熱暴走
池田ケン
スキゾフレニア
「ジリリリリリリリリリリリ」
やけに頭に響くアラームを反射的に止める。
匂いはいつもと変わらない。男の汗の匂いが染み付いた。そんな匂い。
「....」
俺はとりあえずルーティンを守るように。寝そべったまま右手をバタバタさせた。
「……」
10回程度行っていると何か物にあたる。携帯だ。
意を決して目を開け時間を確認する。時間は10時30分を指していた。土曜日だ。
「ふう」
昨日も中々寝付けなかった。寝たという充足感がない。気絶したという表現が正しい。
まだ寝足りなく頭痛がする。気持ちの良い朝なんて幻想だ。
「ちゃんと今日も俺だ」
そんな当たり前の事実に安堵するのだった。
______________________________
「ザァァァァァァァァァァァ」
特に意味もなくシャワーを浴びることにした。おなかはすかない。
しかし、生きるためには食べなければならない。本当に。生命活動のため最低限の食事をしている感じだ。
果たしてこれが生きていると言うのだろうか。
何にも喜びを感じれず怒りも感じない。何を行っても、ただ虚しいだけなのだ。
「ザァァァァァァ...キュッ」
シャワーを止めた瞬間。世界も止まる。しんとした浴室に心臓の音だけが残った。
「.....」
俺はただ椅子に座りながら項垂れる。
俺は元来。明るい子だった。友達は多くて。悩みなんてなくて。
大学生までは精神病なんて心の弱いやつがなることだと思い込んでいた。どんな時でも前を向く。それさえできれば未来は明るくなる。
そう信じていた。
俺は丁度ひと月前まで働いていた。大きな会社で。入社してからかなり順調だった。持ち前の明るさで職場の人間に気に入られ。持ち前の要領の良さで仕事を覚えた。楽しかった。充実していた。そんな俺に転機が訪れる
「田中くん。この入札案件のリーダーを任せていいかな?」
俺にとって初めての大仕事だった。それはもう全力で。忙しくも楽しい日々は一瞬で過ぎていく。
「先輩!いよいよ明日ですね!」
「ああ。めちゃくちゃ緊張する...」
ビールを一気に喉にかき込む。前祝い。験担ぎの意味もある。後輩との飲みだ。
「でも大丈夫ですよ!こんなしっかり準備したんです!俺...頭の中に全部仕様叩き込んでます笑」
戸田は自慢げに胸を叩く。
「それくらいは当たり前だろ...俺なんてもう全てを理解している」
「全てってなんすか笑」
そんなたわいもない会話が心地よかった。これだけ頑張ったのだから報われて当然だ。そう思っていた。
「じゃあ先輩!寝坊しないでくださいね!」
そう戸田に言われ解散した。
俺は次の日。寝坊した。
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「ハアハア」
必死に走り。1時間遅れで。なんとか会場にたどり着いた。会場の入口には戸田が立ち尽くしていた。
「せ、先輩」
「ホントすまん。本当に。本当に。ど、どうなった?」
「....」
脳内がまとまらない。思考がショートする。
「(なんでだ?お酒もそんなに飲んでいなかった。寝る時間もいつもより3時間はやい。どうして?なぜよりによって今?今日?)」
心臓がバクバク鳴る。すると戸田が口を開いた。
「...担当が来ない会社に任せる案件はない。って入れてすら貰えませんでした。」
「ッ!」
理不尽を感じた。俺が100パーセント悪いのに。
それでも。初めてで。必死に頑張った物を。見てすら貰えないなんて。
「せ、先輩...」
「....」
何も言えなかった。いや。何も言う資格がなかった。
「...幸いにも会社には入札出来たか、出来なかったかしか伝わらないっす...もちろん虚偽報告はダメですが「入札は失敗した」しか伝えなかったらまだ大丈夫かも...ッス」
「....」
情けなかった。本当に情けなかった。俺だけじゃない。戸田も歯ぎしりをするほど悔しいだろうに。俺を立ててくれた。
「ああ...」
俺の心は。ポッキリ折れてしまった。
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その後の事はあまり覚えていない。どうやら会社には俺たちの情報しか入らなかったようだ。
その事実がより俺を失意にたたき落とした。
だってそれは、報告すらする意味が無い。見捨てられたと同義だからだ。
会社のみんなは励ましてくれた。もちろん。真実を知っているのは戸田だけだ。
特に戸田は本当に優しくしてくれた。
「先輩!次!何やりますか!」
眩しい。でも今の俺には前に進むエネルギーがない。俺は休職した。本当は退職したかった。
一件が原因で俺は些細なミスを繰り返すようになった。いつしか怒られない働き方をするようになっていた。そんな。申し訳ない気持ちが重なり直訴した。しかし、有難いことに1度自分を見直せと。引き留められた。居場所はまだある。その事実だけが俺の心を薄氷1枚でこの世に留まらせた。
