第18話 ロックには世界を変えるパワーがあるのかもしれないと感じた。
そういえば古館が死んだ後、たった一度だけトレイン・トレインのメンバー残り三人で、音楽室に集まったことがある。
思えばバンドを結成して数ヶ月目に初レコーディングしたあのテープを、まだ一度も全員で聞いていなかったのを僕が突然思い出したのだ。
古館を偲んで鑑賞会を開こうじゃないか、という話になり、ある日曜日に三人で音楽室に集まった。
「高本。何か久しぶりやな」
「おお。部活と、それ以外は部屋にこもってた。隠匿生活や」
「ほんまやな。なあ、松木も」
「おお。音楽室もなんか久しぶりやな」
「週三回もここに来てたなんか、遠い昔のことのようやな」
三人とも表情は明るかった。そして三人とも、言いかけては避けている台詞があった。「もうこれが最後なんやろうな」という一言だ。
テープは松木が持っていた。
松木がラジカセにテープをセットして『PLAY』ボタンを押す。
しばしの静寂。
そして。
『……えーそれでは、トレイン・トレイン初のレコーディングを行います。曲は……曲もTRAIN-TRAINや』
懐かしい古館の声だ。少し照れたような、優しい声だった。
ワン、ツー、スリー、フォーという古館のカウント。
この声を聞くと、何故か本当に安心する。こんなにも安心できる声の持ち主がバンドの土台を支えていたのだ、と改めて実感した。
クリーントーンのアルペジオとヴォーカルが重なる。
栄光に向かって走る あの列車に乗っていこう
裸足のままで飛び出して あの列車に乗っていこう
弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く
その音が響き渡れば ブルースは加速していく
見えない自由が欲しくて
見えない銃を撃ちまくる
本当の声を聞かせておくれよ
松木がエフェクターを踏んだ。ギターが歪んだ音に切り替わった。
間髪入れずにドラムとベースが激しさを増し、きつくディストーションを利かせたギターに絡みつく。
すべての音が一つのかたまりとなって鼓膜に突き刺さった。かたまりは巨大な奔流となり、スピーカーから渦を巻きつつ流れ出し、溺れそうなほど音楽室いっぱいに充満した。
しかし、演奏技術が少しばかりましになった耳で聞くと、つい走りそうになる僕達三人のリズムを古館のドラムが懸命に押さえようとしているのがよくわかった。一定のペースを狂わされないようにスティックを振っている古館の必死の表情がありありと浮かんできて、僕達は顔を見合わせて苦笑した。
世界中に定められた どんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は どんなに素晴らしいだろう
世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより
あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう
高本が声を押し殺し、体を小刻みに震わせていた。
松木が「ふわああ」と欠伸をするふりをして涙をごまかしていた。
どうにもこらえきれず、僕は天井の隅に浮き出たアフリカ大陸そっくりの雨漏りの染みを見上げた。そこから目が離せなくなっていた。
俯くと涙がこぼれそうだったのだ。
栄光に向かって走る あの列車に乗っていこう
裸足のままで飛び出して あの列車に乗っていこう
土砂降りの痛みの中を 傘もささず走って行く
嫌らしさも汚ならしさも 剥き出しにして走って行く
聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい
だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で
安物のマイクにこれでもか! これでもか‼ と叩き込まれた僕達のロックは、荒っぽく音が割れていた。そして切ればどくどくとあふれ出るほど熱い血が通っていた。
なるほど。
ロックには、一瞬で世界を変えるだけのパワーがあるのかもしれない。
思わず笑ってしまうようなつたない演奏だったが、僕達三人はその瞬間、確かにそう感じた。
夕方から集まったのだが、音楽室を出た時にはもう暗くなっていた。
僕達三人はいつものドブ川沿いを、肩を並べて歩いていた。
しばらく黙って歩いていたが、僕が最初に口を開いた。
「下手くそやったな、おれら」
「うん、下手くそやった」
「それでもあの頃は完璧や! プロみたいや! とか思ってたけどな」
「……高本、おまえそんなん思ってたんか。イタイなー」
「実は思ってた。墨田は?」
「……ちょっとは思ったかもな」
「でも冷静に今聞いたら恥ずかしいな、あれ」
「それがわかるだけでも上達してるっちゅうこっちゃ」
「Bメロに入った時に松木がすぐ走り出すねや」
「それは違うぞ墨田。走り出すのは高本や」
「いやおれは知ってるぞ。Bメロで走り出すのは墨田のヴォーカルや」
「そうか?」
「そうや」
「そうかな」
「そうです」
「意外と古館やったりして」
「ははは。それはないやろ」
僕達は五丁目のグラウンドに行った。そしていつものベンチに座ってくだらない話を一時間ほどした。
テレビの話、映画の話、マンガの話。学校の話。これからのジャパニーズロックはどう進化してゆくのだろうか? もしくは衰退していくのだろうか? みたいな話もした。
古館のことには誰も触れなかった。
もうその頃にはすっかり灰になってしまい、完全にこの世界から消失してしまった古館を、テープに吹き込まれた彼のドラムプレイを聞いたことによって僕達は強く実感していた。
「そろそろ帰るか」
松木が急に立ち上がった。
「……そうやな」
高本も立ち上がった。
僕は立たなかった。立つ気になれなかった。
しかし、もう帰らなければいけない時間だった。
「……帰ろっか」
僕は立ち上がって歩きはじめた。
グラウンドを出て少し歩くと交差点にさしかかる。青信号が点滅していた。車は一台も走っていなかった。とても静かだった。まるで大晦日の夜だ。
「ほな、な」僕は言った。
「また学校でな」松木が言った。
「ばいばい」高本が言った。
松木と高本がそれぞれの家の方向に歩きだした。僕は彼らの背中に向かってもう一度だけ小さな声で、「ほな」と言った。
赤信号が青に変わった。
一九八九年、三月。
トレイン・トレインとして僕達が会った最後の日だった。
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