第1話 山奥の短いトンネル


 このクソ暑い中、わざわざクーラーが効いてない場所に行く奴らは全員バカなんじゃないのか。

 今日家を出た瞬間、なんなら先週井上に誘われたときから思ってはいたけど、実際にこうして日陰が少ない山道を登り始めて、改めて、強烈に、そう思った。


「……山だから涼しいって言ったの、誰」

「イノッチ〜っ!」

「ぶ、ブーブルマップ、そこまで細かく分かんねーの!」


 思わず呻いて、それに篠田が追い打ちをかけると、井上が情けない声を出す。でもたしかに、どうしようもないことだったとは思う。

 俺たちが歩いている道の両側には高い木が並んでいて、なんならその下の方には川も流れている。今この場に立っていても、景色だけなら涼しそうなのに。


「こんな、昼間に来るから」

「だから夜にしよっつったのにー」


 ……そうだ。悪いのは場所というより時間だ。

 八月初日の真昼間。太陽がほとんど真上にあるから、日陰もできなくて、足元のアスファルトが鉄板みたいに熱を出してて、あとは空気全部が波打ってるみたいに蝉が元気良く喚き散らしていて、バス停で買ってきたコーラはあったか〜いになっていて、全員が鳴き声みたいに「暑い」と言い続けている。


「でも、やっぱり夜は無理! 絶対無理! 昼でも怖いのに!」

「シノ、引き返すなら今だよ?」

「今一人で引き返しても暑いのは暑いし、怖いのは怖いの!」


 なんでこんな時間にこんなところで、俺たちはぞろぞろ山道を歩いているのか。

 肝試しに行く。この先に、地元の中高生の間で微妙に知られている心霊スポットのトンネルがある。といってもネットで検索したって地元民が書いたみたいな安っぽい記事しか引っかからないし、特に曰くがあるわけでもないらしい。


 でも井上のヤツが「夏っぽく肝試しとかしてみね?」と言い出して、俺が「そういえばやったことねーな」とか言ってしまったから、こうなってるわけだ。


「これ、あとどれくらい歩くの?」

「えーと、バス停から徒歩三十分で……あと、十五分くらい?」

「マジか」

「あと半分もあるの……」

「あづいー。づがれだぁー」


 俺が尋ねたのに井上が答えて、松島、宮野、篠田が順番に文句を呟く。身長百八十台の男と女子二人、あと俺も目線だけで不満を伝えてやったら、井上は「十五分くらい頑張れよぉ!」と拗ねてどんどん歩いていく。誰もそれを追いかけずにずるずる歩いていると、数メートル先で井上は立ち止まった。


「……次、自販機あったら、なんか奢るわ」


 そして追いついたところで、そう言った。別に誰も本気で不機嫌になってたわけではなかったけど、奢ってくれるってんなら断りはしない。


「んじゃ、俺コーラで」

「あたしもコーラ!」

「俺ソーダ」

「私は、水。みかん味のやつ」


 すると何故か井上は眉を寄せながらニヤついて、「はいはい」と歩き出した。……ジュース四本で侘びれるなら安いとか思ってんなら、井上らしいなと思った。


 それから結局二十分近く歩いて、俺たちはトンネルに辿り着いた。

 思っていたより小さく、車は通れなさそうな規模のもの。けど、何のために掘られたのか分からない、どこに続いてるのかも分からないそのトンネルは、たしかに不気味だった。

 ちょうど逆光になっていて、それは灰色のコンクリートのアーチがある、半円型の黒い穴に見えた。


「これ、やっぱ入るんだよね……?」


 なんかこういうのどっかで見たなーと思いながらぬるいコーラを飲んでいると、隣で小さく呟いたのは篠田だった。


「まあ、せっかく来たし」


 特に何も考えずに言ってしまうと、篠田は低い声で唸りながらスカートの裾を握り始める。とはいえ、じゃあ待ってろよと言うわけにもいかないし、手握っててやるよと言おうとも思えない。


「ま、そんなビビることないって。多分これ、なんかの倉庫とかそういうのっぽい。さっきさ、なんか下に畑みたいなんあったじゃん?」


 ちょうどいい言葉がなかなか出てこなかったところに、篠田とは反対側の隣にいた松島が、俺の頭越しに言う。そういえば五分くらい前に通ったところに、木がなくて草が伸び放題の場所があった。


「農業用の倉庫、ってこと?」

「たぶん。そりゃ、もう使ってないと思うけど」

「じゃあ通り抜けるのは無理そうか」


 ……松島の後ろでさらりと言った宮野に、全員の視線が集まる。もしこれが貫通してるトンネルだったとしても、俺も、たぶん宮野以外の全員が、通り抜けようとは思ってなかった。