「...!!!!」
俺は怒っていた。壁を何度も殴った。殴った。殴った。しかし、気は晴れない。当たり前だ、自分が全て悪いのだ。憎い、憎い、憎い。
憎しみに悶えて。1週間が経過した頃。俺の心にはポッカリと穴が空いていた。壁に空いた穴よりも大きい。そんな穴が。
______________________________
あれ以来、夜が怖い。遅刻なんて人生で1度もしたことが無かった。なんであの時。あのタイミングで。悔やんでも悔やみきれない。喉を掻きむしるほど。慟哭は溢れる。疲れて。疲れて。食欲もわかない。
何をしようにも、寝坊した時が。フラッシュバックする。
いつしか。あれから2ヶ月が経過し、8月になっていた。毎日。朝起きたら夢から目覚めますように。何者かに変わってますように。そう願う日々。自分から立ち直る意思は完全に消えていた。
「....」
俺の顔は無精髭だらけになっていた。小学校の周りを歩くだけで通報されそうだ。
今日は本当に暑い日だった。ゴミを捨てに外に出ただけで溶けてしまう。蝉がうるさい。どうせ2週間で死ぬのに。
「....」
死んでるも同然の俺が言えたセリフじゃないか。まだ状況が好転する気配は無い。俺だけでは無理だ。何かきっかけが無いと。
「リリリリリ」
ふと音が響く。私用の携帯だ。社用からではない。ということは。
「はいもしもし。田中です」
「優希!久しぶり!」
電話の主はお母さんだった。
「最近仕事は順調なの?」
「....うん」
俺は。勘づかれないようにそう答える。母親に心配をかけたくない。
「順調かな。最近なんか大きなプロジェクト任されちゃってさ...大変で大変で。本当に。大変で...」
言葉に詰まる。本当は辛くて。誰かに相談したい。でも。俺から相談したら駄目になる気がして。
「そう...」
「....」
頭がぼーっとする。朝からクーラーをつけてないからだろうか。蝉の音だけが響いている。熱いはずなのに布団にもぐり。電話をしている。
「優希がさ。小学生の時覚えてる?」
「え?」
「優希がさ。6年生の時。卒業式の代表に選ばれた時よ」
「ああ...みんなの前で発表するやつか。覚えてるよ。」
「あの時さ。優希卒業式の前日に泣いちゃったのよね。自分なんかが務められるのかって。」
「はは。覚えてないや」
「優希は昔はよく泣いてたから。逃げても良いのよって。」
「うん。」
「そしたら当日にはさ。もう凛とした顔しててさ笑 」
「....」
「でもね。やっぱり辛いことがあったら。逃げていいから。大丈夫。自分が消えても。社会だけは回っていくわ。いつでも逃げれるくらいが調度良いでしょ?」
「......うん。ありがとう」
「ほ⬛︎!それ⬛︎ね。今日電⬛︎⬛︎たのはお菓子のことなの!めちゃくちゃ美味しいシュ⬛︎クリームが手に入ってね!」
「あん⬛︎⬛︎日休みでしょ!この後行⬛︎からね!」
電話はそこで切れた。もう。蝉の声すら聞こえない。
______________________________
暑い。ただただ暑い。
俺は道路を歩いていた。最近の日本はおかしい。何か少しずつ変になっている気がする。
何も根拠はない。でも、確かに少しずつズレていってるような。そんな不安が僕の心を燻る。
「.....」
ただただ歩く。歩く。歩く。この道に終わりはあるのか。蜃気楼が俺を見て笑っている。笑っている。道路も笑っている。俺は一人だ。
風すらない。北風と太陽ですら風はあるのに。私には太陽しかない。ジリジリと私を焼き。そのうち、私は灰になって。あなたの元へと向かうのです。ゆらゆら。ゆらゆら。とても気楽だ。
「....」
いつしか本当に身体が揺れていた。ここは本当にどこなんだろう。いや。俺は誰なんだろう?少し前に何があったかも思い出せない。なにか思い出す為に振り向いても。そこは僕が歩いてきた道しかない。そうか。オレってこんなに孤独だったのか。果てのない旅路。終わりがない。終わりすらあるかも分からない。
「ハア...ハア」
いつしか息も切れてきた。胸が苦しい。誰か助けて!この不快感が頭から離れないんだ。手から音がして。ドクンドクン。俺は逃げられない。
「ハッハッハッ」
俺は走り出す。
私といふ現象は。仮定された有機交流電燈のひとつの青色の照明なのだから。我々ができることは今を生きることなのです。走るのです。
「....」
私って誰だ?「我思う故に我あり」私は私。本当に?私ってなに?人間って?ああ。なんだ。私たちはそんな所までしかたどりつけてない。
あなたは偽物。私は偽物。この世界は偽物。じゃあ本物は?ハイデガーは無を証明しようとした。でもさ。無って本当にあるの?無を俺たちが認識してる時点でそれは有なんじゃないのか?
