第四十二話 魔術オタクは噂される

ハノーク王国の王都ハノークは、なだらかな丘陵の頂上に聳える王城を中心とした巨大な街である。その偉容を上空から眺めると、三重の円を描いていることが分かるだろう。中心の円は勿論、王族が住まう王城を取り囲む城壁。一番外側の円は、街の発展と共に拡大してきた市街地を取り巻く市壁である。


その両者の間にある真ん中の円は、貴族街と一般居住区を区切る壁。その内側には、広大な敷地を持つ貴族達の邸宅が立ち並んでいる。通常であれば、広い街路を行き交う人も馬車もどこか落ち着いた佇まいでせわしさや騒がしさとは程遠い街区なのだが、ここしばらくは奇妙な慌ただしさが街全体に漂っていた。


全ての貴族とは言わないが、この王都に拠点を持つ貴族の半数以上がこの二週間ほどの間、非常に活発に動いていたのだ。屋敷の家人達は方方ほうぼうに散って情報を集め、当主達は密かに、あるいは堂々と集まって会合を重ね、お互いの動向を探り合った。


競争の激しい貴族社会を泳ぎ回るには、風向きや潮目を読み取る力が必要である。こういった流れに乗るのか離れるのかで、自らの家の浮沈が決定づけられることもままあるからだ。これらの貴族は生き残りをかけ、どの方向に向かえば良いのか、誰にベットすれば良いのか、必死になって知ろうとしていた。


これはそういった狂奔の日々が次第に落ち着き、貴族街が本来の静けさを取り戻しつつあった時分の話である。



この日の夜、王都のアルカライ家本邸にある当主の書斎には、四人の魔法使いが集まっていた。エステル、レヴィ、サーラ、マリア。言わずと知れた、アルカライ家の中核メンバーである。全員がソファに掛けたのを見届け、上座に座るエステルがまず口を開いた。


「皆忙しいのに、よく集まってくれたね。早速だけど、レヴィの報告を聞こうじゃないか」


「承知しました、母上」


レヴィは軽く咳ばらいをしてから、一同を見渡して説明を始める。


「カツィール侯爵家が正式に、オズ・アドニ・カツィールの『病死』を発表しました。葬儀は一月後、カツィール領で行うとのことです。これにより門閥派貴族達の混乱が完全に治まり、社交界は以前とほぼ変わらない状態となっています」


「カツィールはこちらとの全面対決を避けたってことだね」


「恐らくそういうことでしょう。シャミール侯爵家とゲッツェル侯爵家の代表は、オズが亡くなった直後に領国へ急行しましたが、今は再び王都に戻る途上にあるとのこと。両家には国元で兵力を集める動きがありましたが、こちらも既に解散していると報告が上がってきています。動きがなかったのはイェチェスケル侯爵家ですが……」


「あの家の王都公邸の仕切りは、例の爺さんだろう?ほら、先代当主の弟の。はらの据わり方が若い者とは違うってことだろうね」


「三十年前の戦争で将軍を務められていた、ザミール殿ですね。母上とは犬猿の仲だったと聞きますが」


「そんなことはないよ。あたしが今の侯爵どもの兵を役立たずと言ったんで、あいつがかばわざるを得なかったってだけさ。個人的には、お互い含むものなぞ持っちゃいないよ」


エステルの言葉に、その場の全員が微妙な顔になる。皆が皆「本当にそうか?」と考えているのが丸わかりな表情だった。


「ともかく、一触即発の事態は避けられそうなんですね?」


サーラの問いに、レヴィが腕組みをしながら答える。


「四侯爵家の動揺が派閥の貴族達にも波及して、一時は騒然としたんだが……。サキに言われた通り、こちらが侯爵家そのものや麾下の貴族に手を出す気は無いという情報を婉曲的に流したおかげで、混乱は大分抑えられたよ。不自然じゃないように噂を広めるのは、結構大変だったけどね」


「カツィール侯爵閣下もこれ以上のことはお望みではないようですし、今回の騒動はこれで終息したと考えていいでしょうか」


「あくまで今のところは、だけどね」


サーラが頬に手を当てながら漏らした言葉に、エステルが冷たく言い放った。


「えー、でも伯母様。先にサキに手を出したのは向こうでしょう?こちらはそれにやり返しただけなのにまだ何かする気でいるなんて、それって逆恨みじゃないですか」


マリアが呆れたような声で言い放つ。エステルはその意見に苦笑しつつ、懐から愛用の長煙管を取り出して煙草を詰めながら答える。


「恨みつらみというのはね、理屈じゃないのさ。人は誰だって、自分がした事は忘れてもやられた事は忘れないもんだよ。ましてや、子を殺された親の気持ちというのはそう簡単に割り切れるものじゃない」


