第三十七話 魔術オタクは謎解きをする
……何だこりゃ?
ここはタルムーグ魔法学院の大図書館、その一階にある書庫の一角。俺は壁際に立ち並ぶ書架の内の一つの前で立ち止まり、目の前の本棚を見つめていた。一見両隣の棚と全く同じ、特に変わったところのない本棚。しかしその棚からは、俺にしか見えない魔力の粒子が物凄い密度で湧き出ていた。
この本棚の背は壁に接しているので、棚の裏に何かがあるとは考えにくい。しかし空中に滞留している魔力の粒子は、どうも本棚をすり抜けるように向こう側から湧き出しているように見える。これは一体……?
「どうしたの、サキ?」
背後からルリアに声を掛けられ、俺は急に現実に引き戻された。そうだった、今日は夕食前の空き時間を利用してこの大図書館を訪れていたんだ。この怪しい本棚はメチャクチャ気になるが、残念ながら今はこれを詳しく調べる時間がない。
「ああいや、大したことじゃないよ。さ、本を借りて寮に帰ろう」
俺はルリアにそう答えて、あからさまに謎に満ちた本棚に背を向けて未練を断ち切った。大丈夫、本棚は逃げやしない。今日のところは見逃してやるが、明日の授業が終わったら真っ直ぐここに戻ってきて調べてやる。
俺はやや怪訝な視線で俺を見つめるルリアを促し、貸し出しの手続きを行うため受付に急いだのだった。
明けて翌日。俺は何というかじりじりした気分を味わいながら、午前の講義や午後の実習に
一つには”バカ候子”ことユリ・アドニ・カツィールが、実家に戻るのでしばらく学院を不在にするということ。午前の授業が始まる前の朝礼で、アザド教授がクラス全員に向かってそう言っていた。基本的に一年生は学院の外に出ることは出来ないのだが、今回は身内の不幸があったという理由で特別に許可されたらしい。
そう言えば、ヤツの兄貴は今回の暗殺未遂事件の首謀者として既に鬼籍に入っているんだったな。なんか色々あって結構前に起きたことだと思っていたが、よく考えてみればあれからまだ三日か四日くらいしか経っていない。俺は王都にいたオズ・アドニ・カツィールが亡くなったその日に、当事者である婆ちゃんから話を聞いている。普通に考えればこれが異常な話で、学院に居るユリに兄貴が死んだという知らせが来るのは、常識的に考えても昨日かそこらの話だったはずだ。
カツィール領は結構遠いところにあるらしいので、ユリが戻ってくるのはかなり先のことになるだろう。いや、父である侯爵や後継ぎの長男の補佐をしていたというオズが亡くなったことで、学院に戻らずそのまま領地に残ることも十分考えられる。それはそれで寂しいような、安心するような、何とも言えん気分だ。
ついでだがユリの取り巻きの内の片方、背が小さくて嫌味な喋り方をする奴も、ユリに伴ってカツィール領へ戻るらしい。ただこいつは学院を退学し、実家に戻るのだという。そこでピンときた。暗殺未遂事件の際に、オズの指示に従って学院内で連絡役を努めていたという学生とは、おそらくヤツのことだ。完全に処罰無しとはいかなかったようで、ヤツには魔法使いになる道が閉ざされてしまった。
ヤツは今後学院とは無縁の、一般人として扱われる。今まで身につけた魔法は失われていないが、それを使うことは許されない。退学に際して、その決まりを破ることがあれば死を以て償うという誓約を立てさせられるのだ。可哀想だが、これも運命と思って諦めてもらうしかないな。
親分と兄弟分がいなくなったことで、取り巻きの残りの一人、大柄で丸っこい方が肩身が狭そうな様子をしている。だが同情はしない。どうせユリが戻って来たらまた増長するに決まっているからな。今のうちに、主家の庇護がない状態で世間の荒波を存分に味わっておくがいい。
