迎春と怠惰な暮らしについて
俺にとって退屈とは――、ってこれだいぶ前にやったな。
まぁ、飽きもせずにもう1回。
俺は不変と退屈が大好きで、それはもうこよなく愛していて。
俺と言えば退屈って言うぐらいの親密具合だと勝手に思っていた。
まぁ故に、それを崩されるなんて微塵も思っていなかったし、崩されてしまった現状を思うと、俺だってそれなりに頭が痛くなる。
向こう見ずで頭がおかしい、興味関心だけで生きている奴とか。
見た目とは裏腹な奇行……じゃない、まぁギャップが凄い人とか。
愛すべき、というかまぁひたすらな馬鹿とか。
子供心のままに生きている様な人とか。
まともなようでまともじゃない、どこかが変に歪んでいる奴とか。
まだまだ純粋無垢な人生を歩んでいる人とか。
俺の退屈な日常を見事なまでにぶち壊してきた輩どもの事を思うと、それはもう。
……それはもう。
だがまぁ憎らしい事に、すっかり俺の日常は退屈ではなくなっていた。
俺の日常はいつの間にか、奴らの色に塗りたくられていたらしい。
さて、だ。
俺が高校2年生になり、嵐に巻き込まれるがごとく退屈を取り上げられた俺だが。
――実はもっとずっと早い段階で、俺の傍には危険分子が居たらしい。
「よぉー、久しぶりだなー、
「……よぉ。」
俺の住処である、白川高校学生寮から電車で2時間ほど乗り継ぐとあら不思議。
――俺、
正月もあけて、1月中旬。俺は遅まきながらも実家に帰省していた。学生の大ボーナスである3連休を見事に棒に振って、大した思い入れも無い地元に戻ってきたのだ。流石に年明け。行かなくちゃいけない様な気分に負けたのだ。
「また背ェ伸びたんじゃねぇかー?羨ましいなぁ。」
駅前で俺はとある人と待ち合わせていた。……濁すように言ったが、何を隠そう実の姉だ。間縞
「そんな変わってねぇよ。まぁ……、姉貴は変わらずだな。」
毛先から5、6センチほどの部分だけブリーチされた、俺と揃いの色の髪。二重の眠そうな、瞳孔の見えない深い黒い目。唇の両端から少し下にズレたあたりに、(リップピアスだったか)2つの黒いピアスが開いている。俺の記憶が正しければ、舌と耳にも開いていたはずだ。
「……そのうち、姉貴に会わせたい奴が知り合いに居るんだよな。」
「なぁんか日本語変だな。どゆこと?」
「ピアスバッチバチの知り合いが居るんだよ。ネッ友に。」
「へぇぇぇ、そりゃあぜひ。」
俺は姉貴の隣を、いつもよりゆっくりとした歩調で歩いた。目線は斜め下、俺よりもいくらか上背の低い姉貴に向けたままだ。
「参ったよねぇ、我が家のご両親様は年越し旅行ついでに海外移住だなんて。」
「……俺それ冗談だと思ってたんだけど。」
笑える話、俺と姉貴の両親は絵に描いた様な自由人であり、今回も思い付きで、2年ほどの旅行に出ているらしい。旅行というかまぁ、移住なのだけど。
「姉貴、年越し1人だったのか?」
「ん、いや、
……そういやここはここで繋がりがあったな。姉貴の口から俺のバイト先の店主である、
「相変わらずだったよ、律。アイツがちゃんと生きてんのはお前のおかげだな。」
「いやまぁ……、否定できないな……。」
高校生3人から面倒を見られている大人。恐ろしい。
「あそうだ姉貴、聞きたいんだけど。」
「あ?何?律の性別以外だったら何でも答えられるおねーさんに、何の質問だ?」
「……やっぱ何でもない。」
駅から歩いておおよそ15分。寂れた商店街の一角に俺の実家はある。1階は貸店舗になっていて、俺の小さい時から何度も色んな店が入ったり潰れたりを繰り返している。そして、この建物と隣の建物の間を通り抜けると、鉄製の錆びた階段がある。
ここの2階が、俺の実家である。
「……ただいま。」
「おかえり。」
久しぶりに帰ってきた我が実家は、人が減ったことも相まってだいぶ広く見えた。3LDKベランダ付きの、日当たり良好な事故物件である。別に人死にがあった訳では無く、立地的な所以からくるただの瑕疵物件だ。
