未来のお話23

 ジナビアス王国の仕掛けによるレプミア侵攻から二十年余り。

 我がアルスヴェル王国も王城に巣食う裏切り者達のせいで参戦を余儀なくされたが、その戦を終わらせた立役者の一人こそヘッセリンク伯爵レックス・ヘッセリンクだった。

 背は高いが高すぎることもなく、引き締まっているが筋肉質というわけでもない、ニコニコと笑う穏やかかつ優しげな男。

 しかし、そんな虫も殺しそうにない見た目とは裏腹に、必要があれば他国の王の暗殺も辞さない非情さと冷酷さをもつのがヘッセリンク伯だ。

 そんな彼がいなければ、戦は長引き、国は疲弊し、今の穏やかな日々はもっと違ったものになっていただろう。

 

「父上、お呼びと伺いましたが」


 ある日。

 私は領内の警邏から戻った三男を部屋に呼び出した。

 そう時間をかけずにやって来た三男ラウドルに座るよう促し、私もテーブルを挟んだ正面に腰掛ける。


「忙しいところすまないなラウドル。領内の様子はどうだ。何も変わりはなかったか」


 私の問いかけに微かに首を傾げるラウドル。

 それはそうだろう。

 普段、こんな会話はしないのだから。

 それでも、聞かれたことに答えるべく息子が口を開く。


「領内は穏やかそのものです。ただ、南にある川で溺れている子供がいました。前日の雨で増水しているようですから、周辺に住む者達に注意を促す必要があるかもしれません」


「子供が? 無事だったのか?」


 私が身を乗り出して尋ねると、ラウドルが落ち着けとばかりに片手を突き出しながら頷いた。


「ええ。間一髪のところで助け上げることができました。子供は領の宝。それを救えたのだから、無駄飯食らいの道楽にも少ないながらに意味があったというわけです」


 無駄飯食らいの道楽とは、このラウドルがいつの頃からか始めた領内の警邏活動のことだろう。

 領主の息子たる自分が直接出ることで得られる成果がきっとあると、雨の日も風の日も衛兵達と共に休むことなく各所に足を運んでいる。

 無駄飯食らいの三男が行う道楽がてらの警邏。

 本人は謙遜を込めてそう口にするが、この活動を通して領民達からラウドルへの支持は非常に高い。

 それはいいことだと思う反面、両手を挙げて送り出せない事情もある。


「……助け上げたというからには、お前自身が川に入ったのか」


 私の問いに、当然というように首を縦に振るラウドル。


「もちろん。私の供をしてくれる衛兵達はあくまでも父上の家来衆です。命を危険に曝せと、私の口からは言えません。ならば私が行くしかないでしょう」


 親の力は自分の力だ、などと勘違いすることに比べれば親としてほっと胸を撫で下ろすべきだろうが、この息子はどうも行き過ぎている。


「無茶をするなと口を酸っぱくして言い聞かせているつもりなのだが、不思議なくらい届かない。しかも、独力で成し遂げてしまうところがお前のよろしくないところだ」


 子供が溺れたと聞けば川に飛び込み、家が燃えていると聞けば真っ先に突入し、喧嘩だと聞けば割って入る。

 そんな話が一つや二つで済まないうえに、そのいずれにおいても怪我なく収めて帰ってくるのだから始末が悪い。

 これで調子に乗って痛い目にでも遭ったならそれみたことかと言えるのだが、本人に調子に乗る気配など一切見当たらず、むしろ常に自らを戒めるような言葉を口にするに至っては褒めるしかないという状態だ。


「あっはっは! まさに独力で成し遂げるというところに意味があるのです。なんせ、幼い頃からの夢であるヘッセリンク伯爵家への婿入りが目の前に迫っているのですから」


 そう。

 この日息子を呼んだのもその話をするため。

 

「今更だが、本当にいいのか?」


「と、仰いますと?」


 きょとんとした顔でこちらを見つめてくる息子。

 本当にわかっていない様子の顔を見て、自然とため息が漏れる。


「今の流れで、ヘッセリンク伯爵家との縁談の話以外ないだろう。お前の強い希望に沿って先方に打診はしたが、国内からもぜひお前をと強く希望する声は複数あるのだ」


 現在、我が家とヘッセリンク伯爵家の間で縁談の準備が進められており、持ち掛けたのもこちらだが、国内の有力貴族との縁を繋ぐ方向に舵を切るというのも決して間違いではない。

 しかし、息子にその意思は微塵もない様子で、嬉しそうに笑ったあと、急に瞳をぎらつかせてみせる。

 

「そのような話が出るということは、私の幼い頃からの積み重ねがアルスヴェル国内で認められたということですね? よかった。国内で評価されないようでは話になりませんからね。これで、自信を持ってヘッセリンクとの縁談に臨めるというものです」


 ヘッセリンク伯爵家への強烈な憧れと、どのような形でもいいからいつか縁を結ぶのだという執念。

 その二つを胸に生きてきたような息子は、気合いを入れるように頬を張ると、自分に言い聞かせるように呟いた。


「ただ、油断はできません。相手は、救国の英雄ヘッセリンク伯爵様のご息女。なんでも、自らも『暴竜姫』の二つ名を冠しているとか。ならば、お会いするその日まで研鑽の手を止めるわけにはまいりません」


 もう十分だと、お前が無理なら我が国にヘッセリンクを射止めることのできる男はいないと、そう伝えようかと思ったが、これまでの経緯を考えればそれらの言葉もきっと無駄になるだろう。


「確かにヘッセリンク伯爵家の素晴らしさを幼いお前に幾度となく聞かせたのは私だが、ここまで入れ込むと誰が想像できたというのか」


 ラウドルがヘッセリンクに憧れるきっかけは与えたのは間違いなく私だ。

 しかし、まさか幼い子供がそれだけを以って人生の目標を定めてしまうなんて思わないではないか。

 意図せず、そんな後悔が声に滲んだらしい。

 息子が小さく笑う。


「奥方様とたった二人でジナビアスの城に潜入し、数多の強敵との激闘を潜り抜けた末に悪しき先王を打ち倒した英雄レックス・ヘッセリンク。目の前に、そんな憧れのヘッセリンクとの縁を繋ぐ機会が巡ってきたのです。今更止められても、止まれはしません」


「わかったわかった。止めはしない。止めはしないが、先方から出された条件を忘れてはいないだろうな?」


 今回の縁談を進めるにあたり、ヘッセリンク伯爵家側から出された条件は様々あるが、その中でも、最もラウドルを困らせるであろう条件。


「……愛、ですね」


 そう。

 縁談申込への回答文にも他の文字より太く濃く記された『愛のない結婚は認めない』という一文。

 それを思い出したのか、ラウドルが困ったように眉を下げて頭を抱えた。


「幼い頃から様々鍛えてきたつもりですが、愛についての教本は見当たらなかった。先方との顔合わせまで時間もないことです。それがなんなのか。もっと真剣に考えてみたいと思います」

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