午後の実習では、ロシェとイサクの二人が遂に三つ目の呪文を習得した。ここのところ二人は新しい呪文の練習そっちのけで呪文動作省略の訓練ばかりしていたのだが、何故か今日になって「何だか行けそうな気がする」とのことで試してみたら出来たらしい。動作省略の訓練が、新しい呪文の習得に影響を与えたということだろうか。いやマジでどうなってんだよ呪文習得の法則は。
手を取り合って喜ぶロシェとイサクに、俺も手放しで賛辞を送る。ルリアは……反応なし。どうでも良さげな目で二人を眺めるだけだ。彼女がこういう娘だということは付き合いの長い二人はとっくに理解していると思うが、せめて言葉だけでも掛けてやればとも思う。どうにかすべきだろうか。
エリシェ嬢も二人が新しい呪文を習得したことを喜んでいたが、何となく寂しげな様子が伺えた。まあそうだよな。この五人の中で、がっつり
それもどうかと思ったので、彼女にも三重円法を教えることにした。これがなければ、呪文動作省略を知っていても使えるようになるのはかなり困難だ。せっかくいつも五人で実習しているのだから、エリシェ嬢だけ何時までも仲間外れというのも可哀想だろ。
ロシェとイサクの二人が「いいんですか?」てな表情で俺のことを見ていたが、大丈夫というふうに頷いておいた。どうせいつかは広めるのだ。彼女には世話になっているし、秘密は守れる人だと思うしな。そのエリシェ嬢本人はものすごく申し訳無さそうな様子で何度も頭を下げていたが、気にするなと言っておいた。一応、勝手に他人に教えないようにと釘だけは刺しておく。最後にルリアは無表情の中に不機嫌さを滲ませるという高等技術を使っていたが、これは俺がエリシェ嬢に優しくしているのが気に入らないだけだな。
ご機嫌斜めなルリアだったが、実習を終えて「今日もルリアと二人で大図書館に行く」と俺が言うとすぐに機嫌を直してくれた。扱いやすい幼馴染で助かるぜ。
さて、それでは本日のお楽しみ。図書館の隠し部屋探索だ。
昨日と同じく受付に座っているアヤラさんに挨拶して、俺達は昨日に引き続き図書館一階のホールに入る。記憶を頼りに本棚の中を進むと、昨日と同じ場所で本棚から魔力の粒子が湧き出ていているのを確認できた。
「……ここがどうかしたの?」
昨日と違ってルリアは本を手に取りもせず、真っ直ぐこの場所を目指した俺の後を付いてきている。俺の様子が普段と違うと勘付いていたのだろうか。色々なことに対して勘の鋭いルリアだが、彼女にもこの場所が他と違っているとは感じられないようだ。
「ちょっと見ていてね」
ルリアにそう告げると、俺は魔力が吹き出している本棚の真正面に立つ。うーむ、どう見ても魔力の粒子は棚や本を突き抜けて向こうからやって来ているようにしか見えんのだが。俺は試しに、本棚に向けて手を伸ばしてみた。
「!」
驚いた。棚に触れると思った手は、そのまま突き抜けて何も無い空間をまさぐっていた。こちらから見ると、本棚の中に俺の手が途中まで埋まっているように見える。慌てて手を引き抜いたが、その拍子にこちらをびっくりしたように見ているルリアと目が合った。いつも半眼に閉じられている眼が、まん丸になっている。
ルリアを呼び寄せて彼女にも本棚に触ってもらったが、普通に棚があるように感じているようだ。彼女の手は本棚の表面をなぞり、突き抜けたりはしていない。俺だけ本棚の存在を無視できているのか?どういうことだ?
