CASE3:目隠し鬼
世代交代
「この骨董品、動くんですか!?」
真昼の探偵事務所に、素っ頓狂な声が響いた。
声の主は、本日より所員として働くことになった真珠姫――もとい、樋口一花だ。
今日は淡いピンクの髪をツーサイドアップに結い上げ、根元には苺の飾りがついたリボンを結んでいる。マゼンタのカラコンには小さなハートが描かれており、あまりその手のお洒落に明るくない雪乃には、コンタクトに絵が描かれていたら視界不良にならないのかという、情緒のない疑問が浮かぶばかりであった。服装も淡いピンクのフリルカットソーと黒の膝丈ジャンパースカートで、襟元に結ばれたリボンの中心に髪留めと同じ苺の飾りが揺れている。
一花は、以前春盟地区を中心に発生した連続飛び降り事件――通称、天使の呼び声事件――の依頼人であった。例の事件被害者の一人が彼の同僚だったのだが、職場が女装コンカフェという一般に目立つ職業であることや、飛び降り直前の言動が奇異で衆目を集めるものだったこと、更に、動画配信者が飛び降りの一部始終を撮影・配信したことなどにより、コンカフェの所在と業態が客層の範囲外にまで拡散。際限なく野次馬が集まり営業不可能なまでになってしまったため、無期限営業休止となった。
そうして仕方なく次のバイト先を探していたところ、京極探偵事務所の求人募集を発見、応募したということだった。
一花は元々コンピュータに強く、先の事件でもその能力に助けられている。
所長との面接はあっさり終わり、では今日から此処で仕事を開始してもらおうかと事務室に案内した矢先の、驚愕の声である。
「は、箱形……僕、実物初めて見ました……」
恐る恐る電源を入れると、鈍い稼動音が箱の奥から響いた。
続けてガリガリ、ザリザリという何とも言えないノイズが聞こえだし、ビープ音に似た謎の音声が発せられる。時折甲高い耳鳴りのような音を交えながら鈍いノイズを発し続け、ファンが回り始めると今際の吐息のような掠れた音が奥から発せられた。と思えば今度はバイクの排気音かと思うほどの爆音が辺りに響く。
そろりと胸元で握られた手と強ばった表情が、一花の緊張を伝えている。
通常立ち上げに十秒掛かるかどうかであるところ、五分経っても画面がつかない。これは本当に動くのか、それともたったいま寿命を迎えたのではあるまいかと思っていると、突然に晩夏の蝉の断末魔を思わせる激しいノイズが辺りに響き渡り、一花は今度こそ跳び上がって傍にいた雪乃に縋り付いた。
「本当に大丈夫なんですか!? 爆発しません!?」
「しないしない。二十年使ってて爆発したことなんて一度もない」
「二十年!?」
自分とほぼ同い年であるパソコンを、畏怖と尊敬と戦慄の籠もった目で見つめる。電化製品は毎年新製品が出る。とはいえ毎年新品を買う人はそういない。しかし十年単位で使う人もまた稀であると思っていた一花は、その二倍の数字が飛び出してきたことに、心底驚いた。
どれほどの時間、息を詰めて見守っていただろうか。
漸くトップ画面が現れて、一花は一先ず安堵の溜息を吐いた。しかし、依然として騒音がひどい。なにかを動かす度に「どっこいしょ……」と気合いを入れているかの如き緩慢さとノイズがあるようでは、安心して業務を行えない。アプリを開いた瞬間画面が白く固まるのも心臓に悪い。挨拶代わりにブルースクリーンが出てこないのが奇跡なくらいだ。
「動くことはわかりました。けど、あの、凄く申し訳ないんですけど、正直これじゃ仕事にならないです……」
入って一日目の新入りが職場の備品にもの申すなんて、と思いつつも、立ち上げに十五分かかるパソコンを扱うのはあまりにも恐ろしい。
確かに動く。動きはするが、此処までがんばってくれたのだから、もう勇退という形で前線から退いても良いのではないかと一花は思った。
「そうか。では、所長に言って買い換えるとするか。購入は任せる」
「えっ、いいんですか?」
腕にしがみついたまま雪乃の顔を覗き込んで首を傾げる一花に、雪乃は頷く。
