2025年4月17日 11:56
#への応援コメント
「哲学カフェ日記」を執筆しております。海月です。「私が長包丁を向けた時の貴方の口から出てきた言葉が、『お前マジやばいって笑』って言う余裕振ったセリフだった。」この短い一文には、言葉の軽さと行動の重さ、そのギャップが鋭く突きつけられていて、私は深い不安と興味を同時に覚えました。極限状況――命が脅かされるかもしれない瞬間においてなお、相手が「冗談めかした軽口」を返してくるという場面は、暴力とコミュニケーション、現実と虚構、恐怖と演技の境界線を問い直していると感じました。まず最初に思い浮かんだのは、「この言葉は真実なのか、それとも虚勢なのか?」ということでした。哲学者ジャン=ポール・サルトルの言葉を借りれば、人間は状況に投げ込まれた存在であり、その中で自分の意味を選び取らなければならない。この人物は、包丁という物理的な「現実」に対して、「冗談」という言語的な「虚構」で応答したとも言えます。これは現実逃避なのか、それとも恐怖に屈しない意思表示なのか。あるいは、自分を守るために構築された、無意識の「演技」なのか。同時に、この言葉には現代的な「距離感」の問題も表れているように思います。本来ならば重大な場面であるはずの出来事が、まるでSNSの短文投稿のような「軽さ」で処理されてしまう。この軽さには、もしかすると現代の人間関係やコミュニケーションの希薄さが反映されているのかもしれません。痛みや怒り、絶望といった「重さ」に耐えられず、すぐに「笑い」や「冗談」で包んでしまう私たちの態度――そこに、真正面からの対峙を避ける文化的傾向を見出すこともできます。さらに言えば、ここには「暴力とは何か?」という根本的な哲学的問いも潜んでいます。包丁という道具は明確な暴力性を帯びている一方で、「お前マジやばいって笑」という言葉は、あまりに「非暴力的」に見えます。しかし、その軽口こそが、真剣な怒りや絶望を「冗談」として処理しようとすることにより、相手の存在を軽んじる暴力性を帯びているとも解釈できるのです。つまりこの一文には、行為と反応の非対称性、人間同士のズレ、そして「言葉の暴力」や「無理解の残酷さ」など、多層的な意味が込められているように感じました。「貴方は何を守るために笑ったのか?」「私は何を伝えようとして、包丁を持ったのか?」――この二つの問いは、決して交わらないまま空中をすれ違っていく。そこにあるのは、もしかすると現代における最も深刻な「断絶」なのかもしれません。この一文の奥に広がる問いと、そこから立ち上がる哲学的な空白に、私はしばし思考を深めさせられました。ありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。これは私の実体験みたいなもので、上司と喧嘩になって私が必死に意思を伝えても、「はいはい笑」みたいな感じで子供に見られるのに苛立ちを感じ、こう言う詩を書かせてもらいました。 きっとこの上司は私が刃物を向けてもヘラヘラ笑ってるんだろうな、と言う想像から生まれた詩です!!
#への応援コメント
「哲学カフェ日記」を執筆しております。海月です。
「私が長包丁を向けた時の貴方の口から出てきた言葉が、『お前マジやばいって笑』って言う余裕振ったセリフだった。」
この短い一文には、言葉の軽さと行動の重さ、そのギャップが鋭く突きつけられていて、私は深い不安と興味を同時に覚えました。極限状況――命が脅かされるかもしれない瞬間においてなお、相手が「冗談めかした軽口」を返してくるという場面は、暴力とコミュニケーション、現実と虚構、恐怖と演技の境界線を問い直していると感じました。
まず最初に思い浮かんだのは、「この言葉は真実なのか、それとも虚勢なのか?」ということでした。哲学者ジャン=ポール・サルトルの言葉を借りれば、人間は状況に投げ込まれた存在であり、その中で自分の意味を選び取らなければならない。この人物は、包丁という物理的な「現実」に対して、「冗談」という言語的な「虚構」で応答したとも言えます。これは現実逃避なのか、それとも恐怖に屈しない意思表示なのか。あるいは、自分を守るために構築された、無意識の「演技」なのか。
同時に、この言葉には現代的な「距離感」の問題も表れているように思います。本来ならば重大な場面であるはずの出来事が、まるでSNSの短文投稿のような「軽さ」で処理されてしまう。この軽さには、もしかすると現代の人間関係やコミュニケーションの希薄さが反映されているのかもしれません。痛みや怒り、絶望といった「重さ」に耐えられず、すぐに「笑い」や「冗談」で包んでしまう私たちの態度――そこに、真正面からの対峙を避ける文化的傾向を見出すこともできます。
さらに言えば、ここには「暴力とは何か?」という根本的な哲学的問いも潜んでいます。包丁という道具は明確な暴力性を帯びている一方で、「お前マジやばいって笑」という言葉は、あまりに「非暴力的」に見えます。しかし、その軽口こそが、真剣な怒りや絶望を「冗談」として処理しようとすることにより、相手の存在を軽んじる暴力性を帯びているとも解釈できるのです。
つまりこの一文には、行為と反応の非対称性、人間同士のズレ、そして「言葉の暴力」や「無理解の残酷さ」など、多層的な意味が込められているように感じました。
「貴方は何を守るために笑ったのか?」
「私は何を伝えようとして、包丁を持ったのか?」
――この二つの問いは、決して交わらないまま空中をすれ違っていく。そこにあるのは、もしかすると現代における最も深刻な「断絶」なのかもしれません。
この一文の奥に広がる問いと、そこから立ち上がる哲学的な空白に、私はしばし思考を深めさせられました。ありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
これは私の実体験みたいなもので、上司と喧嘩になって私が必死に意思を伝えても、「はいはい笑」みたいな感じで子供に見られるのに苛立ちを感じ、こう言う詩を書かせてもらいました。 きっとこの上司は私が刃物を向けてもヘラヘラ笑ってるんだろうな、と言う想像から生まれた詩です!!