第九章 潜行 (2)


 ガルディアに戻ってルルトアたちと別れたあと、クリスとリュカが向かったのは自分たちが寝泊まりしている108号室ではなく、その隣の107号室だった。

「お疲れさん」

「朝っぱらから死体回収とはご苦労だったな」

 出迎えてくれたのはテオドールとユリアンだ。

「ほんとだよ。知ってる奴だったらどうしようかと思っちゃった」

 リュカの返答に大人二人が苦い笑いを浮かべる。

「とりあえず座れ」

 テーブルに置かれたティーポットからは良い香りが漂っていた。少し甘い匂いだ。

「ハーブのお茶なんて置いてあったの?」

「ああ、さすが一等車輌だな」

 二つのティーカップの横には薔薇のジャムが盛られた皿と蜂蜜ポットも並べて置いてある。贅沢な一等車輌は内装だけでなく設備も一流ホテル並みのようだ。

 見ると、ユリアンとテオドールが手にしているカップにはまだ飲みかけのコーヒーが入っている。特にこだわりがないクリスと違ってリュカはあまりコーヒーを飲まないから、彼のためにわざわざ紅茶を淹れてくれたのだろう。

「それじゃあ情報を整理しようか」

 テオドールの言葉にクリスたちはこくりと頷き返した。

「連絡を受けて調べたところ、ヴィルヘルム・ステンマルクという名前だけですぐに確認が取れた。おまえたちの予想通り、ルーシェント派の司祭だ」

 ユリアンが手元のデバイスを操作するとクリスたちのところへもデータが送られてきた。ポップアップしてみると、刺殺体となっていた司祭の生前の写真と簡単なプロフィールが記載されている。

「これ、魔法協会のデータを落としてきたの?」

「ああ。彼は若手の中でもかなりの有望株で、来年には司教に推薦されるのではと目されていた人物らしい。おかげで今、魔法協会は大騒ぎだ」

「やっぱそうなるよねー」

 リュカがため息をついた。

「しかもこのステンマルクという司祭、神聖魔法だけでなく攻撃魔法の腕もなかなかだったらしいから、殺害した相手は間違いなく闇烏だろうな」

「じゃあ、あの場所に潜んでいる闇烏の情報をつかんで仕留めに行ったら返り討ちに遭っちゃったってこと?」

「いや、それが……運行管理センターで確認が取れたんだが、彼の目的地はザルツだったらしい」

「ザルツ?」

 惑星ザルツはこの銀河鉄道ガルディアの停泊予定地ではあるが、まだだいぶ先だ。

「だったらなんで、あんな場所で……」

 眉を寄せたクリスに、ユリアンが暗い声でつぶやいた。

「もしかすると……おびき出されたのかもしれないな」

「?」

 どういう意味かと目顔で問う。すると驚きの情報が先輩たちの口からもたらされた。

「これはまだ噂の段階だが、どうやらザルツに向かっているのは彼だけじゃないらしい。数十名単位で神聖魔法主義の魔法師が乗り込んでいるという話が出ている。それにもっと大物が一人」

「なんと、あのラインフェルト大司教もこの列車に乗ってるらしいよ」

「えっ……」

「…………」

 ニコラウス・ラインフェルト大司教。その男はルーシェント派の大幹部であり、魔法協会でもかなり発言権を持っている人物なので、クリスやリュカも顔と名前ぐらいは知っている。そして、とある人物と因縁がありそうだという噂も耳にしていた。

「ってことは……例の?」

 リュカの問いかけにテオドールが即座に頷く。

「ああ、暗黒の魔女マリア。裏切り者で有名だよねぇ。ルーシェント派が躍起になって追いかけてるのに全然尻尾がつかめないって」

「元は聖女って言われてたのに、闇落ちして魔女って呼ばれるようになっちゃった人だよね。めちゃくちゃおっかない暗殺者だって有名なんでしょ」

「そうそう。全宇宙に指名手配されているのに、なぜかちっとも捕まらないの。追跡した魔法師の死体が増えていくばっかり。怖いよねぇ」

「いや、絶対相手したくない要注意人物じゃん。まさかそいつもこれに乗ってるとか言わないよね? 言わないでね」

 その望みを打ち砕いたのはテオドールではなくクリスだった。

「可能性は結構ある、と思う」

「……マジで?」

「実はさっきルルトアに昨日の事故のことをもう一度詳しく聞いてみたんだ。どう考えてもおかしいと思ったから」

 重力制御や大気循環装置などの惑星管理システムは常に自動でメンテナンスが行われていて、機械に何らかのトラブルがあったとしても必ずタイムラグなしで予備の装置が作動するように設計されている。なのに観光施設内でそれが起こった。ところが公式機関は事故として発表していないのだ。重力制御装置が一時停止した事実は認めているが、故障箇所などは見当たらず原因不明。現在調査中というコメントのみの発表に留まっている。