「フッフッフゥ」
スピードがあがる。脳内が加速する。それは光のように。回路を焦がすように。オーバーヒートしていく。
「⬛︎⬛︎⬛︎輩!⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!」
うるさい。俺に優しくしないで。あなたは偽物。この世界はきっと。最初から。考えるほど。思考するほど。何も無い。
「あ」
ふとこの道の終わりが見えた。オアシスだ。湖だ。でも本当に?
俺は焦りを隠せない。焦燥は体を動かす。いても経っても居られない。足を動かせ。手を動かせ。思考を止めるな。
「...ッ!ゥぉぉおお」
俺は飛び込む。あたりは真っ暗だ。熱が引いていく。頭がクリアになる。ここは俺の部屋。
「ハアハア」
目の前が歪む。頭の歪みと同じ角度になる。私は総理大臣なのだから...はやく記者会見しないと。
「パァァン!」
田中選手。ホームラン!新記録です!
おい、お前笑うなよ
はい?
お前偉そうなんだよ。
なら階段を昇ってください?そこに答えがあるはず。
ぼーっと。熱に浮かされ。走る走る。階段が俺の足を掴んでくる。
優希⬛︎今度ま⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎いこ⬛︎⬛︎⬛︎
⬛︎希君⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎だよ
きらきら階段が壁ごと光っている。
はやくはやく
ドアを開ける。気持ちが良い。ああ!あそこにオアシスはあったのか!急げ急げ!落ちないように!
優⬛︎!?⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!
先輩!⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!?
なんて言ってるんだ?分からない。人間の言葉を使ってくれないと。
「お」
したにはかいしゃのメンバーがいた。なぜかははおやもいる。
みんな!おれ。あやまらなきゃいけなくて!また戻ってもいいかな!
[いいぞ!はやくこっちに来い!]
いま、いきます!ああ。俺は自由だ!
______________________________
「田中先輩は凄いんです!あの若さであんな大きなプロジェクトを任されるなんて!」
「優希。そんなことしてたのね...」
私は優希の家にお菓子を届けに行く途中、戸田くんと偶然出会った。出会ったのは優希が飲み会で潰れた時に運んできた以来だが。よく覚えているものだ。
「戸田さんも何か差し入れるの?」
「僕ですか!僕も差し入れをちょっと笑
1週間に1回は訪れてるんですけど開けてくれなくて...でも玄関の前に置いておくと消えてるんですよね!だから意味はあるかなって!」
そう言うと戸田くんはカバンを漁り出した。
「これです!」
「ポカリと手紙?」
「はい!先輩。僕のLINE消したんすよ...だから手紙で思いを伝えなきゃって!はやく待ってますよって!」
あの子。やっぱり何かあったのね。
「良い後輩を持ったのね。」
「良い後輩なんかじゃないです!僕はただ先輩のことが知りたいだけで。利用してるだけです!」
「ふーん。手紙にはなんて書かれたの?」
聞いてはいけない気がした。でも。
「先輩って1人で抱え込む癖があるんです!だから僕たちがいるって!そう書いただけです!」
「...きっと元気になると思うわ。」
「お母様こそ何のお菓子なんですかそれ」
「これはね。シュークリーム。本当にあの子シュークリームが好きなのよね。虫の知らせかしら。ものすごい急に不安になって。」
「めちゃくちゃ元気出るやつじゃないですか!先輩の喜ぶ顔が楽しみっス!」
「ふふ。だといいわね。あの子昔から落ち込む時はどん底まで落ち込む癖があって。その時にシュークリームを食べると元気になるの。その時の嬉しそうな顔が忘れられなくて。親バカね」
「良いお母さん持ちましたね笑」
私たちは歩く。歩く。
「あれ?なんか。人だかりが出来てますね。何なんでしょう。」
社会が1人消えても社会が回るように。世の中は動いていく。熱を帯び。ひたすら。機械的に。
熱暴走 池田ケン @HHH01
★で称える
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