「お前の部屋そんままにしてあるから、そこ使っちまえ。」
「ん。」
梯子を上った先は踊り場になっていて、その奥に玄関扉がある。その向こう側、玄関から入って右手が洗面脱衣風呂場。左手が物置になっている。奥に進むと右手前は台所、左奥側は狭いリビングになっており、逆に左手前が姉貴の部屋、右奥側が俺の部屋になっている。まぁ変な家なのだ。ここで4人暮らしをしていたとは思いづらい間取りだ。しかも現在、季節的にリビングが炬燵に占領されている。
「……カビくせぇな。」
久しぶりに入った自分の部屋の、埃っぽい空気に顔を顰めながらも荷物を広げた。とは言っても大したものは持って来ておらず、リュックサック1つだけだ。俺は直ぐにリビングへと引き返して、炬燵に入る。
「あったけぇ……。」
「だろ。雑煮食うか?」
「食う。」
それから少し間があって、両手に1つずつ椀を持った姉貴がこちらに歩いてきた。
「ほい。正月の残りの餅だけど。」
「あざす。……うまそ。」
湯気が立ち上っているその雑煮を見ながら、俺は唾液を飲み込んだ。来るまで大したものを食べていなかったのもあって腹が減っている。
「いっただきまーす。」
姉貴が勢いよく雑煮を食べ始めた。……だいぶ熱そうに見えるんだが、火傷とかいう概念は無いんだろうか。
「ん、うま。」
「……そりゃ美味いだろうな。姉貴が作ってんだから。」
こう見えて姉貴は料理人である。若干猫舌の俺は、姉貴に遅れを取りながらも雑煮をつついた。――やっぱり美味い。
「嬉しいこと言うようになったなぁ。まだまだいっぱいあるから食えよ。」
「そのつもり。」
「風呂お先。」
「おー、じゃ入るわ。」
風呂から上がって眼鏡を掛けて、俺はまた炬燵に呑まれた。呑まれに行ったというのが正しいけど。携帯の電源ボタンを押すと、画面に通知が出ていた。
「……おぉ。」
「……何してんだアイツ。」
場所は恐らく、律さんの店である古書店
――『新年会なう☆』
……酒飲んだみたいだな、これ。未成年の飲酒は駄目だ。ましてや天野が酒を飲んでいるなんてもっと駄目だ。画角には映っていないが、恐らく
『何から言えば良いか分かんねぇんだけど』
――『何も言わなくて良いよー』
――『分かってるからww』
偉いハイテンションな即レスが返って来た。俺はもう諦めて携帯の画面を伏せた。炬燵の上に鎮座していたみかんを1つ掴んで皮をむく。
「……はぁ。」
今、縁では輩どもによる新年会が繰り広げられている。メンツの事だ、恐らく闇博打とか酒とか、危なっかしいことばっかりだろう。それなのに。
――俺は、自分がその危なっかしさに身を投じていないというのが、どうにも寂しいらしい。己でも信じられないぐらいに驚いている。寂しいだなんて。
やはりというかなんと言うか、知らない間に俺は、染まって堪るかと思っていたあの非日常っぽい日常に、すっかり頭まで染まり切っていたみたいだ。染まりすぎてぐずぐずになっている。
「あっがりー、って、どした伊織。」
風呂から上がって来た姉貴が、俺の顔を見て直ぐさまそう言った。俺は思わず苦笑して、送られてきた新年会の写真を見せる。姉貴は何か察したらしく、ニヤリと笑ってから俺を見た。
「良かったなぁ、楽しそうなお友達に恵まれて。」
「これ良いのか……。」
「良いだろ、一緒に居て退屈しないって、それはそれは素敵な事だぜ。」
そう言いながら姉貴の視線の先は、酔いつぶれているであろう律さんに向いていた。俺は少し考えてから何を言おうか言葉を迷った。が、それを遮るように姉貴がぽつりと呟いた。
「楽しそうだなぁ、律も伊織も。」
俺は不意に気づいた。――姉貴はいつも1人なのだ。勿論、俺という頼りない弟も、人として何かが欠落した律さんという親友も居るには居る。だが姉貴は、日常を共にするような人が中々に居ない。今画面を見つめている姉貴の虚ろな黒い目は、うっすらと笑っていた。
