって、凛子さんのどこが好きなんですか?」
凛子さんは、完璧な人です。綺麗だし、頭良いし、優しいし。そりゃあマジマさんが好きになるのも自然なことかもしれませんが、何だかまことには、マジマさんと凛子さんが恋人どうしには見えない時があるんです。
まるで、心からの親友のみたいな、そんな感じがする時があるんです。
「あー、んー、そうだねー、……わかんないなぁ。」
なんかバツが悪そう。
「わかんないんですか。――まぁ、好きすぎると分かりませんよねー。」
「う、うん。そうだねー。」
ぎこちない……?気のせいでしょうか。気のせいでしょうね。
「ま、まことさんは歌坂のどこが好きなの?」
マジマさんが正面を向いたまま、まことに聞いてきました。まことはちょっとだけ考えて、にこーっと笑います。
「――全部です。もっというなら、存在ですね。」
まことは、小さい時からいつも瑞月くんと一緒でした。お家が近かったということも、親どうしが仲良しだったということもあって、瑞月くんはお兄ちゃんみたいな存在でした。実際、最初の頃は「みずきおにいちゃん」と呼んでいましたし。
ではどうして、まことはお嫁さんになったんでしょう。
まことが小学生で、瑞月くんが中学生だった時のことです。――多分まことは、その時にはもう瑞月くんが好きだったんだと思います。その時にまことは、全力で瑞月くんに告白しました。
もうほとんどプロポーズでした。
返答としては、軽すぎるぐらい優しいおーけーがでました。そこが瑞月くんの良い所であり、罪な所です。
「そんな早い段階から婚約結んでるんだね……。」
マジマさんは少し神妙そうな、若干引いている様な顔でまことの話を聞いていました。まことはただ笑って答えます。
「そんなに早くも無いですよ。それに、瑞月くんもどこまで本気で言ってくれたか分かんないし。」
「……いやまぁ、本気だと思うけどね。歌坂も。」
珍しく間がありましたが、マジマさんが言うなら少し説得力があります。目が笑っていない苦笑いでぼそぼそ呟くように言っているのが、少し気がかりですけど。
「だぁって瑞月くん、私が居ないうちに好きな人が出来たとか言っちゃうんですよっ?」
「いやいやいや。あれはほら、冗談って言うか、居なかった。」
「まぁそうなんですけど……。あ。」
いつの間にかデパートに着いてしまいました。
……風になるの、おわりかぁ。
「はぁ……。疲れたぁ……。」
夕方、もうすぐ日が沈みそうな空の下、まことは1人で駅まで歩いていました。さっきまでマジマさんが送ってくれると言っていたのですが、寮の前で凛子さんと柚巳さんに会って、凛子さんがマジマさんに何かを耳打ちしたために、てきとうな所まで自転車で連れて行かれ、下ろされてしまいました。
「……なぁんで最後まで連れてってくれなかったんだろ。」
不思議です。あんなにやさしい人たちの集まりなのに。甘えるなとか、そういうことでしょうか。
「……あ。」
合点が行きました。――前の方に瑞月くんが歩いているんです。
「瑞月くん!」
さて、さて、さて。
あの日、帰る前の2時間ほど、まことはマジマさんとマカロンづくりの特訓をしました。デパートについてすぐ、凛子さんからレシピの連絡がありました。
――『レシピ探すときに歌坂君にバレちゃったけどうまく誤魔化したよー。
そのおかげで私もお菓子作らなきゃだね、よろしゅうまことちゃん。』
よく意味が分かりませんでしたが、とりあえず材料と梱包に必要な箱とかを買って、学生寮に帰ってきて、マジマさんと2人でマカロンづくりの特訓をしました。
……思えば、あの時はすんなり家にあげてくれたなぁ。不思議。
さて、さて。
今日は――バレンタインデーです。
まことは中学生ですが、今日は白川高校の図書室にお邪魔しています。
「……なぁ本当に大丈夫なのか、これ。」
「良いんだよ別に。バレなきゃ犯罪じゃないって言うじゃん。」
「……瑞月くん、いつ来るんでしたっけ。」
「部活終わりだから、そうだね、あと20分ぐらいかな。」
4人掛けの自習机に座っています。隣は柚巳さんです。椅子の足元には鞄を置いていて、その中には――昨日頑張って1人でつくったマカロンが入っています。
「さて、まことちゃん。」
凛子さんが珍しく真面目な顔をしました。まこともつられて背筋が伸びます。
「はい。なんでしょうか。」
そんなまことを見て凛子さんはふっと笑います。それから言いました。
「そろそろ私たちは帰るね。」
「……え、へ、え?みんなで一緒に渡すんじゃないんですか?」
「お手数だけど、それはまことちゃんに預けようと思う。」
にっこりと笑う凛子さん。急に心細くなってまことは首を傾げます。
ということは……まことは瑞月くんを1人で待って、1人でお菓子を分からないといけなくなります。――あ。
気づいて、凛子さんの方をばっと見ます。凛子さんは変わらずにっこり笑うだけです。
「あぁそうだ。これは私と柚巳ちゃんから。まことちゃんに友チョコ。」
「へぇっ!ありがとうございます!」
可愛らしい、ココアベースの手作りクッキーでした。まことも思い出して、皆さんに配ります。
「えーっと、これが凛子さんので、こっちが柚巳さん。これが……マジマさんの。」
まことは友チョコとしてキャラメルを作りました。甘くておいしいんです。お3方とも嬉しそうにしてくれました。
「じゃあ、まことさん。頑張って。」
「はいっ!――色々、ほんとにありがとうございました。」
「良いんだよー。困ったらまたおいでね。」
「というか、また遊びましょ、まことちゃん。」
「ぜひ!」
お3方が去ってしまって、図書室は静かになりました。遠くから部活生の掛け声が聞こえます。
「……よし。」
まことのバレンタインが、ちゃんと始まりました。
「――はーいこれ。柚巳ちゃんのね。今回働いてくれたお礼も兼ねて。」
「わーいやった、ありがとう凛子さん。」
「こっちは君に。余り物で悪いけどね。」
「別に構わねぇよ。まぁ、あざす。」
「わぁ、チョコレートタルトだ!しかも生チョコ、美味しそう!」
「でしょー。まぁ簡単だったけどね。柚巳ちゃんと一緒に作ったクッキーの余りで作ってみた。」
「うわぁ……。すげぇなお前。」
「何を今更感心してるのさ間縞君。君の隣の奴、凄い奴なんだよ?」
「そうだよ間縞君、凛子さん凄いんだよ。」
「すいませんね、今更で。」
「まぁまぁ、不問にしとくよ。――その代わり。」
「え……その代わり?何その不穏な台詞?」
「ホワイトデー、ちゃんと返すこと、ね?」
「ぐっ……。」
「返事は、しましま君。」
「しましま君?」
「あやべ。何でもない。――で、お返し、ね?」
「……分かりましたよ。」
「っしゃあ、柚巳ちゃん、ホワイトデーは間縞君の家でクレープパーティーだ!」
「え!?やった!楽しみにしとくね、間縞君!」
「待て待て待て待て……そろそろ怒るぞ。」
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