第6話 渡航路
節刀の儀は済むと、自邸に立ち寄ることは許されない。
仰々しい従者につつまれて、早々と朱雀大路をくだって平城京を出立する。
彼らはおそらく大津道を通ったのだろう。難波の港に到着すると、これほどの人が棲んでいるのかと感嘆するほどのひとだかりが、波間にうかぶ、四隻の巨大な帆船を見上げていた。
船体は長さ二十メートル幅八メートル。現代の規模感で言い換えるなら、幅は山手線の電車三列分。高さに至っては七階建てマンションほどある。
まして甲板には船首から録事や書記官が乗る居室、留学生がつどう居室、そして、その二つよりやや棟の高い大使がすまう居室と、三つの屋舎が乗っかっているのだから、いまだ竪穴式住居に毛が生えたような棲まいの庶民にとって、海にうかぶ貴族の屋敷として映っただろう。――真備たちはこれに乗って唐に向かうのである。
乗船員数は一船百三十余りで、大使と判官はそれぞれ各船に振り分けられた。
彼らは二十日から一箇月ほどの時間をかけて、ゆるやかに難波から瀬戸内海、関門海峡をとおって、筑前の那の津に停泊し、六月中旬、もしくは下旬あたりに出航している。
航路は南路と呼ばれる海洋横断ルートで五島列島を経由した後、南風にのって東シナ海にのりだす。到着予定地は長江下流域に位置する
航海日数は定かではないが、遣隋使、および遣唐使の平均統計をとると、往路は早ければ四日、平均でも七日で着いたらしい。
だが、今回は十日ほどかかっただろう。
それというのも、彼等は揚州ではなく、そこから南に三百五十キロ以上離れた越州に着いている。どうやら予定より南に流されたらしく、船は越州で停泊せず、さらに運河をのぼって内陸部の
船から下りて、寄港地をふりかえったとき、五百名あまりの日本人は、日本という島国では味わえないスケールに圧倒された。それというのも彼等が停泊しているのは、巨大な湖なのだ。
名を
琵琶湖の約三・四倍の面積を有する巨大なラグーンで、太古の昔、海に接した岸辺が砂洲で閉じただけに、水深は浅いながらかなり広く、海賊ならぬ
天然のダムであり、水産資源の供給地。そしてこの水生都市に網目のように広がる水路交通のハブ港であった。
彼等はこの太湖を最初の足がかりに、長安を目指すことになる。
とはいえ、直ぐにではない。
州城に赴いて、入国審査を受ける必要がある。数日ほどかけて認められると、皇帝の賓客として扱われ、食糧や宿舎、
で、これで晴れて長安に、というと、これまた違う。到着した州と長安で情報が共有され、長安の入城人数が絞られる。これはむろん大使や留学生が優先され、水手たちは、帰国するまで到着地である蘇州で過ごすことになる。
長安から来京の許諾が伝えられるのは、到着州に認可されて、およそ二、三箇月。つまり真備たちはしばらく蘇州で暇ができるわけである――。
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