「故障していない装置が停止したその直後に、遠隔操作魔法で安全地帯の外にはじき出されそうになったということは、誰かが意図的にタイミングを計ってやったとしか思えないでしょ。地上で起きた事件と同じだと思わない? 規模はまるで違うけど」

「あぁ……新しい解除魔法ってやつ」

「なるほどな。地上での実験と同じように、こっちでも効果を試したってことか」

「それが、あのマリア絡み? 冗談でしょ」

「確証はないから、まだ推測の域だけどね。事故のときルルトアが遭遇した人物の一人が噂のマリアだったかもしれないと思うんだ。彼女は当時の状況や関係者の印象をしっかり記録していたんだけど、該当の人物だけ記憶も記録も曖昧だった。もしかすると精神操作魔法の影響を受けたのかも」

「はっきり思い出させないように曖昧に濁すより、スパッと記憶を消してしまう方が簡単な気もするけど」

「でも、それだと違和感が残る。周囲と話のズレが生じるかもしれないし。すごく高度な術を使う人物だったらしいから、無意識レベルで調整したのかもしれない」

 そんなことができる魔法師がいるなんて聞いたことはないけれど。

「いやいやいや、頼むから止めて。そんな奴が新しい解除魔法で何を企んでるって言うんだよ」

「それは…………例えば、トレインジャックとか」

 一瞬、その場の空気が凍りついた。

「それは絶望的な見解だねぇ」

「…………」

 四人が一斉に嘆息し、黙り込む。

 しばらくしてリュカが絞り出すように言った。

「けどさぁ、運行システムのセキュリティには二重、三重にロックがかけてあるじゃん。大丈夫なんじゃないの。システムをいじれない以上、座標ポイントに埋め込んである線路から外れることもできないし、爆発物や武器の持ち込みも難しいと思うけど……」

 だが、その希望的見解にクリスは首を横に振った。

「油断しない方がいいんじゃないかな。地上のテロで破壊された橋の防御魔法もかなり厳重だったし」

「そうだな。こいつは隙のない術式でガードされてはいるが、万が一システムを改ざんされたりしたら、空間転移の途中で暴走して列車ごと消失ってこともあり得る」

「そうなったら乗客の俺たちは宇宙の海の藻屑だし。アカデミーも魔法協会も評判は地に落ちて、テロリストの連中はここぞとばかりに連邦政府や連合の安全保障理事会相手に取引可能になっちゃうねぇ」

「…………」

 全員の表情がますますどんよりと暗い陰りを帯びる。

「あー…………つまりこういうことでしょ。どうにかして僕らの手でこの列車に乗り込んでいるテロリストを捕まえて、新しい解除魔法とやらの詳細を把握して、至急対策を立てられるようにする、と」

「うん」

「あのマリアを? 僕たちだけで?」

「それしかないだろうねぇ」

「正気?」

「残念ながら」

 しばらく天を仰いだ後、リュカは半ばやけくそ気味に

「分かったよ、分かりました!」と叫んだ。

「ねぇ、まさかとは思うけど…………本部の連中、そこまで予測して僕らを送り出したわけじゃないよね?」

「いやぁ……さすがにそこまでは……」

「…………」

「…………」

(本部はともかく、あの会長はもしかするとあり得る、かな。少なくともマリアの情報ぐらいはつかんでたかも)