紫煙をくゆらせながら、エステルは低く籠もった声で告げる。その視線は手元に注がれ、現在いま此処ここではないどこかについて、思いを巡らしているようだった。そのさまを見て、自らも子を持つ母親であるサーラとマリアも、何か感じ入るものがあったようだ。二人とも難しい顔をして考え込んでしまう。


「まあカツィール家が何か考えていたとしても、オズの葬儀が終わるまで動くことはないでしょう。勿論四侯爵家の動向にはこれまで以上に注意を払いますが、こちらもある程度警戒の度合いを落としても大丈夫かと。それでは、次の報告に移ってもよろしいですか?」


何やら湿っぽくなってしまった空気を払うように、レヴィが努めて明るい調子で声を出す。全員を見渡して異論がないことを確認すると、続けて発言を行った。


「今回の騒動に関わりのあったモルデカイ翁ですが、正式にカツィール侯爵家と縁を切られました。その上で、弟子の方々も含め一同揃ってアルカライ派うちの下につきたいと打診してきておられます」


「はぁ?あのジジイが?どういう風の吹き回しだい?」


「弟子が妻子を人質に取られ、暗殺の実行犯に仕立て上げられそうになったのですから、カツィールに愛想が尽きても已む無しかと」


「それはいいんだよ、問題はその後。何で今更、うちの門下にくだるなんて言い出したんだい?あの、とにかく自尊心が高くて常にこっちを目の敵にしてきた、独立不羈って言葉そのもののジジイが」


「アザド教授によりますと、当の翁は今回の騒ぎで当家に一方ひとかたならぬ恩義を受けたため、それに報いたいと申し出たそうなのですが……」


はあ、とエステルはこれみよがしに溜息をつく。


「あの性悪ジジイが、そんな殊勝なことを考えているわけないじゃないか。あたしが第四階梯に上がった時に、『礼儀知らずの小娘』って罵られた事は忘れちゃいないよ。どの面下げて、あたしの前に顔を出して頭を下げようっていうんだい」


この時、レヴィら三人の心の中は一つだった。成程確かに、人は自分がした事は忘れてもされた事は忘れないらしい。かの老魔術師が昔、エステルにそのようなことを言った事は事実としてあるのだろう。だがこの人がそれより以前に、モルデカイを怒らせるようなことをしていないはずがない……。


「弟子であるメレクの命を救って貰ったことを、恩義に感じているのは事実でしょう。ですが本音を言えば、派閥に加わることで我々の秘密が知りたいのでしょうね」


微妙な空気の中、レヴィが話題の軌道を修正する。


「我々の秘密。サキが教えてくれた知識のことだね?」


「そうです。三重円法や魔力鍛錬法、そして呪文動作省略……。他派閥の魔法使い達は未だこれらについて、具体的な情報を掴んではいないと思われます。しかし母上の第七階梯到達、そしてサキとルリアの目覚ましい成長を見て、彼等が我が家には『何かある』と疑っているのは間違いありません」


「一時期王国中の魔法使いが、学院へ行ってサキとルリアに面会しようとしたことがありました。また私達にも付き合いのある貴族から、懇意にしている魔法使いを紹介させて欲しいといった申し出が相次いでいます。後者には単純に、私達に擦り寄りたいと考えている方もいらっしゃるのでしょうけど」


「これでモルデカイ老師一派がうちの門下に降ったりしたら、ひどいことになりそうですね。派閥に与していない有力な魔法使いも、我先にとウチの派閥に加わろうとするんじゃないですか?」


ただでさえエステルとその兄弟弟子の系譜に繋がる者達は、王国の全魔法使いの過半数を占めると言われているのだ。この上希少な第四階梯魔法使いの一人が、弟子達を引き連れアルカライ閥に鞍替えしたと知れ渡れば、表面上中立を保っていた魔法使い達も雪崩を打って押し寄せるだろう。


寄らば大樹の陰とはサキの前世でのことわざだが、この国にも似たような言い回しはある。しかしアルカライ閥とはそのいただきは第七階梯に届き、枝葉は王国の半分を覆うほどの”巨木”だ。これ以上寄り集まられたら、その重みで幹が倒れるのではないか。マリアの発言は、そういった漠然とした不安を表していた。


