第4話 猫のおっさん その4


  6


 それからも、散歩と飯っていう猫の日課が続いとる。


 腹は常に減ってる状態で、どうにか食いもんを見つけられへんか考える毎日や。あれ、なんかホームレス時代と変わってない? いやそんなことないか。


 俺はいまだに毎日、夜中に台所に行っとる。


 いや、食いもんは手に入ってないねん。あのお父さんが俺の健康を考えて、冷蔵庫に錠を付けてくれたからな。お礼に今度、寝とるときに顔に濡れタオル置いてあげな。


 冷蔵庫の錠は、鍵で開けるタイプじゃないねん。数字の入ったダイヤルを合わせるタイプのやつや。鍵やったら盗むチャンスもあったやろうに。


 そういうわけで、夜中に台所で錠を回すんが日課になっとる。六桁の数字やから、開錠できるんがいつになるかはわからへん。死ぬまでに開けられるかな?


 結局、どんな生き方をしても足掻く必要があるんやね。もしこれを若いときに知っとったら、面倒なことも全部頑張ったのになあ。


 まあ、そんなん言うてもしゃあない。いま出来ることを頑張るしかない。

 俺は柵から出て、首輪を自分で自分につけた。そんでそのままリードも自分でつけて、いつでも散歩に行ける準備をした。


 そしてちょうど、正樹が部屋に入ってきた。


「さあ、散歩の時間だよ。ところでこれ、見てごらんよ」


 なんやと思って、正樹を見てみた。そしたら大きい包み紙を持っとった。


「猫用の大きいセーターを特注で作ってもらったんだ」


 え、ほんまに? めっちゃ嬉しい。


 包み紙の中からは、オレンジ色のセーターが出てきた。普通の猫のサイズやと俺が着られへんから、わざわざ特別に作ってくれたんや。アホやなあ、ユニクロ行ったら俺が着れる服やまほど売っとるのに。


「にゃあ」


 でも、ありがとうな。


「嬉しいんだね。僕も嬉しいよ。さっそく着せてあげるね」


 着てみたらなるほど、さすが猫用の服やね……。


 袖がないやん! これセーターちゃうぞ、ベストやんけ!


 まあでもいままで、上半身裸やったからな。ないよりましか。


「じゃあ散歩に行こうか」


「にぁ!」


 そんで俺と正樹は散歩に出かけた。


 もちろんいつものコースや。屋敷から駅までを歩くんや。最近じゃ二足歩行の猫にもびびらんようになった人らが、よう声をかけてくれる。「かわいいセーター着せてもらってよかったね」とか言われるねん。ベストじゃばばあ!


でも今日は、悲 鳴が多いなあ。初めての散歩の日より多いで。まあ、その理由はもうわかっとるねん。


 正樹は俺を猫やと思っとるやろ。まあ、動物っちゅうことやな。


 んで動物で服着せてもらっとるやつって、だいたい下半身はそのままやん?


 んでオスやったらタマタマとか、太めのエノキとか見えてるやん?


 んで俺ほんまは人間やん?


 つまり俺はいまエノキ丸出しやのに、なぜか上半身だけセーター着とる。このサイコ野郎のとんでもない思いつきでな!


 なにがブリーフは洗っておくね、や。下着の概念あるんやったら、ズボンもくれや!


 そうは言うても、俺はこれから猫として生きていく身や。ブリーフなし、フルチンで過ごすことも納得せなあかんやろう。


 我慢や……。


 心の中でそう言うたら、不思議と恥ずかしい気分がなくなってきた。そう、だって俺はこの猫耳ヘアバンドのおかげで、猫にしか見えへんはずやねんから。


 次第に足取りが軽くなっていくんを感じるわ。真冬の冷たい風も、我慢しとけばそのうちに春風なるやろう。


 そう気分良く歩いとったら、リードが突然、ピンってなった。正樹が急に立ち止まったみたいや。おいおい、首が締まるとこやったやんけ。


 俺は正樹を非難するために、じとりと睨みつけた。そしたら正樹は、目の前を歩く女子に完全に気を取られとるみたいやった。


「あっ、禍田(まがた)さんだ……」


 その反応を見て、俺はぴんときてん。前に言うとった二番目に好きな動物、ヒト科のメスってこの子のことやろうなって。


 禍田さんっちゅう女の子は、おっきいポリタンクを持っとった。小動物系の顔しとるな。小柄なんもあって、大人しそうな子やなあ。


 隣におる作業着のおっさんは、お父さんやろう。あんな重そうなポリタンクを、二つも同時に持っとるわ。中身はガソリンかな? さすが正樹のクラスメイト、もう意味わからへん。