 そんな考えが脳裏をよぎったのはクリスだけではなさそうだ。

 ユリアンは軽く咳払いしているし、テオドールもひょいと肩をすくめてみせた。

「ま、可能性がある以上、やらないわけにはいかないよね。いまのところ脅迫や犯行声明が出てるわけじゃないから列車を停めるわけにもいかないだろうし」

「少なくともこの銀河鉄道に関しては、俺たちが一番詳しいんだ。テロリストの好きにさせるわけにはいかないだろ」

「そうだね。僕らは、僕らにできることをやろう」

「了解」

 四人は頷き合うと、まずは本部へと連絡を取り、幹部を交えての長い対策会議へと突入した。





 一方、その頃。ルルトアは伯母とジャンカルロを連れ回して列車内のカフェや休憩スペースをはしごしていた。

「そろそろ部屋に戻りませんか?」

「まだ1号車と2号車を見ただけじゃない。エッセイを書くために実際にあるお店を見ておくのは必要でしょ」

「だからって一度に見て回る必要はないよ。店舗の紹介コラムじゃないんだから」

 メディーレに呆れた口調で咎められてしまったが、部屋に戻ってしまったら目的の人物を探すことはできない。あのツアーに一人で参加していた男性か女性、どちらか片方だけでも見つけることができれば、きっとクリスの役に立つのに。

 それにはこういったカフェやレストランを順番に覗いてみるしかない。もちろん確率が低いのは百も承知だ。そもそも部屋番号どころか車輌が分からないのだから、偶然を期待して廊下をうろうろしたところで、ガイドロボットに注意されるのが関の山だろう。

(伯母さんたちが部屋に戻る途中でぶつかったってことは、あの女の人も一等車輌じゃないかと思うんだけど)

「ねぇ、ちょっと訊いていい?」

 ルルトアはふと思い立って二人に尋ねた。

「昨日のことなんだけど。火口見学の事故のあとで、伯母さんに声をかけてきた女の人のこと覚えてる?」

「ああ」

 メディーレは即座に頷いたが、ジャンカルロははっきりと覚えていないようで首を傾げている。

「ほら、帰りに乗車口へ向かう途中でジャンとぶつかって、お土産を拾ってもらったって言ってたじゃない?」

「ああ、あの人ですか」

 その説明でようやく思い出してくれたようだ。だが、

「あの上品でやさしそうな」

「地味でおとなしそうな感じの人だったな」

 二人の口から出てきた印象は似ているようで、ほんの少し食い違っている。

 その人がどんな髪型をしてたかという質問にも意見が分かれた。

「肩より少し短かった気がしますね」

「いや、セミロングだったろ」

 続いて服装を尋ねると、

「シックな黒っぽい洋服じゃなかったですか」

「淡い色のワンピースだったと思うけどな」

(どっちもちょっと違う気がするけど、どこがどうとか言えないし、ぜんっぜん思い出せない)

 ルルトアは思わず頭を抱えた。

「まぁ人の記憶なんてそんなもんだよ。よほど印象が強くないと細かいところまでは覚えてないのが普通だと思うぞ」

「そうそう。例えば先生のファンだと仰っていたあのご婦人! 彼女ぐらいインパクトが強ければある程度ハッキリと覚えていますけど。確か深緑のワンピースで、羽根がついた帽子を被ってましたね」

「それと、大きなダイヤのネックレスをしてたな。かなり裕福なご家庭なんだろう」

「羨ましいですねぇ。ご主人ともずいぶん仲睦まじいご様子でした」

「ああ、モリーとかビディって愛称で呼び合っていたからな」

「でも普通はそこまで覚えていませんよ」

 確かにその通りだが、あの女性に関しては細かい記憶どころかイメージまで食い違っている。せめてもう少し詳細な記録を残していればと悔やんだところで後の祭りか。

 諦めかけたそのとき、

(いや……あるかも)

 ルルトアは唐突に思い出した。すぐ目の前にいる人物が取っていた行動を。人の記憶よりもずっと確かな記録を彼が残している可能性を。

「ねぇジャン、あのときも写真たくさん撮ってたよね。火口見学のところで」

「それはもちろん。絶景の観光スポットですから! 迫力のある記念画像が撮れていますよ」

(それだ!)

