2.一方その頃、騎士団総長は




 一方その頃。

 シルヴェスタが見習い魔女ラスティと、衝撃的な出会いを果たしているのに対し、ある女性に拒絶の意を示される男がいた。


「いま――、なんと言った?」


「不快に思われてしまったのなら、申し訳ございません。ただ、婚礼の儀まで私は、貴方様を夫としては認められない。そう言ったのです」


 騎士団総長を務めるイドヒを前にした女性は、申し訳なさそうに顔に影を落とす。

 純白と淡い水色を基調としたドレス。頭に乗った小さな銀のティアラ。人間であらば誰もが見とれてしまうような端正な顔立ちは、さすが王国の民から聖域に住まう姫と呼ばれるだけのことはある。


 その女性こそ、イドヒとの婚約を定められた第二王女ルリスだった。


「王太子である兄様が決めた事とはいえ、王族の仕来りとして、王女が貴族に降るまで必要な儀礼が幾つもございます。私は体も弱いので、イドヒ卿の元へ嫁ぐにも時間が掛かってしまい……どうか、ご理解いただけませんか?」


「ハ、ハハ……なるほど、そういうことか。てっきり私は貴女が嫁ぎたくないと駄々を捏ねたのかと」


 イドヒがそう気の抜けたように言うと、ルリスはこてんと小首をかしげた。


「えっと、嫁ぎたくはありませんよ?」


「……は? 今なんと」


 ルリスの言葉に、思わずイドヒは目を丸くする。


 それもそうだろう。王太子との密約で、心も体も彼女を自分のものにできると思い込んでいた男だ。シルヴェスタに暴露しているときも、それを嬉々として語っていた男に、彼女から拒絶されるという算段は立てられていない。

 ましてや、イドヒの脳内では<体が弱く王族内でも疎まれ気味な女>と、<騎士団の頂点に君臨する選ばれた自分>という力関係が脳内で思い描かれていた。子犬の如く尻尾を振って言い寄られる予想はしていても、ルリスから一方的に拒否されるとは考えも付かなかったのである。


「私はイドヒ卿に嫁ぎたくはないと、そう言ったのですが……言い方を間違えたでしょうか?」


「っ――なにを本気で言い直している、貴様! 騎士団総長ならび、公爵にまで上り詰めた私に対し、不敬も良いところであろう!」


 イドヒが怒鳴り声を上げれば、ルリスは自分のやってしまったことに気が付き、再び申し訳なさそうに目を伏せた。


「すみません、傷付けるつもりはありませんでした……ただ、私は貴方様に特別な魅力を感じていないのも事実なのを知ってほしくて……」


「キ、キキ、貴様はっ……まだ言うかっ……!! だったら、誰なら嫁いでよいと思えるのだ!? 私より優れている貴族が、この国にいるというのか!?」


「誰なら、と聞かれると困ってしまいますわ……考えたこともありませんでしたし。……でも、そうですね。シルヴェスタ様であれば、私も嬉しくなったやもしれません」


「な、にを……シルヴェスタ、だと……?」


 思いもよらぬ人物の名前が出たことにより、イドヒは呆けてしまう。


 王族が平民に心を許す?

 否、それだけでもイドヒにとっては理解できないことであったが、一番の懸念はそこではない。シルヴェスタの追放事件は王城内、ならびに王都周辺を領地にする上位貴族間では有名な話だ。イドヒが部下を使い、あらゆる伝手を使ったのだから、話の浸透は伊達ではない。


 自身の地位を確固たるものにするため、ひ弱な子爵令嬢を襲った男がいると。

 そのような卑劣な行為に対し、正義の貴族イドヒが手ずから葬り去ったのだと。


 だというのに、目の前にいるルリスは、そんなことも知らないように、イドヒには映った。

 体が弱く、あまり外に出ることもないとは聞く。

 いいや、シルヴェスタが近衛騎士まがいのことをしていた時は、精力的に外へ出ていたこともあるそうだが、彼がいなくなってからは、めっきりとその回数も減ったとイドヒは聞き及んでいた。


「ハハ、ハハハッ。そうか、貴女は知らないのか! あれは子爵令嬢を犯したことで追放された罪人だぞ? そんな男を成敗してやった私より、良かったなどと、本気で――」


「……」


「――――、本気、なのか!!?」


 ルリスの冷めた目線。さっきまでのふわりとした彼女ではなく、まるで冷たい瞳で人を凍り付かせるような眼差し。

 それを受けたイドヒは、思わず顔を烈火の如く染め上げ、近くに置いてあった装飾品を蹴り上げる。


「本気で、本気でそう思っているのか!!?」


「ええ、思っています。彼が悪意ある者の奸計により、冤罪を着せられたとも」


「っ」


 追い出したと思っていたのに、まだ追い出し切れていない。忘れようとしていたのに、周りがまだ覚えている。その事実に苛立ちが暴走を始めてしまうほど、イドヒはシルヴェスタのことが嫌いだった。


 ルリスはそんなイドヒを眺めながら、自身の目に垂れた金色の髪をすっと耳に掛け直す。


「イドヒ卿。これは私から善意で教えることですが……」


「なんだ!?」


「貴方の行いは貴族の習性のようなものなんでしょう。それはこの国が作り上げた風潮でもあります。ですが、今回ばかりはやり過ぎたと言わざるを得ません。お兄様からの勅命であったとしても、貴方はそれを跳ね除けるべきだった……きっと、ろくな死に方を選べませんよ」


 少女はそれだけを言って頭を下げると、ちょうど、イドヒが暴れたことにより何人かの従者が部屋へ訪ねてきた。少女はそれを合図に、踵を返し、イドヒの部屋から退室する。


 まさかこの予言が本当に実現することになろうとは……。

 これより先の話。正確にはルリスと婚礼の儀をあげることになる1ヶ月後のこと。

 イドヒはあの日のことを強く後悔することになる。

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