ねこはおんをわすれない

捨て猫屋敷のクロとミア

 本格的な梅雨入りの気配を感じる連日の雨。

 その先に夏休みが見えてきた、七月の初め頃。

 一緒に帰り道を歩いていた玄冬くろとが、突然方向転換をした。


「ちょっと!」


 いつものこととはいえ、いつも突然だからびっくりする。

 私は玄冬のあとを追いかけて、遊具が綺麗に撤去された公園に入っていった。


「なに? どうしたの?」

「ねこ」


 たった二文字だけ言うと、玄冬は植え込みの奥から段ボールを抱えて持ってきた。言葉通り、其処には野球ボールほどもない小さな猫が三匹。オモチャみたいなか細い声を立てて震えている。


「これで12匹目だよ、玄冬」

「うん」


 玄冬は表情一つ変えないまま、箱を抱えて帰路を辿る。

 私と玄冬はいま、同じ家に住んでいる。玄冬の両親が与えた家に、玄冬の要望で。高校に近いからっていうのと、玄冬が朝起きられないからっていうのとで、私は彼の元で住み込みの家事代行業者みたいなことをやっているんだけど。猫たちのお世話は玄冬が全部やる決まりで、私はそれを手伝うだけ。これも一緒に住む上でのお約束。

 家は一階がリビングとダイニング、洗面脱衣所にお風呂場とお手洗い、それと階段下スペースに小さな物置がある。二階には私の部屋と玄冬の部屋、それと猫の部屋があって、猫部屋の隣にある小部屋は猫グッズとか餌置き場になっている。猫トイレは一階の勝手口になってる小さな土間と二階の猫部屋にあって、掃除は玄冬担当。

 高校生になって二人暮らしを始めてから……もしかしたらそれ以前から、私たちは猫に縁のある生活をしていた。


「明日、病院連れて行かないとね」

「うん」


 部屋に連れ帰り、子猫を温かいマットの上に乗せる。玄冬がタオルでくるんでいるあいだに、私は湯たんぽを作った。そうして見張りを交代すると、今度は玄冬が猫用ミルクを温めて持ってきた。

 子猫は本当に生まれたばかりって感じで、ずっとぷるぷる震えている。


心彩みあ

「なに?」

「明日、ニュース見て。六時半頃のやつ」

「? わかった。いつものチャンネルでいいんだよね?」

「うん」


 針のない注射器みたいなものでミルクを与えながら、玄冬が言う。ニュースを見る指示は久しぶりだ。こういうときは、私たちにうっすら関係ある誰かになにしらかがあるんだけど、それが何なのかは教えてもらえない。


「私、先に浴びてくるね。子猫ちゃんが落ち着いたら入っておいで」

「わかった」


 さっきまで子猫が入っていた汚い段ボールを手に、私はリビングを出た。

 ゴミ置き場に畳んだ段ボールを一旦置くと、着替えを手にお風呂場へと入る。一瞬横目で見た玄冬は、真剣な顔で子猫のお世話をしていた。あの子たちは病院に行って診断を受けるまで、猫部屋には入れない。先住猫の一匹も伝染る病気を持ってるから基本的にケージで過ごしていて他の子と時間差で部屋に放ってるんだけど、その子はいい大人だからか自由になってもあまりはしゃがなくて、玄冬に目一杯撫でてもらう時間として過ごしているみたい。

 お風呂から出ても、玄冬は相変わらず子猫を見ていた。

 子猫たちはふわふわのタオルにくるまれて、湯たんぽに寄り添っている。低体温で凍え死んでしまう心配は、取り敢えずなくなったかな。


「玄冬、私が見てるから入ってきなよ」

「うん。よろしく」


 玄冬と場所を変わって、お風呂場に行く後ろ姿を見送る。

 ひとりで生きる力もない生き物を野ざらしにする人がいるなんて、信じられない。でも玄冬が捨て猫を見つけたのは、これが初めてじゃない。うちにいる子たちは皆、玄冬が何処かから見つけてきた捨て猫ばかりだから。

 公園の植え込みの陰、河川敷の藪の中、高架下の段ボールの中、空き家の庭、朝のゴミ捨てのときに見つけた、ゴミ袋入りの子猫。最後のは収集車のお兄さんに青白い顔をしながら何度もお礼を言われたっけ。


「いくら何でも多すぎるよね……いったい誰が……?」


 指先で頭を撫でてあげると、子猫は「ぴぃ」と鳴いた。

 凄くちいちゃい。なのに猫の形をしている。ふわふわのいのちがふわふわタオルにくるまれている。全てがふわふわ。爪なんて幻みたいに小さいし、肉球は米粒だし、お口を開けても私の指先すら入らない。歯も生えてないし、なにもかもが未熟。