「見せて」

「え、でもまだ整理していないので」

「いいから全部見せて!」

 半ば強引にデータを表示させて覗き込む。

 景色をメインに写しているので人物は小さかったり途中で見切れていたりしたが、それらの画像を見ているうちに女性グループの人たちや家族連れなどは「ああ、そうそう、こんな感じの人たちだった」と思い出す。残念ながら一人で来ていた男性は後ろ姿しか写っていなかったが、女性の方は他の客たちと離れて立っている横顔のものが一点あった。ところがそれを見てもはっきり記憶が甦ることはなく、どうにもピンとこないのだ。

「この人……だよね?」

 指差したのは肩口で切りそろえたストレートヘアに、シンプルで飾り気のないベージュ系でまとめたパンツスタイルの女性だった。年齢はおそらく三十歳前後。年齢的に考えてもこの人物で間違いないはずなのだが。

「……たぶん」

「……おそらく」

 ルルトアだけでなく伯母たちも自信なさげだ。それでも何かの参考にはなるかもしれない。

(一応この写真はクリスに送っておこう)

 聞いていたアドレスにデータを添付して送信する。

(ひとまず今できることはこのぐらいかなぁ)

 カフェのはしごもそろそろ潮時だ。

「さぁ、もう部屋に戻りましょう。コーヒーでお腹いっぱいです」

 促されて渋々立ち上がる。しかし店から出たところで再び足が止まった。出入り口付近でちょうどすれ違った二人組の乗客に見覚えがあったからだ。

(この人たちって……)

 つい先ほどツアー客の画像を何枚も目にしたばかりだったので、たった今話していた夫婦に間違いないと思うのだが、それにしては雰囲気がまるで違う。

(他人の空似にしては似すぎてると思うんだけど)

 ルルトアは迷いながらも二人に声をかけた。

「あの、突然すみません。昨日お会いした方……ですよね」

「……え?」

 怪訝そうに振り向いたのは、上質なドレスと宝石を身につけた四十代ぐらいの女性だった。傍らには彼女より少し年上のパートナーらしき男性もいる。間違いない。メディーレのファンだと興奮してしゃべっていた夫婦だ。

「火口見学のツアーでご一緒して、ゲートのところでお話した……」

 言いながら、後ろに立っているメディーレに向けて視線を促す。自分の顔は覚えていなくても伯母の顔を忘れているはずがないと思ったからだ。ところが返ってきた反応は予想とまったく違っていた。

「さぁ……どうだったかしら」

 女性はやや困惑気味に男性を振り返る。

「ねぇモリス、あなた覚えてる?」

「いや、僕は覚えていないな」

「……そう、ですか」

 おかしい。

(あれだけファンだと言っていたのに、伯母さんの顔を見ても気づかないの?)

 間近で話してみて、姿形はやっぱりあのときの二人だと確信が持てた。なのに印象がまるで違う。昨日話しかけてきた夫人は見るからにおしゃべり好きで、にこやかで、人好きのするタイプだった。ご主人もそんな奥様に甘くて、温厚そうな感じがした。けれど今ここにいる二人は表情があまりやわらかくないし、口数も多くない。どちらかというと冷ややかな印象だ。人間だから機嫌のよくないときもあるだろうし、こちらを不審に思っているならそれも仕方ないのかもしれないが、滲み出ていた人のよさみたいなものが感じられないのだ。

(まるで中身だけ別人と入れ替わったみたい)

「すみません。人違いだったみたいです」

 ルルトアが頭を下げると、夫人は「構いませんよ」とすげなく答えた。

「行こうか、ブリジット」

「ええ」

 立ち去る二人の背を眺めながらルルトアは伯母たちに小声で尋ねた。

「ねぇ、あの人たちって、昨日伯母さんのファンだって騒いでた人だよね?」

「ああ、たぶん」

「そうだと思いますけど……」

 メディーレとジャンカルロもやや戸惑っているようだ。

 しかし、さっき夫人は夫をモーリスと呼び、夫は妻をブリジットと呼んでいた。モリーはモリスの愛称のひとつだし、ビディはブリジットの愛称のひとつとして使われる。やっぱりあのときの二人に間違いない。

(ケンカをしているようすでもなかったのに)