「そうだ、伊織、姉ちゃん良いこと思いついちゃった。」
「え、何。」
柄にも無く自分の事を姉ちゃんと呼ぶ姉貴。俺は少し嫌な予感がしつつも、話の続きに耳を傾けた。
「ふっふっふ……。賭け事しようぜ。」
「やだよ。」
「勝ったら勝っただけ勝ち金の金額が倍になる。お年玉って奴だね。」
「……スタートいくらから。」
「5000円。」
「のった。やろう。」
もとより金にがめつい間縞姉弟である。思惑通りであろう俺の答えに、姉貴はニヤリと笑った。俺にそっくりの、性格の悪い笑顔で楽しそうに笑った。
「こっちも新年会スタートだな。」
「……外寒いなぁ。雪降るかもなこりゃ。」
しゅぼっ カチン
「……ふぅ。……しかし、虐めすぎたかな。まぁ2万だし、高校生なら払えるよな。……それよか、私の方が支払いきついなぁ。4万5000かぁ……。」
ぶぶぶぶ ぶぶぶぶ
「ん……。あぁ、もしもし?」
――『やっほ響ー。元気ー?』
「元気元気ー、って最近会ったばっかじゃん。」
――『あっはは、そうだねぇ。ちなみに僕もめっちゃ元気だよー。』
「そか。高校生に囲まれての新年会は楽しいかい。」
――『な、なぜそれを。』
「伊織に写真送ってくれた子が居たみたいでね。噂の凛子ちゃんだよ。」
――『あぁ、やりそうだなぁ。そっか、バレたか。』
「もとより隠す気無いでしょう。何なら自慢する気でしょう。」
――『へへ、それもバレたか。』
「お見通しだよ。律の事なら大体分かる。」
――『んふふ、僕も響の事なら分かるー。』
「……そうか。それでこそ親友だな。」
――『あ、そうだ。響に話があるんだった。』
「ん、何?」
――『ほら、響が言った凛子ちゃん。あの子が君に会いたいそうでさ。』
「はぁー、なんだそれ。」
――『面白い子だよぉ、でもおおよそ伊織君とは毛色が違うかな。』
「ふぅん。でも仲良しなんだろ?」
――『そうだねぇ、仲良しだよ。』
「ふぅん、まぁ考えておくよ。あそだ、近々そっちに送りたいものあってさ。」
――『えぇ、次会った時貰うよ。ちなみになぁに?』
「酒。」
――『っしゃぁ。』
「あはは、一緒飲もうぜ。」
――『うん。飲も。』
新年会と称して行われた闇博打の結果は俺の勝ちだった。姉貴に半ば強制的に流し込まれた日本酒のせいで微睡む意識のまま思考を巡らせ、結局辿り着いたのは『姉貴に手を抜かれた』という結論だった。昔から勝負事は強いあの人の事。俺に負けるなんてことはないだろう。不器用らしく俺に大枚のお年玉をはたいてくれたみたいだ。
「あっつ……。」
炬燵に半身を突っ込んだまま後ろに倒れ、日本酒で火照る体を鬱陶しく思いながら俺は目を閉じた。先ほど姉貴が煙草を吸いにベランダに出た時に入って来た夜風が気持ちいい。少し開いた扉の向こうからは話し声が聞こえるような、聞こえないような。うっすらと煙草の匂いがする。
――さて、少しだけ冒頭に戻ろう。
だいぶ前に言われた、天野の台詞。
『しましま君は私によく似てるよ。』
今になって、これの意味が分かり始めた。俺が天野に出会う前から、俺の傍には確実に非日常への伏線、というかまぁ危険分子が居た。俺は誠に勝手ながら、それが姉貴だと思っていた。実際それは間違いでは無いだろう。だが。
もう1つ可能性があった。
危険分子は俺だという可能性だ。
本当は、俺は天野並みに非日常が大好きで、退屈とは無縁な所で生きていたかった、のかもしれない。今になってはどんな答えもしっくりくる。
単純な結論としては、ただ俺が変わってしまったというだけだ。
天野を筆頭とする非日常の住人たちに揉まれて、いつの間にかそれが楽しくて楽しくて仕方なくなってしまったというだけだ。
「……あはは。」
まぁ、今はそれで。そのままで。
そんな怠惰な感情が、俺は好きらしい。
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