 向こう側が見えてるならまだしも、少なくともここからじゃ、懐中電灯で照らしてみても、突き当たりがあるのか曲がってるのかも分からないってのに。


「とりま、ちょっと入ってみてさ、いい感じのところで戻って来れば良くない?」


 井上がそう言うと、まず篠田が「良いと思う!」と頷いた。宮野が文句を言い出す前に、俺も松島も強めに頷いておく。


「みんな結構ビビってるんだ」

「宮野が強すぎるだけな」


 思わず言い返しても、宮野は可笑しそうな顔をしてから、突然一歩トンネルへ踏み込んだ。


「じゃあ、勇敢な私が先頭になってあげましょう」


 こいつは普段静かな方のくせに、楽しいときは分かりやすくテンションが上がる。

 それを見て思い出したけど、そういや俺たちは肝試しに来たんだった。


「……行くか」


 俺が一歩踏み出すと、松島、井上、最後に篠田も、トンネルの影の中に入ってくる。宮野は全員と確認を取るみたいに目を合わせると、本当に先頭を歩き出した。


 やっぱり中は暗く、懐中電灯では手の届く範囲にある壁や天井、足元は照らせても、前はどこまであるのか分からない。それを意識するとどうしてもゾッとするので、出来るだけ考えないようにする。

 意外と壁に落書きはない。足元の土も靴が濡れるほど湿ってはいない。暗いのと、進むほど空気が冷たくなっていくこと以外は、特に何も感じない。変な何かが聞こえたり、見えたりもしない。


 ……やっぱり、俺にはそういう霊感的なアレは無いのか。

 それか、そもそもここがニセスポットなのか。

 電車で二駅とバスにも乗って、三十分以上登山もしてなんにもなかったとか。まあ、何かあったらあったで困りはするし、これはこれでバカっぽくて笑えたりす――


「――おあぁっ⁈」


 目の前で宮野が突然振り返って、篠田がそれに驚いて叫んだ。

 とりあえず起こったことの理解はできたけど、そんなんでいちいち叫ばれるとこっちまで心臓に悪い。身体の中身が膨らんだみたいな衝撃で、息が苦しくなっている。


「…………。戻ろう?」


 って、え。

 言ったのは、篠田じゃなくて宮野だった。

 小さな声でそう言った宮野は、表情を抜き取られたみたいな顔をしていた。


 ……ふざけて言ってる、にしては、雰囲気が変だった。


「な、なにリカちゃん、どうしたの? やめ、やめてよ」


 なんだ。なんで何も言わない。なんで急に戻るとか言い出す。


「え。なんか、見ちゃった……?」


 声をひそめて松島が尋ねる。すると宮野は、首を小さく一度、縦に振った。

「ひ」と「い」を混ぜたみたいな音が、篠田の喉で鳴った。


「走れるか?」と、俺は気が付いたら宮野に聞いていた。宮野はまた頷いたけど、篠田はすぐに、俺の袖を掴んできた。

 泣きそうな顔をしながら、篠田は膝を震わせている。どう見ても走れる状態じゃない。

 手を引いて走るより、抱えた方が早い。篠田が小柄でよかった。


「え、ふ、ふゆ、あ」

「ちょっと、我慢しろ……よし、走れ!」


 俺が篠田を抱き上げた直後には、全員で走り出していた。


 かなり歩いてきたつもりだったけど、走ってみると入り口までは一分かからなかったと思う。

 トンネルから少し離れたところで振り返ってみても、何かが追いかけてきているとかはなかった。宮野も松島も、井上もいる。とりあえず大丈夫そうなので、もう一度トンネルの方を確かめてから、篠田を下ろす。


「ごめん、無理矢理抱き上げて……、大丈夫?」

「あ、うん……、大丈夫……」


 ぼーっとはしているが、それは多分大丈夫だ。キモがられてもないし、苦しそうだとかもない。


「はぁぁ……」と思わず溜息を吐きながら、宮野を見る。

 走った直後で息を荒くしているのに、顔はやっぱり白いままだった。

 ……聞きたくない気もするけど、確かめないわけにはいかないしな。


「宮野、何を見たか、聞いていい?」


 うっ、と宮野の息が詰まったのが分かった。

 いっそ、俺が思ってる以上に宮野に演技力があって、「みんなマジでビビりすぎ」とか言ってくれたら――


「ごめん。落ち着いて考えてみたら、多分見間違い、だったと思う」


「見てしまった」か「見たフリしてた」ではなく、見間違い。

 予想してたどっちでもなかったから、反応できなかったけど、


「一瞬、ちっちゃい子が立ってるのを見ちゃった気がしたんだけど、考えたらあれ、お地蔵さん、だったんだと思う」


 さらに聞いていると、道の真ん中に地蔵が立っているのを見て、その奥には壁があったかもしれない、ということだった。


「み、宮野さん、それって、ま、マジに地蔵だった? 見間違えたことにしたいとか、そういう――」

「違う。たしかに、一瞬しか見てないけど、なんか輪郭とか、考えてみたら絶対そうだと思う。ごめん。私、すっごい大げさにし――」

「よ、よがっだあぁぁ……!」


 ……さすがに、篠田みたいにへたり込んで泣き出すまではいかないけど。

 たしかに、何事も無くて良かった。俺も割と、本気で焦りかけてた。これで宮野がマジで何かを見てたら、映画みたいに何か起きるんじゃないかとか、寺とか行ってお祓いしてもらわないとダメなのかとか、色々考えてしまった。


