第5話
幼い頃から、ミズナは異常に勘が鋭かった。普段の気の強さが嘘のように怯える時は決まって酷い嵐の前だった。足音を忍ばせた誰かが背後に近付けば
ミズナを診察した当時の魔術使いは、娘を抱きしめ困惑する両親以上に困惑した顔で、
「あんたらの娘は魔術使いかもしれん。だが、そうじゃないかもしれん」
「どういうことです?」
「資質は十分過ぎる程ある。だが、目が開いてない」
「そんな馬鹿な。この子の目が見えていないって言うんですか?」
「そうではない。あんたらと同じものは見えている。ただ、力を持ちながら、魔術使いの見るべきものが見えていないということだ。このまま放っておくのは危険過ぎる」
ミズナの両親はますます困惑した。「魔術使いの眼」を持たない彼等に、「眼」を通した世界を説明することは難しい。ましてそれに因って形成される魔術使いの精神構造を理解することなど不可能だ。老魔術使いは、出来る限り簡潔に告げた。
「意識せず生き物の行動を操ったり、ほんの些細なことで誰かの心臓を止めてしまうかもしれない。無論、その『誰か』にはあんたらやミズナ本人も含まれる。傷付くどころでは済まんのだ」
母親は娘をきつく抱きしめ、父親は魔術使いに縋りついた。
「お願いです、何でもしますから、この子をお守り下さい」
魔術使いは暫く唸っていた。
「力を封印するか、魔術使いとして力の制御を学ぶしかないだろう。儂には無理だが、魔術導師様ならば封印も可能やもしれん。本人に魔術使いになる意志があるならば、推薦状を書こう。何方にしても、早目に一度導師様にお目通りした方が良かろう」
ミズナの状態は前例のないことだったが、結局彼女は魔術使いになる道を自ら選んだ。何年もかけて学び、『魔術使いの眼』で物を見る
「『眼』を持たないアタシは、魔術使いの世界を常時見ることは出来ない。術で一時的に見るだけだ。とは言え、きちんと学んだ魔術使いなら普段は『眼』を閉じてるんだ、別に不便は無い。けど、アタシは彼等と同じ世界に住むには遅かった」
ミズナは温くなった茶を一口含んだ。
「魔術使いがあらゆる事に平等なのは、世界が本質的に同じもので出来ているのだと魂に刻まれているからだ。生まれつきそこに住む者と、一時的にそこを訪れるということは全く違う。こうなってよく解った。心と五感は相互している。アタシは魔術使いに成りきることが出来なかった」
黙って聞いていたスルドゥージが口を開いた。
「姐さんの心は、他の魔術使いとちょっと違うってことですか?」
「そうだ」
「そんで、今の姐さんは、『魔術使いの眼』でしかものが見えないってことですか?」
「そうだ」
「『眼を閉じる』ってことが出来ないんですか?」
「そうだ」
「体調を崩したってことと関係があるんですか? 何だか大変な仕事をしてたって聞きました。そのせいですか?」
「まあ、多分そうだ」
「ずっとそのままなんですか?」
「……分からん」
スルドゥージはミズナをじっと見詰めた。
「その世界は、姐さんにとって居心地がいいですか?」
沈黙が続き、やがてミズナがスルドゥージから目を逸らした。
「アタシにはどうしてもやりたいことがあった。そして、皆のお陰でそれを成し遂げることが出来た。満足してる」
スルドゥージは思案顔になり、何を思いついたのか自分の服をごそごそと漁ると、隠しから小袋を取り出した。
「姐さん、甘いものは嫌いじゃなかったですよね。手を出して下さい」
ミズナが差し出した右手に小さな物が乗せられた。明るい琥珀色をしたそれは、中心に小さな花びらが入った可愛らしい飴玉だった。スルドゥージは小袋からもう一つ取り出した飴玉を、自分の口に放り込む。
「小さい頃からこれが好きで、今でも持ち歩いてるんです。子供みたいで恥ずかしいから、皆には内緒にして下さいよ」
ミズナも飴玉を口に入れた。とろりと甘く、花の香りがするそれは、どこか懐かしい味がする。
「どうです?」
「え、ああ、美味いな」
でしょう、と得意気に笑う男に、ミズナが不思議なものを見たかのような目を向ける。
「世界の本質なんて難しいことは解らないけど、飴玉はいつだって美味いし、姐さんは姐さんだ。ですが、姐さんがどうしても俺と茶碗が同じって感じるなら、不本意ですけど、俺のことはちょいと気の利く茶碗だと思ってくれればいいですよ」
ミズナは思わず噴き出した。
「偶には
「ルディと呼んでください」
「ん?」
「親しい人にはそう呼ばれてます」
ミズナは先程までより幾分柔らかい、しかし真剣な表情をスルドゥージに見せた。
「……いい加減諦めろ。お前は商団筆頭の息子だ。何時までも遊んでないで、優しく賢い女を見つけて、両親に孫の顔でも見せて安心させてやれ」
「家や仕事の為に女を選べる程、俺は器用じゃありません。俺が真剣だって、姐さんも本当は解ってるでしょう? そもそも、うちの商団の筆頭は世襲制じゃない。仲間内で選ばれた奴が引き受けてるだけです。親父の前は、他の店の店主が就いてました」
「お前には今の暮らしが性に合ってるように見える。アタシは村を離れる
「日々を共にするのは難しいかもしれない。それでも、俺は貴女の心に沿いたいんです。俺のことが嫌いならそう言って下さい。金輪際、商売以外で口を利かないと約束します」
いつになくミズナがたじろいだ……ように見えたのは、スルドゥージの都合の良い思い込みだろうか。だが、彼は己の感覚を疑わなかった。ミズナが誰に対しても同じ距離で接するのは、彼女の勤めに必要だからだ。彼女本来の気質なら、迷惑ならばはっきりとそう言うか、姿を見せることすらしないに違いない。まして、認めていない相手に過去を語ることなどありえないだろう。
(意識してないかもしれないけど、姐さんは俺の事嫌いじゃない、多分)
好機と見て取ったスルドゥージは、すくっと立ち上がり深々と一礼すると、改めて片膝をついた。
右腕をミズナに伸ばし、左手を己の胸に当て、
「姐さん、いや、ミズナさん、貴女の気高さ、優しさ、賢さ、全てが美しい。貴女の存在こそが、俺の世界の本質。貴女になら、例えどれだけ投げ飛ばされても幸せしか感じません」
ミズナは呆れ顔でため息を吐いた。
「はー、やっぱり、お前もう帰れ」
「今のでグッときませんでしたか? ちょっと待って下さい、やり直しますから」
「そういうところがなあ……ああ疲れた。少し休む」
「そうでした、姐さんは病み上がりですもんね。もうお暇します。これでも食べて、ゆっくり休んで下さい」
スルドゥージは慌てて立ち上がると、飴玉の入った小袋をミズナに手渡した。見送りに立ち上がりかけたミズナを制し、軽快な仕草で出口に向かう。
「それじゃあ、また」
戸に手を掛けて振り返り、にかっと笑った男に、ミズナが返した。
「気を付けて帰れよ、ルディ」
それから程なく、籠に野菜を載せて庵に戻って来たヒナガは、師匠に尋ねた。
「スルドゥージさんはどうしたんですか? 声を掛けたんですけど、気付かなかったみたいで、やけにふわふわした足取りで行っちゃいましたよ。馬で来たみたいだけど、忘れてないかな……」
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