 考えれば考えるほど違和感が強くなる。

「わたしちょっと寄り道してから部屋に戻るね!」

 それは衝動的な決断だった。

 叫ぶと同時に、ルルトアは二人が消えた方角に向かって駆け出していた。

「え!? ちょっと、ルル?」

「もうじき発車時刻だから、それまでには部屋に戻ってくるんだぞ」

「はーい!」

 背中越しに投げられた伯母のセリフに返事をしながら廊下を駆けていく。

 ガルディアの列車内は結構広い。一車輌が中型の長距離宇宙旅客船規模と同等なのだから当然だが、客室の他にも様々なスペースがある。一番上の階層にはレストランやカフェがあるし、二番目の階層にはジムなどのフィジカルトレーニングスペースやメディカルルームも用意されている。清掃ロボットが出入りする箇所にはゴミリサイクルマシンやリネン室があるはずだ。そして長い通路の中央にある階段のそばには、ホテルの廊下やエレベーター脇によく設置されているラウンジと同じような、ちょっとした休憩スペースも設けられている。

 そうしたスペースを覗きながら急ぎ足で探し回っていると、ちょうど階段を下りていく二人の姿が目に入った。

(いた! きっと下の階の部屋に行くのね)

 各車輛は前後にあるエレベーターと中央部分の階段で上下三つの階層が繋がっている。間もなくラスタバンを離れて次の星へと旅立つ時刻なので、自室へと戻る人々がそこを行き来していた。例の夫婦もゆっくりとした足取りで階段を下りていく。彼らの部屋を確認するためルルトアもこっそり後をつけた。

 ところが、なぜか夫婦は第三階層まで下りてもすぐに部屋には戻らず、ラウンジでくつろいでいる。仕方なく階段の手摺の陰に隠れ、しばらくようすを窺うことにした。二人は一緒にいてもあまり会話をしていないようだ。

(誰かを待っているのかな?)

 五分、十分と経つうちにだんだん廊下を歩く人が減っていく。やがて周囲に人影が見えなくなったころ。思いきってもう一度話しかけてみようかと思案していたルルトアの視線の先で、突然彼らは動いた。慌てて後を追う。ようやく部屋に戻るのかと思ったのに、なんと彼らは客室の前をすべて通りすぎ、突き当りまで行ってスッと角を曲がったのだ。エレベーターがある方に背を向けて。

(えっ……どこに行く気?)

 車輌の一番端なんて警備ロボットの待機場所か、清掃ロボットが出入りするところしかないはずだ。急いで駆け寄り覗いてみると、魔法でできた幻覚の壁が細い通路を塞いでいる。普通の人はきっとこれをただの壁だと思って前を通りすぎていくだろう。

(何を隠しているんだろう)

 恐る恐る幻の壁を抜けてみると、通路の先には一枚の扉があった。もちろんそれは客室の出入り口ではない。そもそも客室のドアは全部広い廊下に面していて、乗車チケットと連動したデジタルロックの自動スライドドアだ。だがこの扉は把手が付いている開閉式で、表面にはでかでかと「立ち入り禁止」の文字が書かれている。当然、鍵もかかっていたはずだ。

 うっすらと残る魔法陣の痕跡に目を凝らす。

(この魔法…………もしかして)

 ルルトアは戸惑いつつ手を伸ばし、把手を握ると、ぐっと力を込めて扉を押した。

(開いた)

 大きな音を立てないように注意しながら扉を閉め、あたりを見回す。

(……何、ここ)

 どうやら扉は地下へと続く入り口だったらしく、目の前に階段があり、それを下りた先にまた一つ頑丈そうな扉があった。周囲には何も物はなく、黒っぽい壁に覆われている。足下を照らしているのはオレンジ色の非常灯だ。ドアロックが解除されたので灯りが点いたのだろう。つまり普段は人が出入りしない場所ということだ。

 慎重にそろりそろりと階段を下り、もう一つのドアにも手をかける。分厚い扉は重たかったがやはり鍵は解除されているようで、なんとか押し開けることができた。

(……うわぁ)

 内側は予想よりも広く、天井も高かった。そしてフロアのほとんどをいくつかの大きな機械が占めていた。今は列車が停車中だが、間もなく発車予定時刻なのでエネルギーを蓄積しているところなのかもしれない。低い動力音が響いているし、機械全体に熱と魔力が流れているのを感じる。おそらく列車の運行システムに関わる機関部のような場所なのだろう。どう考えても乗客が来るところではないが、非常灯だけが点る薄暗い視線の先に人影が浮かんでいる。

 しかし、なぜか人数が多い。二人だけでなく四、五人はいるようだ。彼らは機械を眺めながら何やら話し込んでいる。

 その隙に、ルルトアはすばやく機械の陰に回り込んで身を隠した。

(あの人たちはいったい誰……?)