 いまさら気付いたけど、そういえばトンネルの中では蝉の泣き声まで聞こえなくなっていた。そして改めて山の蝉の凄まじさを感じていたら、知らないうちにまた息を深く吸って、大きく吐いていた。


「――でも、やっぱさすが冬空! よく咄嗟に篠田さん担ごうって思えたよな!」

「へ」


 そしてさらに気付いたら、全員の視線が俺に集まっていた。

 井上、また余計なこと言いやがって。


「ホンドに! ふゆありがどうぅ〜!」

「や、いいって。こんなん普通ってか、そういうもんだろ?」

「出たよ冬空の普通。ああいうとき誰でも他人のこと考えれると思うなよ? 井上なんか真っ先に逃げてたからな?」

「逃げてねーよ! てか、むしろ俺、フユが走れって言うまでビビって動けなかったからな!」

「それ堂々と言う井上はやっぱりバカだけど」

「おい」

「……でも、私もフユのおかげで落ち着けた。ありがと」


 そこまで言われることをした気もしないんだけど。ま、言われて悪い気がするわけでもない。


「はいはい、どういたしまし――」

「ふ、ふゆっ……!」


 いつの間にか泣き声が止んでいて、代わりに突然、泣きそうな声が上がった。

 振り向くと、へたり込んだ篠田は目元を赤くしたまま、思った通りの泣きそうな顔をしていて。


「どう、しよう……。イヤリング、片っぽ無い……」


 その耳元では、たしかに篠田にしては少し地味めな紺色のイヤリングが片方だけぶら下がっていた。俺はそれを知っていた。先週、近所の夏祭りでやっていた射的の屋台でせがまれて、俺が取ってやったやつだった。

 抱き上げたときに引っ掛けたのかもしれない。とりあえず全員で辺りを探してみたけど、やっぱり見つからない。トンネルの中も、懐中電灯の明かりが届く範囲には見つからなかった。


 ……はぁ。しかたない。


「ちょっと中見てくるわ」

「え、ひ、一人で⁈」


 別にお前が行ってくれるならそっちのがいいけど、今から井上を説得するより自分で行ったほうが絶対早い。


「わ、私も行く!」

「いいって。ちょっと走って見てくるだけだし。てか正直、俺一人のが動きやすい」

「そ、……ごめん」


 まあ、たぶん外れたのは俺が抱き上げたからで、俺もさっきまで外れてたのに気付けてなかった。

 だからこれも、謝られるほどのことじゃない。行きたくないっちゃ行きたくないけど、往復で四百メートルくらい、ちょっとトンネルの中を走って行ってくるだけの話だ。


「まあ俺も、もし見つかんなかったらごめん」


 そう言うと、篠田はふるふると首を横に振った。

 普段教室では一番うるさいくせに、さすがは心霊スポット。


「だ、大丈夫だ冬空! こういうときって、良いことしてる奴はだいたい死なねえから!」

「健斗が今言っちゃったから、ちょっと効果薄まってそうだけどな」

「余計なこと言うな」


 空気を読めない男二人の脇腹に、宮野の鋭い手刀が入った。


「ま、でも、冬空なら大丈夫」


 そして宮野の隣で、篠田は小さく「お願い」と言った。


「お前ら大袈裟すぎ。ま、ちょっと行ってくる」


「晩飯までには帰って来いよー!!!」


 走り出した後ろで言われて、思い出す。


 そういや今日、帰りに焼肉食いに行く話になってたな。

 帰りはもうちょい楽だろうけど、また半時間くらい炎天下の中バス停まで歩いて、バスで駅まで戻って、まだ晩飯には早いからゲーセンかカラオケでも寄るか、適当にファミレス入ってダベるでもいいか――


「お」


 ぼーっとこの後のことを考えながら、どんどん小走りで入っていくと。

 キラッと青く光ったと思ったら、やっぱりだった。

 ちょうどさっき篠田を抱えたくらいのところに、それは転がっていた。

 小さめのビー玉を金具で留めただけのような、微妙に安っぽさを感じるイヤリング。なんで篠田はこんなもんを大事にしてるんだろうとか思えるほど、俺は馬鹿でも鈍感でもない。

 やっぱり、そういうことなんだろう。別に嫌ってわけじゃないんだけど、はっきり言って俺はあいつに特別な気持ちは持ってないと思う。一緒にいて楽しいし、あの明るさは時々うるさいと思うことはあっても、基本ありがたいしスゴいとも思う。

 本当に、何が嫌とか、そういうわけじゃないんだけど。


 まあだから、篠田が勇気を出してきたりしたら、断りはしないかもしれない。彼女はいないよりいた方がいいし、気に食わなくなったら、元に戻ればいいだけの話。


「あ」


 と、拾い上げたそれが篠田のものだと確認してから、ポケットに入れたとき。

 地蔵を見たと、宮野が言っていたことを思い出した。

 一応確認しといた方が、宮野も気楽なんじゃないか。

 とはいえ、それでなかったとき。……まあそれはそれで、今後の話のネタにもなるか。

 思い切って、懐中電灯を遠くに向けてみる。


「ぅぇ……?」


 ――同時にぐるりと、トンネルが回った。

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