「モルデカイに関しては、別に構わないよ。あのジジイもお迎えが近いだろうし、その弟子達にも頭を張れるほどの出来物できぶつは居ないから、ウチに預けておけば安心って魂胆なんだろうさ。その代わりにレヴィ、あいつにはきちんと人前であんたに頭を下げさせるんだよ。あたしは会わないからね」


エステルの言葉を、三人は微妙な表情で聞いていた。どうやら本気で根に持っているらしい。


「他の連中も、ウチの下につきたいっていうのなら許してやって構わないよ。そうだね、一応世帯しょたいを三つくらいに分けとくかい?あたしの直系と、ウチに縁の深い連中、それと最近になって入ってきた新参者で。あのジジイには、一番下から始めて苦労してもらおうじゃないか」


エステルは長煙管から美味そうに煙を吸いながら、さも妙案とでもいう風にニヤニヤと笑った。聞いている三人はまだ言ってるよこの人、と内心呆れ返る。


だが、エステルの言い分にも理がある。要は膨張を続ける派閥の内部を統制するために、序列化を図ろうというのだ。サキがこれを聞けば、「親藩・譜代・外様」と表現したかも知れない。あるいは「第三陣サード・オーダー第二陣セカンド・オーダー第一陣ファースト・オーダー」かも知れないが。


「いい案かも知れませんね。当面、三重円法や魔力鍛錬法については直系の者、一番目に該当する者達にのみ広めていけばよいでしょう。我々を含めたそれらの者達が他者に指導できる程十分に熟達してから、二番目以降の者達に教える形が無難かと思います。ですが……」


レヴィはそこまで言ってから、やや言いにくそうに言葉を続ける。


「実はサキが学院で、級友であるシャミール侯爵家令嬢のエリシェ殿に三重円法を教えたと事後報告してきました。あれ程何かする前に相談しろと、くどいぐらいに言い聞かせておいたのに……」


「シャミールの娘かい。確かサキやルリアだけでなく、ラメドのところの子やベギンの長男とも仲がいいんだろう?」


「はい、学院では常に五人で行動していると聞いています。もっとも、そのような仕儀になったそもそもの理由が、サキが人前で呪文動作省略を試してそれを目撃されたからなのですが。おそらくサキの思惑としては、エリシェ殿を取り込むことで四侯爵家にくさびを打ち込もうということなのでしょう。それは分かるのですが、その前に一言相談して欲しかった」


レヴィの渋面が止まらない。


「呪文動作省略を見られちまっているんだから、今更どうってことない気がするがねえ」


「動作省略はいいんですよ。見られたところで、真似なんて出来ないんですから。しかしそこに三重円法が加わると、動作省略が成功してしまう可能性が高まります。今の段階で、動作省略が広まってしまうのは避けたいでしょう?」


エステルの呑気な感想に、レヴィが溜息混じりで返答する。しかし続いてエステルから放たれた言葉は、三人の度肝を抜くものだった。


「でもねえ、どっちみち三重円法も魔力鍛錬法も、呪文動作省略だってそのうち公開されるよ。サキの代になったら確実にね。今だって三重円法は学院でも教えるように、教授達に働きかけているみたいだからねえ」


「はあぁぁ?!」


レヴィ、サーラ、マリアが綺麗なユニゾンで、驚愕の叫びを上げる。それはエステルが言ったことが、魔法使いの常識から余りにもかけ離れているものだったからだ。


レヴィの書斎に束の間の沈黙が満ちる。たっぷり数秒経って、頭を振りながらサーラが言った。


「お義母かあ様。サキは、あの子は何故そのようなことを?」


「あたしにだって分かりゃしないさ。でもサキはある時から、ずっと自分の持っている知識を広く世間に知らしめようと動いて来た。今まではあたし達がそれを止めようとしてきたけど、どうせいつかはあの子がアルカライ派うちを差配するようになるんだ。この流れは止められないよ」


「あの伯母様、そんなことをして一体何の得があるんでしょう?アルカライ派うちにとって損にしかならない気がするんですが」


「それこそサキ本人に聞いてくれと言いたいけどね。多分だけど、あの子は国中の魔法使いが魔力鍛錬や動作省略が出来るようになった、その先の事を考えているような気がするよ。何の目的でそんな事をするのかは、さっぱり分かりゃしないが」


「確かに三重円法や魔力鍛錬法に今から取り組んでも、誰もがそうそう簡単に第五階梯や第六階梯に登れるとは思えません。母上が健在な間は、アルカライ派うちと他の魔法使いとの差は詰まりこそすれ、我々の優位が揺らぐほどではないかも知れませんが……」


