願望はるか
和之
第1話 深紗子
上賀茂神社から流れる小川に沿った一本道に、土塀で囲まれた大小様々な古い家が建ち並ぶ一角に、五十坪ほどの敷地に二階建ての
と後を追って慌てて飛び出し、エンジン音に打ち勝つように大声で叫んだ。
「気晴らしに奥琵琶湖へ行く」
「バカねッ、待ちなさいッ、こんな寒い夜に、しかも昼間ならともかくあんな誰も通らない危ない夜道で誤って崖から落ちたら
娘はその言葉に何かを暗示するようにニヤリと笑うと、母親の
虚しく走り去った車を恨めしそうに眺めると直ぐに部屋に戻り、携帯でまだ会社に居る夫の
夕日が落ちてしまえば誰も居なくなる場所へ
奥琵琶湖を一台の日産スカイラインRS昭和五十八年式のセダンタイプが葛籠尾崎の展望台に向かってエンジンを唸らせて登ってゆく。流石に年代物の車だけあって悲鳴を上げていた。三月とは云えまだ雪が降っている。幸い樹木を真っ白に染め抜いても路面までは染められない季節だ。
「まったく世話の焼ける娘だ。母親と
動転したが身投げをするつもりはない娘を追って、父は奥琵琶湖の葛籠尾崎へ車を飛ばした。助手席側にいる娘の婚約者は、義父になる茂宗が娘をなだめるのに呼び出して乗せた。彼は無言のままで隣に座り、闇を切り裂く前照灯が照らし出す路面をずっと見ているが、なぜか動揺はしていない。少し変わり者だが腕が良いのを見込んで店を任せた。なあに人間みんな一皮剥けば似たようなもんだ。
「お前はそうして良くも黙っていられるもんだなあ」
返事を期待していないが、こんな夜更けに地元の者しか通らない道では。運転する父親は黙っていられない。この道は限られた住民の殆どが昼間の買い出しと突発的な所要だけだ。あとは、こんな夜に出る住民は、夜明けを待てない急病人だけだ。
娘が家を飛び出した本当の原因はなんだ。なんせあいつは一人娘で何不自由なく育てのが裏目に出た。
「だが言っとくが娘を甘やかしたのはわしでなく妻の美由紀だ。妻は早く孫の顔が見たいと君を見付けたんだが、いや、間違ってない、申し分ない婿だと妻共々言ったが、肝心の娘があのざまで申し訳ない」
「いや、いいんですよ。彼女を甘やかしたのは僕の責任だから」
「責任か、いや待てよ。娘は男に振られて急に相手を探してくれと言ってたが、ひょっとしてまた昔の男とよりが戻ったのか?」
「まさか、最近まで一緒に出掛ける日が増えましたが、そんな傾向はこれっぽっちもありませんから……」
「灯台下暗しって云うことわざもあるからなあ」
「よして下さいよお義父さん、いえ、社長」
早々と父と呼ばれても悪い気はしないのか苦笑いした。
「まあ今度はとっちめないと君の手前、わしら夫婦は頭が上がらんよ」
薪美志が市内で経営する三店舗の内の一店舗を任されて、彼は頑張って売り上げを伸ばした。それが認められて一人娘を紹介され、本格的に付き合ってふた月後に結納を済まし、それから四ヶ月と経たない内にこのざまだ。
「見合いだが、娘は君を気に入ったはずだ。そうでなければわしらも勧めるわけがない」
車は葛籠尾崎の展望台がある開けた駐車場に着いた。向こうの端に娘が運転していた車が一台だけ、雪雲の切れ間から射す青白い月の光を浴びて、不気味に停まっていた。
「さあ行って来い、わしはもう引き返すからなあ。あとは二人でよく話し合って来い」
ひとこと云い残して薪美志は、車をそれ以上は進まず、展望台の入り口で引き返して行った。
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