よし。覚悟を決めた俺は、この本棚の向こうへ突撃してみることにした。その前に、ちょっとおまじないをしておこう。
俺は右手の人差し指と中指を揃えて伸ばし、その指で頭上からみぞおちへ、右肩から左肩へと十字を切る。輝く光の柱が俺を十字に貫くさまをイメージし、小声で「
ついでにルリアを促して、彼女にも同じように<十字の祓い>を行使してもらう。一応これで二人とも、魔術的な悪影響からある程度身を守れるはずだ。この本棚の不思議が仮に魔法によるものだとして、それに魔術で対抗できるかどうかは未知数だが、まあ気休めだな。心を落ち着かせるくらいの効果はあるだろう。
ルリアの手を取り、もう片方の手を先程と同様に本棚に向かって伸ばす。そのまま前に進んで、本棚に手が埋まり、肘まで、さらに肩まで埋まっていき、そして――
俺達は本棚を突き抜け、外からは見えなかった部屋へと足を踏み入れていた。
そこは魔法の光で満たされた、五m四方ほどの狭い空間だった。三方の壁は白い漆喰で綺麗に塗り固めてあり、そこには朱と黒の顔料で大きく文様が描かれている。背後を振り返ってみると、俺達が通り抜けてきた本棚は無く石壁の短い通路があるだけだった。その向こうに、図書館の本棚の列が見えている。ということは、転移とかではなく普通に歩いてこの部屋に入ったってことだ。
そして部屋の中央には、石作りで俺達の胸元くらいの高さの台座があり、その上に一冊の本が載っていた。この台座を中心に物凄い規模で魔力の粒子が発生しており、それは部屋中に満ちて一部は通路から図書館の方へ漏れ出している。俺がこの部屋の入口に気づくことが出来たのは、間違いなくこいつのせいだな。
「サキ、何これ。凄い」
ルリアが俺の手を握りしめたまま、普段は半ば閉じた眼を見開いて周囲を見渡している。おうおう、キラッキラの瞳をしているな。分かる、分かるぞ。図書館の中にこんな隠された部屋があったと来た日にゃあ、テンション上がって振り切れても仕方ないわな。
「面白そうな部屋だね。ひとまず中を調べてみよう。台座や壁の文様には、触らないように気を付けて」
俺はルリアにそう注意すると、改めて部屋の中を見分する。中央の台座がすごく気になるところだが、まずは三方の壁を見てみよう。それぞれの壁には似たようなデザインの図形が描かれている。二重円の線と線の間に文字が配置され、中央の円の中には幾つもの図形が書き記されている。図形と言っても円や三角、台形といった多角形ではなく、直線と曲線を組み合わせた形象文字みたいなものだ。
「魔術で使用する
冷静に振る舞って見せているが、俺もやっぱりテンションが上ってしまっていたようだ。思わず考えていることを口に出してしまったが、ルリアは特に気にせず壁の文様を興味深そうに眺めている。まあいずれルリアには魔術についての正しい知識を伝えるつもりなので、知られても特に問題はない。
「サキ、この文字」
「ああ、お祖母様のところにあった巻物と同じだね。母音を省略されている」
この三方の壁に描かれているのがタリズマンであるという俺の印象が正しいなら、二重円の外側に配置されている文字は神名か、それに類するものが記してあるはずだ。とりあえず、朱色で大きく書いてある文字を読んでみる。
えー、なになに。MCHEL……ミカエル?ミカエルだと!?四大天使筆頭?おいおい何だよ、元の世界との共通点はイシスとかジェフティとかの神名だけじゃなくて、天使の名前もかよ!?うわー、これやっぱり俺の大先輩が転生して、この世界に魔術を持ち込んだ疑惑が高まったな。いや、その逆かも知れんけど。
残り二つの壁も確認してみたが、それぞれガブリエル、ウリエルの名が記してあった。四大天使と方角との関係を考えると、このタリズマンはそれぞれミカエル=南、ガブリエル=西、ウリエル=北を守護するためのものと考えることが出来そうだ。東のラファエルだけ、入口が配してあるからタリズマンがないと。
