第33話 依頼3  星

「匠さんの怪我、全治一か月だって」

 週明け、朝のホームルーム前に綾見が大文字さん経由の診断結果を伝えてくれた。

「そっか……平気そうに振る舞っていたけど、やっぱりひどい怪我だったんだ」

「うん……。二見くんは大丈夫? 怪我してない?」

 綾見は申し訳なさそうに視線を落とす。彼女の落下をモロに受けたのは確かに僕だったが、受け止めきれずに一緒に落下してしまったので衝撃は少なく、目立った怪我もなかった。

「僕の方は大丈夫。そういう綾見は大丈夫なの? って、先に僕が綾見に聞くべき台詞だった」

 落ち込んでいるように見えたので少しおちゃらけて答えてみせたが期待した効果は現れず、

「私も大丈夫」

 小さな声が返ってきただけで、綾見は表情を曇らせたまま自分の席に戻っていった。 

 授業の内容は一切頭に入ってこなかった。頭の中は、あのときこうすればよかったという反省と、次回どう動くべきなのか、ひたすらケースを想像し、その中でのイメトレに費やしていた。……時々綾見の様子を伺ってみたが、前向きとは真逆の、後悔の念がありありと見て取れた。

「こっちの問題はなぁ……」

 イメトレしてみたが、掛けるべきベストな言葉は見つからなかった。だが、手をこまねいている訳にもいかない。気持ちの切り替えは大切なことだ。イメトレは所詮自分の頭の中で物事が進む。神様が自分だとどうしても都合の良い展開になる。結局のところ実践あるのみなのだ。

「綾見、放課後は暇?」

 昇降口で靴を履き替えている綾見に声を掛ける。匠さんの怪我もあったが、日曜日だった昨日と今日は大文字さんから休めと命令されている。昨日は泥のように寝た。身体が十分に回復した今日は心の回復に専念しようと思う。

「伯父さんから休めって言われてるし、予定は特にないけど……」

 それならば。

「クレープ食べに行こう」

 すかさず出た僕の言葉に綾見は最初ぽかんとしていたが、すぐに態度は豹変した。

「匠さんが怪我してるっていうのに何言ってるの!?」

 荒げた声に反応して周囲の視線が一斉に集まる。僕と綾見は普通に会話ができる程度のクラスメイト。仲が良い程度には思われているだろうが、それ以上の関係を想像されることのないように接してきた。だからこれはダメだ。激高するほどのケンカができる関係は普通のクラスメイトの範疇を越えている。我に返った綾見は気まずそうに、しかし軽蔑の色は消さないまま僕を睨む。

「また明日」

 それでも「明日」と言ってくれるのは綾見の性格だろう。

「何? 綾見さんに変なこと言ったの?」

 早足で帰る綾見と立ち尽くす僕を見比べながら、たまたま遭遇したクラスの男友達に声を掛けられた。目撃されたことは嫌だったが、我に返してくれたことには感謝しよう。

「なんでもな……くはない。怒らせたみたいだから謝ってくる」

 まだまだ聞き足りなさそうな友人を置き去りにして、僕は立ち去った綾見の後を追った。

 最初の選択から大失敗だ。少なくとも自分の意図はきちんと理解してもらわなければ。このままじゃ空気の読めない最低野郎だ。雨は降っていなかったが、梅雨特有の湿った空気がまとわりついて走った途端に汗がにじむ。綾見はバス停を通り過ぎてすたすたと早足で歩いていた。

「綾見っ!」

「どうして追ってくるの。二見くんバスでしょ」

「誤解されたままってのは嫌だ。ってか、綾見さんだってバスでしょ」

「家なら歩いて帰ろうと思えば帰れる距離だし」

「そうかもしれないけど、バスだと誰かに聞き耳立てられるのが嫌で、あえて歩きながら僕を待ってくれてたんだろ?」

「そういうこと思っても言う?」

 ようやく綾見はこっちを向いてくれた。その顔は図星を突かれた気恥ずかしさと怒りが変な具合に混じっていた。

「で? 誤解って? さっきの無神経な発言の意味って何?」

 綾見にまくし立てられ後ずさりしそうになるのを踏ん張って堪える。

「まずは綾見を怒らせちゃってごめん、謝る。僕はただ、綾見が落ち込んでいるように見えたから、切り替えるきっかけになればと思ったんだ」

「落ち込んで当然でしょ!? 私のせいで匠さんを怪我させたんだから」

「いやいやいやいや、私じゃなくて、『私たち』だろ? 綾見だけのせいじゃないよ」

「そんなこと言っても二見くんはクレープ食べにいけるくらい元気じゃない。そんなに責任感じてないんでしょ? はっきり言えば? 私が悪いって!」

 綾見が怒声を上げる。とりあえずは言い切ったらしい。……それなら今度は僕の番だ。

「僕が責任感じてないって、本気で言ってんの?」

 女子と口論なんて、小学生のとき以来だ。

「ふざけたこと言うなよ? 責任感じてるに決まってんだろ! そりゃ綾見が手を滑らせなかったら起きなかったことかもしれないよ? でも、僕が綾見を受け止めらなかったことだって原因の一つだ。油断してなきゃ、きっと受け止められんだ。綾見もそうだったんだろうけど、あのとき、自分たちの世界に戻れるって完全に気が緩んでた。緊張の糸が切れてた。それを後悔してないだって? 自分のバカさ加減にうんざりしてるよ! ……だけど、ずっと落ち込んでいてどうすんだよ。泣きたいのは匠さんであって、僕たちじゃないんだ。それとも何? 落ち込んだフォローまで匠さんとマリアさんにさせるのか? さらに迷惑掛けるつもりなのか!」 

 僕からの怒濤の反論は予想外だったようで、綾見は明らかに狼狽えている。

「……そんなつもりないっ」

「じゃあ切り替えろってば。昨日死ぬほど後悔したろ? だったら今日は切り替える日だ」

「……ムカつくけど、二見くんの言ってることは分かる。あと、自分だけがみたいに言ってごめん。でも、なんでクレープ?」

「教室の女子たちがクレープ美味しいって話しているのが聞こえたから」

 僕の陳腐な発想に綾見は吹き出した。

「うん、女子はクレープ好きだよ。でも、そのクレープ屋って学校の近くだから嫌かも」

 そんなに僕との関係を噂されるのが嫌なのかと凹みながら、

「じゃあ、たこ焼き」

 彼方屋の近くにあるたこ焼き屋を思い出して代替案を提示。

「それなら」

 いいよ、と綾見は頷く。青海苔が歯に付くリスクを天秤に掛けても目撃リスクより軽いのかと女子の気持ちは測れなかったが、たこ焼きを頬張り、互いに腹の中をすっきり(今は満たされているが)させることができた上に、今は笑い合えているので良しとしよう。

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