 頭の中をテロという不吉な言葉がぐるぐると飛び交い、緊張で手足が縮む。波打つ心臓が口から飛び出そうだ。それでもなんとか相手の姿を確認しようと、身を潜めながら少しずつ移動し、機械を挟んだ反対側から近づいていく。

 そうしてある程度距離を詰めることで、ようやく彼らの話し声が聞こえてきた。

「これで奴らの鼻を明かしてやれますね」

「ああ。できることなら、偉そうにふんぞり返っている連中が無様に慌てふためく姿をこの目で直接見たかったんだがなぁ」

「あの司祭の死体が見つかって、すでにだいぶ慌てているみたいよ。この列車に乗っている連中もそのうち逃げ出すんじゃない?」

(司祭の死体……ということは、この人たちがあの事件の犯人……?)

 どうやら全員が知り合いらしい。

「ですがマリア、危険物チェックが厳しすぎて武器らしい物はほとんど持ち込めていません。対魔法攻撃の防御術式を解除したとしても、こいつを完全に停止させるのは難しいのでは」

(やっぱりそうだ。まさか、この列車を壊す気なんじゃ……)

「構いません。どのみちわたしたちはザルツまで行くんだもの、ここで破壊するつもりはないわ。でも魔力推進システムにわずかでも異常が発生すれば、ロボットだけでなく乗員スタッフも直接ここにやって来るでしょう。監視カメラはすでに塞いであるのだし」

「では、そいつらを全員始末してよろしいので」

「もちろんよ」

 聞き耳を立てているルルトアは物騒なセリフに戦慄したが、マリアと呼ばれた女性は事もなげに笑った。

「そうしたら今度はあなたたちをそのスタッフの姿に移し替えて差し上げますわ」

(姿を、移し替える?)

 何それ。どういうこと。

「乗員スタッフになりすますことができれば便利ですものね」

(なりすますって……)

 一時的に姿を真似るだけならともかく、長期間にわたって他人そっくりな姿を維持し続け、魔力を持った人間にも違和感に気づかれないように行動するのは相当難易度が高いと思うのだが。

(そんなことができる人いるの?)

 理解し難い内容に、思わず身を乗り出し、相手の姿を視界に捉えた。その場にいたのは後をつけてきた夫婦の他、見知らぬ男性二人と、どこかで見覚えのある女性が一人。

(あ……あの人)

 五人の男女の中心に立っていたのは、印象が曖昧だったあのツアー客の女性だった。

 偶然とは思えない事故。不思議なくらい印象が薄く、みんなの記憶に残らなかった女性。そんな彼女とは対照的に印象的だったはずなのに、たった一日で中身だけ別人に入れ替わったかのように変化していた夫婦。バラバラだったピースが頭の中でひとつに纏まり、違和感の正体が形になっていく。

「では」

 モリスの姿をした男が懐から何かを取り出した。

「こいつの防御術式を解いて結界が消えると、すぐに警備ロボットが何体か出てくるはずだ。準備はいいか?」

「もちろんだ」

「任せておけ」

 テロリストたちが身構える。

(どうしよう……誰かに報せなきゃ)

「ああ、その前に」

 唐突にマリアという名の女が仲間の動きを遮り、こちらをチラリと一瞥した。

 慌てて頭を引っ込めたが遅かったようだ。

「ネズミが一匹入り込んでいるようだから、先に片づけておきましょうか」

「……っ!」

 一瞬で心臓が凍りついた。

 視線は遮られているはずなのに、冷たい眼差しがこちらに向けていることを感じる。棘のように鋭い気配が背中や首に纏わりついてくる。ぞわぞわとした悪寒が背筋を這い上がってきて、無意識に四肢が震えだした。

 身体が硬直したように固まってしまっているから、逃げ出すどころか身動きもできない。全身の皮膚がヒリヒリして痛い。

 肺がうまく空気を吸えない。

 呼吸いきができない。

(…………助けて……クリス!)

 心の中で叫んだとき、非常灯の明かりが一斉に消えた。





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宇宙の彼方で待っていて 青崎衣里 @eriaosaki

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