このタリズマンで何を守っているのかと言えば、当然ながら中央の台座にあるものだよな。俺は満を持して、中央の台座に近づいてみる。
台座は白い石を刻んで作ってあり、表面はすごく滑らかに仕上げられている。石肌の所々にオレンジと言うか薄いみかん色というか、そんな感じの色の縞が入っていて大理石っぽい雰囲気だ。その上に、羊皮紙で綴られた題名のない本が鎮座ましましている。質感から結構古い本のようにも見えるが、手にとってみないと真偽の程は分からない。
気になったのは、本を覆うように半球状のドームのような魔力の光が存在している点だ。この部屋に濃密に漂っている魔力の粒子は、この光のドームが発生させている。明らかに、この本に手を出したら何かありますよと言わんばかりだ。障壁みたいなものだろうか?ただ本に手を伸ばす者を拒むだけならいいが、もっと他に言葉にするのも憚られるような事態が発生しかねないとも考えられる。安易に触れようとしてはいかんだろう。
台座には本が載っている面の下側に、何行かの文字が彫りつけてある。本に近づきすぎないよう注意を払いながら、その文字を確認してみた。これもタリズマン同様に、母音が省略された昔ながらの記述方法だ。ぱっと見、巻物の時のように暗号化はされていないようなので、ルリアに水を向けてみる。
「この台座の上の文字、ルリアは読めるかい?」
こくりと頷いたルリアは、小さな声ですらすらと淀むこと無く読み上げた。
「我は書物にして世界なり。
我は始まりにして終わりなり。
万物は我無くして名を持たず
我によって万物はその存在をなさしめる。
我が名を答えよ」
「完璧。流石だねルリア」
俺の賛辞に、ルリアは気持ち胸を反らしながらむふーと悦に入る。実際、俺が頭の中で読解するより早く読み上げているので、ルリアの思考速度は驚異的と言っても過言じゃない。頼りになる幼馴染だよ、ホントに。
さて、唐突に
「サキ、これ分かる?」
「うん、多分分かるよ」
「分かるんだ……」
ルリアが俺を見つめる目が、普段より当社比で倍くらい熱を帯びているように見える。よせやい、これは俺の頭が良いからとかじゃなくて、知っているか知らないかというだけの話なんだ。そんなに尊敬の眼差しで見つめられると、ちと恥ずかしいから勘弁してくれないか。
あー、まあいいか。どうせ、こんな問題俺にしか答えられないだろうし、だったら今解くのも後に回すのも同じことだろ。何か重要な秘密を手にしたからって、扱い方さえ間違えなけりゃそれでいい。後は野となれ、山となれ、だ。
俺はルリアにその場から動かないように言うと、まず南(と思われる方角)の壁、ミカエルのタリズマンに向かって立った。折角なので、ちょっと格好つけて解答することにしよう。俺は指先で宙に十字を切り、この部屋に入る時にも行った<十字の祓い>を再度行うと、体全体を震わせるように腹の底から声を出して言った。
「汝、
続いて西、ガブリエルのタリズマンの前に立ち、同じように十字を切って答えを口にする。腹から出す声が体を震わせるように、俺の体内の魔力も同様に振動するようイメージするのがコツだ。
「汝、
そして北、ウリエルのタリズマンの前でも、同じように声を出す。
「汝、
最後に東、この部屋に入った入り口に背を向け、台座に向かって十字を切ると、最後の解答を口にする。
「汝が名は
俺がその答えを言い終えるや否や、台座を中心に凄まじい閃光が発生した。光は一瞬で視界を染め上げ、俺は咄嗟に目を守るべく腕をかざす。目を閉じて強烈な光に耐える俺の脳裏に、年配の男性の落ち着いた声が<
『よくぞ<四大天使の封印>を解いた、若き<
その声が終わると同時に光も消え失せ、俺達の目の前には光のドームが消え去った台座と、その上に載った本が残されていたのだった。
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