追憶のお楽しみ会
第34話 死神さんと夢
「……藍里、この子はきっと独りぼっちになってしまう……」
雪に覆われたように真っ白な背景に、声だけ聞こえる。今はもういない、大好きな祖母の声。
おばあちゃん。声をかけようとしても、そこにあるのは己の視界だけで、自分の姿さえ見えない。
「……だからね、ずっとこの子の傍にいてあげてね。藍里の家族になってやってね……」
祖母は先程から誰に話しかけているのだろう。これは夢なのか? それとも藍里が思い出せない記憶なのか。だが、藍里はただ久し振りに祖母の声を聞けただけで胸がいっぱいだった。
声はどんどん遠くなる。祖母が誰かと会話しているのは聞こえるが、水の中にいるように何も上手く耳に入らない。
お願い、おばあちゃん、どこにも行かないで。
※※※※
「おばあちゃん!」
気がついた時には、眩しい朝日が差し込んでいた。なんてことはない、平和な日曜日の午前である。藍里はゆっくりベッドから起き上がって、その頬に触れた。
「らしくない、まだおばあちゃんのことで泣くなんて」
指先には雫がついており、それは藍里が涙を流していた証拠であった。祖母が亡くなってから、彼女の夢を見ることはあまりなかった。きっと藍里の防衛本能が働いてあまり思い出さないようにしていたからだろう。
しかしどうしてまた祖母の夢を見ることがあるのか。藍里は多少疑問に思ったが、夢は脳の記憶の処理であると言い聞かせてベッドから立ち上がった。そのまま階段を降りてリビングルームに行けば、モルテが退屈そうに人間界の新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。
ほとんどBGMとなっているテレビでは街で起きた虐待死事件などの暗い話題を取り扱っている。
「おはよーございます、モルさん」
「おはよう、今日は大した寝坊助ね、アンタ」
「店が休みですから二度寝しただけでーす」
藍里は口をタコのように窄めると、冷蔵庫から牛乳を取り出して欠伸をしながらコップに注ぎ込んだ。その様子を見て、モルテはフッと笑った。
「二度寝は夢を見やすいって新聞に書いてあったわよ。いい夢見れた? ま、アンタのことだから逆立ちしながら料理するような変な夢だろうけど」
モルテの他愛無い話題に、藍里は暫し黙ってコップをそっと置いた。
「おばあちゃんの夢です」
「へえ、千夏の?」
モルテは眉を動かすと、そっと新聞を下げた。藍里は前もって笑顔を作って、クルッとモルテに振り向いた。
「ええ。多分おばあちゃんとの過去の記憶なんですけど、何だかすっごく懐かしい夢でした」
藍里はただこの話を世間話として終わらせようとした。しかしモルテはそっと顎に手を置いて難しい表情を浮かべた。
「奇遇ね、アタシもちょっと昔の夢を見たわ。まだフィーアの元で修行してたぐらいの時のね」
藍里は一人には大きすぎる一軒家の一室をモルテに貸し出していた。そこでモルテはたまに仮眠を取っていたりする。まさかモルテも懐かしい夢を見ていたなんて。とはいえ、未だこの事実は偶然の域を出ない。藍里は話題を流そうとしたが、その時だった。
「うっ、うぐうァァァァ!!」
平和な朝には似合わない叫び声。藍里はバッと振り向いて、キッチンの窓を見つめた。間違いない、今の声は大蔵邸の畑がある庭から聞こえた。
「モルさん、行きましょう!」
「ええ」
藍里はモルテと見つめ合うと、すぐさま裏庭に出て行った。出て行ったで辺りを見回せば、畑のすぐそばに人影が見えた。人影は倒れ込んでいるようで、苦しみ悶えてジタバタ跳ね回っていた。
「大丈夫ですか!?」
藍里は人影に近寄って、その肩に手をかけた。叫び声を上げる人物は藍里より少し背丈が短く、ブカブカのロングコートに金と黒のツートンカラーの髪色をした独特な風貌をしていた。
恐らく男である彼は藍里の声など全く聞こえておらず、藍里は今度は膝をついて彼の顔を覗き込んで声をかけた。
「あの、大丈夫ですか!」
「……ってあげないと」
「えっ?」
男の絞り出した言葉に藍里が首を傾げると、次の瞬間には男は顔を上げて勢いよく藍里に凭れ掛かってきた。
「おうおう、急になに!?」
「救ってあげなきゃ、あの子を、”ホナミちゃん”を、」
少年と青年の間の容貌である、その男はそれだけ伝えると糸が切れたようにその場で倒れ伏せた。藍里は突然のことに頭が白黒して、男と同じように力無くへたり込んだ。モルテは男の襟を掴んで引き上げると、ふむと興味深そうに彼を観察した。
「へえ、そういうこと」
「こんな時に何の物色ですか?」
「変な勘違いすんじゃないよ、小娘」
モルテは藍里を睨むと、彼女に向かって彼を掴んで揺らしてみせた。
「こいつ、アタシの同族、死神よ」
「それが何で、また家に……」
藍里はここの所、死神が絡んだ事件に巻き込まれて続けているため、いい加減泣きたい気分であった。しかし舞い込んでしまったものは仕方ない。彼女は溜息をついて立ち上がると、男の肩を支えた。
「あら、どうする気? お持ち帰りしちゃうの? こんな怪しいボーイ」
「ったりめーですよ。あんなにこの世の終わりみたいに苦しんでたのに見捨てれません。ほらモルさんも運んだ運んだ」
人使いの荒い子ね。モルテは軽く舌打ちをすると男を持ち上げて肩に担ぎ上げたのだった。
※※※※
「ゆるさない、ぜんぶ、ゆるさない」
平凡なアパートの前に、平凡とは対比にあるパトカーが数台とまっている。周辺には警察官が彷徨いており、険しい顔をして野次馬を追い払ったり、捜査の話し合いをしている。
その現場の丁度真ん中には薄汚れた大きいパーカーだけを身に纏った年端もいかない少女が立っていた。道行く大人は誰も彼女に目を向けず、ただ通りすぎるだけである。
少女は火傷や痣だらけの足で一歩踏み込んで、曇り空を仰いだ。痩せこけた頬の上にある双眼が何も映し出していない。
「ぜんぶ、コワス、助けてくれなかった人たち、みんなコワシテヤル」
少女はばっと両手を空に掲げると、狂ったようにケタケタと笑いだしたのだった。
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