第4話 やっと。
なぜか僕の指は幼いころから上手く動かなかった。弱い力ながらもなんとか物を持つとかボールをつかむことは出来たが、持ち上げることが出来なかった。
訓練をして、一キロくらいの物なら持ち上げることが出来るようになった。だが、音楽家になるなら必修になり、持つことはともかく押すことが苦手な僕にとって関門が母の教える細かい動作のピアノだった。
音楽は幼いころから好きで、僕は歌が上手かったことから両親から将来は音楽家だと言われたが、鍵盤を押す力は弱く、どうにか鍵盤を押させようとした母親に恐怖を感じ鍵盤に触れなくなった。
将来は音楽家だと言われて、音楽家の端くれになれたのだから両親は驚き感動してもいいだろうと思う。
僕は実家のある地鉄の駅を降りた。駅の周りには大きな建造物は無い。駅とロータリーとバス停とタクシー乗り場。
「せめて喫煙所くらい作ってくれよ」
歩きたばこで捕まったら面倒なので、僕は煙草をポケットに戻した。
ここから歩いていくのは少し遠い。少し丘の方へと登らねばならぬ。
こんな暑い日だ。やはりタクシーを呼ぼうと思って、配車センターにかけるとすぐに向かえるタクシーは無いという。
電話を切って舌打ちをするとベンチにおろしていた荷物を再び持ち上げた。
大したものは入っていない、両親への土産とばあちゃんへのお土産だ。
アパートの部屋にある台の上にいくつかのリュックとトートバッグがある。
いつも僕は使ったリュックを台の上に置き、物を出し入れすることで一キロを超える荷物でも肩にかけてしまえば移動が出来てしまう。
家を出る前にリュックの上とサイドケースの方へ大事にして入れているものを僕は確認した。これを入れるのはなかなか大変だった。
「
ばあちゃんはいつもたたみの部屋で壁にもたれ座っていた。戦争か地震か、ばあちゃんの足が悪いのはそのどちらでもない。
ただ子どもに聞かせていい話ではない、そこまで僕は察していなかった。僕が中学三年生の頃の話だ。
ばあちゃんはこの家で一番立場の低い僕を責めた。足が悪いのは家族のせいだ。私が旦那に暴力を振るわれているのを黙っていた。お前の両親が悪い。そんな強くて悲しい感情が見える度、僕はどうしようもなく悲しくてばあちゃんが哀れだった。ただばあちゃんもはたと気づくようで、優しく申し訳なく謝るのだ。ごめんな、お前に聞かせる話では無かった。ごめんよ、ごめんよ。
「私はあんたたちを好きになれないけど、忠の歌は好きだよ」
僕が高校二年になるころ祖父の葬儀の精進落としで上座に座るばあちゃんは料理に箸をつける前に言い放った。
そのままむしゃむしゃと食事を食い始めた。
あまりに遠慮がないものだから、父が慌てて止めた。
「母さん、そんなに急いで食べたら喉詰まらせるよ」
「ああそうだい、私は食事で喉を詰まらせて死んでもいい。そうしたら保険金が下りるだろう。弁護士の木佐先生に私の保険金は忠に入るようにお願いしてあるんだ。土地や建物、証券はあんたたちが持っていくといいよ。でも保険金には手を出させない」
そう啖呵を切ったばあちゃんは結局喉を詰まらせることなく、お食事を全てたいらげた。
ばあちゃんは今年で八十になった。今回の久しぶりの帰省はばあちゃんへの奉公だ。足が悪かったばあちゃんがついに腰を悪くし、膝を悪くし、肺を悪くした。
主治医がこのまま良くはならないし、悪くしかならないと両親に告げた。認知機能も落ちて、認知症になり家族の負担になる前に施設に入れた方がいいという見立てだった。
父は最後にばあちゃんに会いに来てくれないかと頼んできた。あのバンド活動はどうかと思うと僕を拒否していた両親が帰って来て欲しいと言ったのだ。自分の存在を認めてくれた、もう感動的だった。やっと認めてもらえた。
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