 でも、生きてる。小豆よりも小さいだろう心臓を動かして、生きてる。


「かわいい……」


 うごうごしたかと思えば頭が重くてぺちょっとなる。まだ目も開いてないから鼻をぴすぴすさせて辺りを窺っている。


「心彩、戻った」

「お帰り。玄冬は、今日はここで寝る?」

「うん。毛布よろしく」

「あとで持ってくるよ。先に夕飯の準備しちゃうね」


 うちは小さい頃から母親がいなかったから、料理も掃除もお手の物。勿論最初から出来たわけじゃなくて、玄冬のお母さんに教わったことが大きい。

 私の父は朝から晩までパチンコや競馬に出かけていて、夜は夜で綺麗なお姉さんが接待してくれるようなお店に行っていて。そんな生活をしていたら、当たり前だけど記入済みの離婚届だけ置いて、お母さんが出て行った。私が七歳の時だった。

 それでも父は生活を改めなくて、私の家族は実質玄冬と彼のご両親だった。学校で家のことなんか誰にも話してないから、クラスメイトはただ単に私と玄冬が仲のいい幼馴染だと思ってる……と、思う。


「ごはん出来たよ」

「ん、いま行く」


 食卓からリビングは一間続きで、子猫を寝かせている場所もよく見える。

 玄冬はごはんを食べているあいだも子猫のほうを気にしていて、私はそんな玄冬を気にしながらごはんを食べた。新しい子が来たときはだいたいいつもこんな感じ。

 食器を片付けているあいだも子猫についていて、本日二度目のミルクをあげた。

 猫部屋の子たちもごはんをあげて、猫トイレをお掃除してとやっていたら結構遅い時間になっていた。明日が土曜日で良かった。


「じゃあ、私は部屋に戻るね。なにかあったら呼んで」

「うん。おやすみ」

「お休み」


 部屋にある毛布を玄冬に渡して湯たんぽのお湯を入れ替えると、私は自分の部屋に戻った。


 玄冬が子猫を拾ったとき私が「これで12匹目だよ」って言ったのは、「こんなに拾ってどうするの」って意味じゃない。文字通り、近所で拾ったのが12匹なのだ。そのうち何匹かは衰弱してしまっていて、病院でお見送りをした。いくら何でも数が多すぎる。しかも、子猫は所謂血統書がつきそうな種類の子ばかり。


「嫌な予感がするなあ……」


 ニュースを見るように言われたし、明日になれば答えは出るのだろう。

 目を閉じて息を深くすると、私はそこはかとない不安を抱えながら眠りについた。


 * * *


 ――――翌朝。

 朝食の支度をしながらテレビを流し見していると、思い切り聞き覚えのある地名をキャスターさんが読み上げて、綺麗に二度見した。


『悪質ブリーダー逮捕』


 母猫に過剰な妊娠と出産を強要し、子猫を産ませて高額で売り捌いていた人が逮捕された。容疑者は都内某所に住む主婦で、子猫は中古物品などを譲るためのフリマ系サイトに出品されていた。

 逮捕に至った理由は、出品用の写真の背景が汚かったことで運営会社に通報され、更にペット専用の配送サービスを使わず通常の荷物として送ろうとしたことなどから発覚に至った。それと、近所では異臭騒ぎも以前からあったみたいで、何度か警察に通報があったにも拘わらず、警察は単なるご近所トラブルとして取り合わなかった。その結果がこれだから、本当にやりきれない。

 なんでうちの近所に……って思ったけど、自分の家の近所だとバレるからわざわざ隣町にまで捨てに来ていたんだ。

 捨てた理由も身勝手そのもので、毛並みが理想的じゃない子が生まれたりブームが去ったせいで売れなくなったのに、子猫が次々生まれるせいだって。自分で生ませておいてなにを言ってるんだろう。


「そう……この人が……」


 ブリーチしたパサパサの髪、部屋着みたいなスウェット、浮いた化粧に、ネイルをしてから数ヶ月経っていそうな半端に伸びた地爪。

 何十万もの値段をつけて猫を売り捌いていたのに、家も本人も全然綺麗じゃない。それどころか所謂汚部屋、ゴミ屋敷の部類で、過去にあの人から子猫を買った人は、こんな環境で生まれた子だと知ってたら買わなかったと言っている。

 この人にも子供がいるみたいだけど、どちらも中卒で家を出ているらしい。あんな母親の元にいるよりはずっとマシだと思う。父親がなにをしているのか知らないけど名前も出てこないってことは、存在しないも同然くらいの間柄なのかな。


「玄冬。そろそろ起きて」


 ソファで丸くなっている玄冬を起こすと、あくびをしてから一つ大きく伸びをして眠たそうな顔を向けてきた。


「子猫ちゃんたちは元気そうだね。朝ごはん食べたら病院行くよ」

「ん……」


 眠い目を擦って立ち上がり、玄冬は二時間ぶりのミルクをあげてから席に着いた。


 暫くはこんな日が続く。

 玄冬は子猫につきっきりで、私がそれ以外のことをする日々。

 私はいつも通り、クラスメイトへの言い訳を頭の片隅に用意して登校する。友人はきっと慣れた様子で「またかよ」って笑うのだろう。

 玄冬は昔から、なによりも猫最優先だったから。


「名前、考えないとね」

「うん」


 これでもう、うちの近所に子猫が何度も捨てられることはなくなるだろう。

 悲しい思いをする子が一匹でもいなくなるように、願わずにはいられない。


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