第10話 花嫁の事情

 花嫁の支度を終え、文香は全身鏡の前に立った。鏡に映った自分の姿に、胸が熱くなる。


「こんなに綺麗にしてもらえて……ありがとうございます」

「泣いちゃ駄目! 化粧が落ちちゃう! 笑って!」

「はい!」


 文香は背筋をしゃんと伸ばすと、笑顔を作った。鏡に映っている笑顔に、嫌な気持ちになる。

 豪華絢爛な赤い着物と、紅を差して色づいた唇。結えた頭には、大輪の赤い花が挿してある。白粉で整えた白くなめらかな肌が花嫁衣装に映えている。

 お姫様のように綺麗にしてもらったのに、肝心の笑顔がぎこちない。

 白沙びゃくさがおしゃべりな女性なので、文香も少しおしゃべりになってみる。


「私の笑顔、変ですよね」

「笑い慣れていないって感じね。でも、初々しくていいと思うわよ。あ、お客様が到着したみたい」


 玄関とは違う方角から、賑やかな声が聞こえてくる。本殿にお客様が来たのだろう。


 結婚式が近づいている。人前に出る。そう考えた途端、心がそわそわして落ち着かなくなる。

 いまさらだが、花嫁の身代わりという大役を務められるのか、不安になる。

 粗相をしたらどうしよう。たとえば、転ぶとか。そんなふうに悪いことばかり考えてしまうのは、自分に自信がないから。

 両親と祖父母、奉公先の料亭の仲間たちから浴びせられた言葉の数々が、頭の中をぐるぐると駆け回る。

「グズ」「のろま」「馬鹿」「なにやってんだ!」「役立たず」「あんたはなにをやってもヘマばかり」「能無し」「簡単なことさえ、できない」「気が利かない」「頼むんじゃなかった」「できないと思っていた」「もういい。引っ込んでいろ」「顔も見たくない」「消えろ」「あんたの代わりなど、いくらでもいる」


 人並み以下の自分に、花嫁の代わりなど務まるはずがない。ヘマをして、天に迷惑をかけるに決まっている。花嫁の代理を頼まなければよかったと、嫌な顔をされるだろう。

 文香が負の思考で頭をいっぱいにさせていると、障子戸の向こうから白廉はくれんの声が聞こえた。


「終わったかい? 天が文香さんに会いたいと言っている」

「ええ、ちょうど終わったわよ」


 白沙は、あたふたしている文香に目を丸くした。


「あら? どうしたの? あ、もしかして……。ははぁん。おばちゃん、わかっちゃった!」

「すみません。私……」


 花嫁の代わりをできそうにありません。

 弱音を吐きたいが、そうすれば迷惑がかかる。いまさら、できないとは言えない。けれど、自信がない。

 どうしたらいいかわからずオロオロしている文香を見て、白沙は黒目を生き生きと輝かせた。


「天に会うのが恥ずかしいのね! そうよねぇ、わかるわぁ。美しく着飾ったのだもの。どのような反応をするか、楽しみよね!」

「楽しみなわけでは……」

「緊張するわよねえ。ふふっ、天は良い男だものねぇ。おばさんもね、年甲斐もなく、目の保養だと拝んでいるの。あやかし界には、三大若様がいてね。天狗の宿屋の天と、鳳凰の宿屋の鳳蘭ほうらんと、骨董屋の龍砲りゅうほう。うちの娘は天の顔が好みだけれど、贅沢が好きな娘だから、鳳蘭と結婚したかったみたいなの。でもねぇ……」


 それまで嬉々として話していたのが、娘の話題を出した途端、寂しそうに目を伏せた。


「亡き親友のために、天狗の宿屋の力になりたいという、主人の気持ちはわかるのよ。でもね、そんなの恋白こはくには関係ない。主人は、あの花嫁五箇条はなんだ! って怒鳴ったけれど、娘の精一杯の抵抗だって、私にはわかる。親の決めた相手ではなく、好きな人と結婚したいわよね。花嫁が結婚式に出ないって常識外れだと呆れているでしょうけれど、私はこれで良かったと思っている。恋白と天は合わない。無理に結婚式を挙げても、神様は祝福しないでしょうね。愛のない形だけの結婚式なんて、神様は喜ばないもの」


 白沙は文香に向かって、頭を深く下げた。


「私たちのせいで、文香さんに迷惑をかけてごめんなさい。せめてのもの償いとして、白蛇神社は人間界の平和と幸福を安らぎを祈り続けます。ですからどうか、一晩だけ、力を貸してください。形だけの結婚式であっても、情け深い神様が来てくれるでしょう。そうしたら、天狗の宿屋に良い風が吹く。それで悪鬼を追い出すことが、私たちの目的なのです」

「頭を上げてください!」


 文香は慌てて、白沙に頭を上げさせた。

 娘を想う母親の気持ちが痛いほどに伝わってきて、涙腺が緩む。


「私で良かったら、いくらでも力になります。お役に立てて、嬉しいです。みなさんに迷惑をかけないよう、精一杯頑張ります」

「あなたのような親切なお嬢さんなら、どんな迷惑でも歓迎するわよ。私たちも天狗の家も、あやかし界の上位にある。迷惑を受け入れる度量を持ち合わせているから、安心なさい。人間は本当に気を使う生き物なのね。気を使いすぎると、気が減ってしまうわよ。人間の世界に戻って心が疲れたら、蛇を祀っている神社に来なさいね。神聖な気で満たしておきますからね」

「ありがとうございます」


 白沙は文香をじっと見つめると、おっとりとした手つきで頬に手を当てた。不思議なものでも見るかのように、小首を傾げる。


「意外ね。か弱そうに見えるのに、染まっていない。しかも、白。……この結婚式は、神様が引き合わせたものなのかしら?」

「どういうことですか?」

「文香さんの魂の色は、白。白を保ち続けるというのは、とても難しいことよ。強いのね」


 自分を強いと思ったことなんて、一度もない。強かったら、人生をうまくやれている。すぐに泣くような人間が強いはずがない。

 文香は困惑し、反応できずにいると、障子の向こうから不機嫌な声が飛んできた。

 

「いつまで話しているんだ? 話が途切れるのを待っているんだが」

「あらあら、ごめんなさいね」


 白沙は相好を崩すと、膝を折って座り、両指を引手にかけて障子を引いた。

 廊下に立っていたのは、天。


 文香と天は同時に「あ……」と一声発すると、固まった。



 

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