第11話 境界線
「あっ!」
本日最後の六限目、三十分を過ぎた頃に綾見が唐突に声を上げた。板書をしていた杉田愛先生も思わず振り返る。
「どうかした?」
尋ねられた綾見は教室中の視線を浴びながら「なんでもありません」と縮こまる。
「今日もあと少しだから集中して」
杉田先生が再び黒板に身体を向けると、僕はわざとシャーペンを落とし、拾うタイミングで綾見を見た。声だけで綾見にも視えたことは分かっていたが、やっぱり顔を見たかった。そんな彼女は、嬉しさを抑えきれない様子で僕の方をじっと見ていた。僕らの関係が学校で疑われるのは本意ではないだろうから、僕は気付かない様子を貫きつつ、精一杯の気持ちを込めて中学生時代に身に付けたペン回しを少し派手目に披露した。
事務所までに道程は互いに視えた境界線の様子についての報告に費やされた。僕も綾見も視えたのは数秒。お互いどんな感覚で、どんなタイミングで視えたのか意見を出し合ったが、原因は不明。分かったことはふとした瞬間に視えたことだ。たまたま目の焦点が境界線に定まったということだろうが、視えるための力は身に宿ってきたと思っていいらしい。
「感覚を忘れないうちに彼方屋で復習だ」
僕と綾見はモチベーション全開で彼方屋の扉を開けた。
「予想よりも遥かに早い。思ったとおり、お前たちには素質がある」
教室での出来事を大文字さんに話すと、彼は大きな掌で僕らの肩を何度も叩いた。衝撃ごとに喜びがビシビシ伝わってくる。
「広大たちが視たものは境界線で間違いない」
「私と匠より早く視えるなんて割と本気で凄いことよ」
居合わせた匠さんとマリアさんも驚きとともに祝ってくれた。
「この彼方屋にある境界線も視えるはずだ」
大文字さんが僕と綾見をソファに促す。
「今日中に視えたら、ゴールデンウィークに良いところに連れて行ってやる」
その一言に俄然やる気が湧いてくる。僕と綾見はソファ前の空間にあるだろう境界線に焦点を合わせようと身を乗り出した。
「視えた!」
先に歓喜の声を上げたのは綾見だった。
「今度は私の勝ちだね」
教室の時とは違い、今度はすぐさま僕に向けてブイサイン。やっぱり感情は隠さず出した方が気持ちいい。なるほど、今なら僕が教室で先に見つけたときの綾見の気持ち分かる。悔しさよりも嬉しさが先に込み上げてくる。
「どこにあった?」「えっと、このあたり」
綾見が指先でそこにあるらしい境界線を指でなぞった。
「ごめん、実はもう視えない。視えたのは一瞬だけ」
「恭子、よくやった」
大文字さんが口を開いた。
「広大は引き続き境界線を見つけろ。そして恭子は見つけた後の焦点の維持に努めろ。最終的には意識せずとも視える状態にもっていきたい」
僕らの後ろで見守っていた大文字さんが次の指示を飛ばす。遅れをとってはいけない、僕は綾見が指でなぞった位置に重点をおき、焦点を少しずつ変えながら必死に目を凝らしていたとき、はっと思い出した。教室で境界線が視えたとき、僕は眼鏡を外していたじゃないか。眼鏡を外すと視界は当たり前だがぼやけた。これで何とかならないか、目を細めながら僕は再び境界線探しに挑んだ。
……時間の経過は忘れた。一時間なのか、まだ数分しか経過していないのか。隣にいる綾見の声が聞こえないのは僕が集中しているからなのか、それとも綾見も同じくらい集中しているためなのか。とにかく、これほど集中した経験はちょっと記憶にない。
そしてついに、ようやく、やっと、満を持して、僕も彼方屋の宙に刻まれた境界線を視た。何もないはずの宙に光の筋――境界線だ。稲妻のような軌跡で縦に一筋。大文字さんはあの筋の中に手を突っ込んだのか、にわかには信じられない。
「広大も見つけたようだな」
察した大文字さんの声に反応して危うく目の焦点がずれそうになったがなんとか踏み留まる。一瞬じゃダメなのだ、課題は維持。
……簡単にできると思っていたわけじゃない。でも、思った以上に難しい。視えた次の瞬間には視えなくなるの繰り返し。ついに僕は音をあげた。
「視神経が焼き切れそう」
「私も」
綾見もソファにぐったりともたれかかった。
「二見くん頑張りすぎだよ。最後はまるで我慢大会……でも、耐久勝負は私の勝ちだね」
いつの間に耐久勝負に? というか、綾見って存外負けず嫌い? 疲労した表情の中にご満悦なエッセンスが散りばめられている。
「どうだ、今も視えているか?」と大文字さん。
「視ようと意識すれば視える、ってところです。意識せずにはまだ……。あ、眼鏡掛けたままでも視えるようにはなりました」
僕にとってこれは大きなことだ。私生活で裸眼はかなり苦しい。
「それに」
綾見が付け足す。
「全く維持できないってわけじゃないの。頑張れば数十秒、途切れずに視えるようになった」
ね? と同意を求められて僕も頷く。
「最低限かもしれませんが、視えるようにはなりました。それでなんですが、GWの件はクリア扱いでいいですよね?」
「もちろんよ」
大文字さんの口が開くより前に答えたのはマリアさんだった。
「でしょう? 大文字さん」
「おう」
台詞を横取りされて大文字さんは少しばかり不満そうだ。
「お前たち二人も依頼品を運ぶ資格を得た」
そう言うと、大文字さんは自身の事務机の引き出しから辞書よりも少し大きい、一冊の分厚い本を取りだした。その本の姿に僕と綾見は目を見張った。学校の掲示板に張り出されていたあの紙切れと同じ光が、ページの隙間から溢れ出している。
「それって……」
ぽつりと綾見がこぼした言葉に、大文字さんはにやりと笑って応えた。
「GW、お前たちにはこの本を彼方に運び、元ある場所に帰してもらう」
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