そこでエステルは長煙管の灰を落とし、新たな煙草を詰めながらとんでもないことをぽつりと呟く。


「言っておくけどね。今あたし達が手を焼いている魔法の秘訣なんて、サキの知識の中じゃ初歩の初歩だよ。あんなもの霞んじまうような恐ろしい秘密を、あの子は隠し持ってるんだ。あたしはそれを見た」


今度は、叫びは上がらなかった。三人が絶句する中、エステルは黙って火口箱で煙管に火を付けて吸い、吐き出す。その煙が書斎の天井に消えていってもなお、誰も口を開こうとしなかった。


この一年の間にサキが開示した知識は、どれも魔法の常識を根底から覆すようなものばかりだった。鍛錬による魔力の増大、イメージする力の訓練、呪文詠唱を格段に高速化する技。そのどれもが、普通なら一家相伝で秘されるに相応しい奥義である。それらが問題にならないほどの秘密をサキは知っているといい、そしてエステルはそれを実際に見たと言うのだ。


「……母上、それは一体……」


「故郷の村に、あの子達が来た時だよ。今まで黙ってたけど、あの時サキは我が家の秘伝の巻物の内容を、完全に読み解いたんだ。そしてその巻物の知識を用いて、とんでもない秘術を行使した」


「え、ちょ、伯母様?私もあの時村に居ましたけど、そんなの全然気が付かなかったですよ?!」


「あんたは里帰りで完全にだらけて、ろくにあの子達の面倒も見てなかったじゃないか。まあ、サキとルリアを歓迎する宴が終わった夜中に、サキ一人でこっそり試していたからね。あたしが気づいたのは偶然さ。サキ本人も見られたことに気づいてないだろうよ、多分」


「そう言えば里帰りをしたのは、サキが例の巻物を見たいと言い出したからでしたね。あの子達を狙う賊を排除したり、急に学院に進学することになったりしたので、巻物についてはすっかり失念していましたが。そうか……あれを……」


レヴィが腕組みをしながら、目を閉じてそう言った。脳裏では今よりもっと若い時分、何とかして解読してやろうと巻物と格闘した記憶を反芻している。


「今まで黙ってたのは悪かったけど、とても言えなかったのも分かるだろ?詳しいことは、まだ話せないけど。で、何でこんな事を言い出したかってことだけどね、つまり魔力鍛錬とか動作省略とかを広めてしまっても、問題にならないくらいの奥の手をサキは持ってるってことさ。恐らくだけど、巻物の知識以外にもいくつもね。レヴィが心配しているような、アルカライ派うちが周りに追いつかれるようなことはないから安心おし」


そう言われても三人は、全く安心など出来なかった。この母が、師匠が、世界最強と目される魔法使いが「恐ろしい」と評するような知識。そんなものがあっても、自分たちの手に余るものではないのか?そんな思いに囚われていたのだ。


「巻物の知識がどういったもので、母上が何を見られたかは気になりますが、一先ずそれは置きましょう。それでですが……ちょっと失礼」


レヴィが会話の途中で発言を切り、こめかみに指を当てて目を閉じる。これは彼の癖のようなもので、別の魔法使いからの<伝言センディング>を受け取った時の仕草だ。多数の部下を諜報活動に従事させているレヴィのもとには、時も場合も無視して頻繁に<伝言>が飛び込んでくる。情報を重視するレヴィは、大抵のことより受け取った<伝言>に集中するのを優先するようにしていた。


しかしこの時のレヴィは、普段とは様子が異なった。じっと<伝言>に集中していたかと思えば、やがてこめかみに当てていた手が移動して顔を覆い、遂には黙ったままうつむいてしまったのだ。尋常でないその様子に、エステルが声を掛ける。


「レヴィや、どうしたんだい?何か良くない知らせでもあったかい?」


エステルに声を掛けられてもレヴィはしばらく黙して俯いたままだったが、やがてそのままの姿勢で、絞り出すような声を出した。


「今……学院のアザド教授から知らせがあったのですが……サキが……」


「サキが?!」


三者三様の叫びが、再び一致して悲痛なハーモニーを生み出す。今度は一体何が起きた、いや、何を仕出かした?


「サキが、学院の呪文実験室を一つ、吹き飛ばしてしまったそうです。恐らく、魔法で」


アルカライ家の書斎に重い、実に重い溜息の四重奏カルテットが響き渡った。

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