これまでは、ただ収支計算をして保存することが出来ていれば良かった。そのためインターネットにも接続しておらず、使用するのもほぼ事務員の薔花のみであった。電源を入れてから書類を取りに行き、珈琲を入れて戻ってくると丁度良かったため、立ち上がりが遅いことも特に不便には思っていなかった。
その話は此処へ来る前に一花も雪乃から聞いており、ゆえに購入製品も薔花が選択するものだとばかり思っていたのだが。
「パソコンが普及し始めた頃に購入したものを使い続けていることからもわかるかと思うんだが、事務所にこういったものに詳しい人間がいないのでな。どうせなら一番使う者に任せたほうがいいだろう」
「それはそうですけど……じゃあ、僕の初仕事は買い出しですか?」
「ああ。そうなるな。薔花さんと行ってきてくれ」
「はーい」
明るく答えると、一花は雪乃から離れて「行ってきます」と敬礼し部屋を出た。
二階にある事務室を出て、階下へと足取り軽く降りていく。行き先は春盟地区で、先の事件があったばかりで戻りづらい気持ちはあるが、しかし一花が最も好きな街も春盟地区だった。適度に騒々しく、良くも悪くも他人との距離が遠い。
電脳繁華街とも呼ばれる春盟地区はMR技術が発展しており、店の看板や宣伝灯の他、MRロイドと呼ばれる独立した宣伝マスコットが住民のような顔で街を闊歩している。春盟地区の電器店で売っているMRゴーグルやコンタクトを使用すればMRで上書きされた街を歩くことが出来、様々なアプリを導入すれば自分だけのカスタムがされた街を作ることも可能である。
開発当初はARのみでデバイスもスマートフォンかタブレットのみであった。だが近年AR技術の開発が進み、視界を遮る大きなヘッドセットを使用しなくともMRを展開出来るようになったことで、街は一気に発展した。
MRカフェでは客も店員も全員MRアバターを身に纏い、エモーションアイコンやメッセージウィンドウを用いてゲームキャラクターのように振る舞うことが出来る。MR脱出ゲームの施設では当然ながらMR技術を随所に盛り込んだ仕掛けが満載で、デジタルゲームの世界に迷い込んだような没入感を味わえる。
こうして仮想と現実が混じり合った空間が、春盟地区の大きな特徴である。
「――――だから、たぶん僕が見てる景色と薔花さんが見てる景色は全然違ってると思いますよ」
一通り街を案内、説明した一花がそう言うと、薔花は感心したように溜息を吐いて辺りを見回した。
「だから此処にはゴーグルや眼鏡をつけた人やコンタクト使用者が多いのね」
「そゆことです」
街中には、一見するとサングラスやスノースポーツで使うゴーグルにしか見えないMRゴーグルや、様々な色のカラコンを着用している人で溢れている。この街で働く人は九分九厘MRデバイスを装備しており、出入りの多い利用者も同様に複合現実の世界を楽しんでいる。
MRデバイスのない人から見れば黙って向き合っているだけに見えるカップルは、実際にはエモーションアイコンやスタンプを送りあっていて、なにもない空中に指を滑らせているように見える人は、MRパネルを操作しているだけだったりする。
「そのコンタクトは誰でも買えるのかしら?」
「はい、買えますよ。眼科の診断書があれば何処でも行けますけど、なかったら診断してくれるところもありますし。ただ、最初はゴーグル型がお勧めですね」
「あら、それはどうして?」
「コンタクトのが単純に高いのと、あとMRに慣れてないと結構酔うんです。なので最初は安価で酔ったらすぐ外せるゴーグル型がいいと思います」
「なるほどねえ」
薔花が感心して呟いたときだった。
背後から伸びてきたMRの手が、一花の視界を塞いだ。
驚き固まる一花の耳に、吐息を伴わない声が掛かる。
『だーれだ?』
その声は、先の『天使の呼び声事件』で飛び降りた、同僚のものだった。
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