第27話・セール準備

 かかりきりになっていた新店が落ち着くと、川岸はデザイナーと共にベトナムへの視察へ旅立った。とは言っても彼の滞在はほんの一週間。寂しいと思っても我慢できない期間じゃない。

 穂香は炊飯器に残っていたご飯でオニギリを握ってお弁当箱へと詰める。昨日はいつもと同じ調子で二人分の夕食を用意してしまい、余った分をそのまま昼ご飯に回すつもりだった。今日は遅番勤務で時間に余裕があったというのもある。


 キッチンカウンターに置いている卓上カレンダーの日付を確認して、川岸の帰国までの日数を数える。彼が帰ってくるまでまだ三日もある。ようやく半分が過ぎただけかと思うと胸がキュッと締め付けられる。会えないのが分かっている状況なら寂しさに耐えられるなんて考え、家を出ようとしていたのがバカみたいだ。寂しいものはどんな状況だろうと変わらない。


「早く帰って来ないかなぁ……」


 無理なのが分かっているのに、思わず呟いてしまう。帰国した後も彼は忙しいままだろうけど、海を越えて離れ離れになっているよりはマシだ。

 玄関にある大きな鏡で今日の着こなしを確認してから、穂香は無理矢理に口角を上げて笑って見せる。仕事で着ることが多い『セラーデ』の洋服は川岸が選んで仕入れた物がほとんどだ。彼がセレクトした物の良さをたくさんの人にお勧めするのが仕事だと思うと俄然やる気が出てくる。


「おはようございます」


 売り場に着くと、店舗の入り口で挨拶をして頭を下げる。先に出勤しているスタッフへの挨拶もあるけれど、店に対しての一種の礼儀だ。早番で一番に出勤した時だって同じようにする。

 店頭では詩織がカットソーを広げながら接客していて、ストックルームの中からは柚葉が電話応対している声が聞こえてくる。今日は弥生は休みを取っていたから、遅番なのは穂香と野中の二人。穂香とほぼ同じタイミングで出勤してきた野中と一緒に、店長の電話の邪魔にならないよう気を遣いながらストックルームへと入った。


「おはよう、穂香ちゃん、野中君。準備しながらでいいから、このまま朝礼させてもらっていい?」

「はい、大丈夫です」


 ロッカーに荷物を突っ込んだ後、左胸に名札を付けていたら電話を終えた柚葉が声をかけてくる。二人が頷き返すと、柚葉は手に持っていたファイルを見ながら、今日の売上目標と連絡事項をさらっと伝えた。明日から始まるショッピングモールのセールに合わせて、『セラーデ』でも通路側に特価コーナーを作る予定だという。


「商品はときめきモール店のオープンセールの在庫を使うんだけど、ほぼトップスらしいから什器一個で足りるかなって考えてるんだけど、実際に見ないと分からないんだよね。あと、店頭のディスプレイもそれを使うようにして欲しいから、穂香ちゃんは届いたらお願いしていい? 多分、午後の便で来るはずだから」

「かしこまりました」

「で、野中君はその什器の組み立てをお願い。結構重いし、いつも川岸オーナーに頼んでたんだけど」

「了解です。それってあっちにバラして置いてあるやつですか?」


 野中がストックルームの奥を指差して確認すると、柚葉は満足そうに頷き返す。経験者なだけはあり、野中は呑み込みが早くてスタッフの間での評価はかなり高い。「説明書はいるかな?」と聞く柚葉に対して、野中は什器のパーツをしばらく眺めた後に「無しでいけると思います」と心強い返事を返していた。さすがに『ルーチェ』の山崎オーナーが推薦しただけはあって頼もしい。


 早番の二人が昼休憩に出ている時に他店から移動して来た商品が大きな箱に入って届いた。レジ横で検品しながら中身を確認している穂香の横を通って、野中が組み立て終えた什器を店頭へと運び出す。


「あ、手伝いましょうか?」

「いえ、一人で平気です」


 重そうに見える什器を難なく移動させていく野中の背を目で追いながら、改めて男性スタッフがいることに感謝する。これまではこういった力作業の大半は川岸を頼ってしまっていたけれど、これはどう考えてもオーナーである彼の仕事ではない。各店舗に一人ずつ男性がいたら彼の負担も少しは減るはずだ。


 目の前の大きな段ボール箱に意識を戻すと、穂香は唇に指を当てて小さく唸る。かなり売れ残り感のある在庫をどう活かしてディスプレイするかに頭を悩ませていた。使い勝手の良い定番色はほとんどなく、個性の強い柄やカラーが目立つ。言い方は悪いかもしれないが、売れ残っているのが納得の品揃えだった。これらをどう魅力的に見せることができるか、穂香の腕が試されているような気がしてくる。


「ただいま戻りましたー」

「あ、おかえりなさい」


 休憩を終えた二人が帰ってくると、遅番の穂香達が交代で出る番だ。ちょうど什器を設置し終わったらしい野中が「田村さん、一緒に行きませんか?」と誘ってくれたが、穂香は少し考えてから申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんなさい。今日はお弁当なのでストックルームで食べようと思ってるんです。ディスプレイ写真の見直しもしたいんで……」


 季節商品の入れ替えがある度に店頭ディスプレイを撮影してデータとしてクラウド上に残してある。共通アカウントで他の店の物も見ることができるから何か参考になりそうなものはないか確認したかった。穂香が断ると「そうですか」と野中は一人で出ていったが、その時に彼がどんな表情だったかまでは穂香のところからは少しも見えなかった。

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