 正樹は一歩も動かんかった。「あっあっあっ」って言うとるだけや。話しかけたいけど、恥ずかしくてできひんってとこやろう。


 よっしゃ、任しとけ。ええか正樹。俺がいまから禍田さんに飛びつく。そしたらすぐに、「僕の猫は誰にも懐かないはずなのに」って言うんや。女なんか、みんな猫好きやからな。絶対に上手いこといくで。


「っにゃ」


 俺は自分でリードを外して、ダッシュで禍田さんに近づいてん。そんでとびかかった。


「えいっ」


「にゃわぁっ」


 禍田さんは重いポリタンクを振り回してん。俺はすんでのところで避けたけど、当たっとったら致命傷やったで。


「あっごめん。それ僕の猫なんだ」


 正樹が遅れてやってきてそう言うた。ちょい遅くない?


「あら正木くん。こっちこそごめんね。びっくりしてつい、ポリタンク持ち上げちゃった。当たらなくてよかったぁ」


 え、いま「つい」って言うた? いや「えいっ」て言うてたやん。


「あっ大丈夫、ネコ科の動物は動体視力がすごいんだ。蛇の一撃だって、見てから避けられるんだ」


「そうなんだ。すごいんだねぇ」


 なにこの流れ。なんかこのサイコパスの思いつきで、蛇と戦わされそうな予感すんねんけど。話題を変えな。


 俺は禍田さんの隣におるお父さんを見ながら、「にゃあにゃあ」言うた。


 そしたら正樹はいまごろ、挨拶をせなあかんと気付いたみたいや。


「そちらは禍田さんのお父さんかな。初めまして」


「えっ、そうだよ」


 そう言うてから、禍田さんは手を軽くあげてん。そしたらお父さんが深々とお辞儀しよった。おまけに最後まで無言。


この女子、奴隷のことをお父さんて呼んでるん? それともお父さんは奴隷なん? こいつらの学校まじでやばい奴しかおらんのか?


 しかも禍田さん禍田さんで、この異様な空気をものともせず、普通に世間話を始めるからな。


「ずいぶん大きい猫なんだねぇ。何歳なの?」


「どうだろ。まだ若いと思うよ」


「へえ、人間だと五十歳くらいに見えるけどねぇ」


 禍田さんはこっちをじっと見ながら、そう言うてん。


 俺は猫耳ヘアバンドが外れてないか、頭に手ぇ当てて確認した。ちゃんとついとる。この子、なんか怖いなあ。見た目は小動物系やのに、心の中に猛獣でも飼ってそうな感じするわ。


 正樹、俺もう家帰りたいねんけど。そう思って肩をぽんっと叩いてみてんけど、正樹はまだ帰りたくないみたいやった。


「あっそのポリタンク重そうだね。中になに入ってるの?」


「えっ、み、水だよ?」


 禍田さんは目を背けながら言うた。


 うーん、これは完全に水以外のなにかが入ってる感じやね。


 多分、車とか動かせる水なんやろうなあ。んでもそんな重そうなポリタンク、車で運んでへん辺り、車は持ってなさそうや。別の目的で使うんやろうなあ。


 さあ、危ないから家に帰ろ。


「水なんだ……」


「水だよ……」


 正樹やめろって。禍田さん困ってるって。それにお前も水じゃないってわかってるから、「水なんだ……」って言うたんやろ。そう、多分やけど中身はガソリン。もしくは徳さんのシンナーやから! な、正樹?


 女なんか他になんぼでもおる。車持ってないのに、ガソリンを大量に集めとる女なんかやめとけ。


 正樹はわかってくれたんか、こくりと頷いたんや。


「じゃあその水、一杯もらおうかな」


「えぇ……」


 えぇ……。


 禍田さんだけじゃなくて、俺も引いてもたわ。


 仮にポリタンクの中身がほんまの水やったとしても、「一杯もらおうかな」はないやろ。どういう思考回路しとんねん。


「あっ、ぼ、僕はずっと前から禍田さんのことが……」


 この流れで告白? どこでいまやって判断してん。


「芽芽さま、そろそろ……」


 おぉ、お父さんが流れぶった切ってくれたわ。ずっと黙っとるなあ思ってたけど、さすがに娘が告白されとんは見てられへんかったか。


 言葉のチョイスもナイスやね。二度と関わりたくないって思ったもん。




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