第30話
健一の仕事は本当に一段落ついたらしい。
非情に忙しかったのは当初一つ期間だけで、そこから先は通常通り休みが取れているようだった。
「ミーコ、久しぶりに散歩に行こうか」
この日はとてもよく晴れていて尚美はずっとキャットタワーの最上部に登って景色を見ていた。
こうしてのんびりしているとどんどん眠たくなってきてしまうので、すぐに誘いに乗り、キャットタワーからジャンプして下りた。
健一が散歩紐をつけてくれるのをワクワクしながら待つ。
「よし、行こう」
外を歩きながら尚美は足元が白く染まっていることに気がついた。
これは、雪?
驚いて顔を見上げると空は晴れているのにチラチラと雪が振り始めている。
健一に拾われてからの月日はあっという間に過ぎていき、今はもう冬。
来年の春になれば1年ということになる。
信じられない速さで進んでいく毎日の中、尚美はただただ健一と一緒にいた。
「あの公園へ行こうか」
「ミャア!」
ハトと、ハトおじさんに久しぶりに会いたいと思っていたところだった。
あれ以来会っていなくてお礼を伝えられていない。
ウキウキとして気分で健一と共に公園に足を踏み入れる。
ちょうど木陰のベンチにハトおじさんが来たところのようで、右手に餌の入ったナイロン袋を下げている。
足元に塗らがるハトたちの中の一羽がこちらに気がついてかけよってきた。
「ポッポー」
と、陽気な声で挨拶してくる。
「ミャアミャア」
こんにちは!
あなた、前にご主人を助けてくれたハトね?
「ポッポー」
そうだよ。
元気になったみたいでよかったじゃん!
「ミャアミャア」
ありがとう。
あなたのおかげで助かったの。
あのまま誰も部屋に来なければ健一は今頃どうなっていたかわからない。
想像することすら、恐ろしい。
「ポッポー」
今仲間と一緒に餌をもらってるんだけど、あんたもどう?
どう?
と言われてもハトの餌を奪うつもりはない。
それはご自由にどうぞと言おうとしたところだった。
公園内で遊んでいた1人の女の子が走り出すのが視界の端に見えて尚美はそちらへ振り向いた。
3歳くらいの女の子が公園から飛び出していく。
そこ先は大きな道路になっている。
けれど親はどこにいるのか、女の子を追いかける人の姿は見当たらない。
尚美はなにも考えず、本能のままに駆け出していた。
散歩紐が手から離れて健一が驚いた表情を浮かべてミーコを見る。
だけど尚美は止まらなかった。
道路へ飛び出して行った女の子を追いかける。
決して交通量の多い道ではないけれど、それでもなんだか嫌な予感が胸に渦巻いていた。
なおみが道路へ飛び出した瞬間、女の子がこけて泣いているのが見えた。
それも、道路のど真ん中で。
いつ車がくるかわからない!
尚美は休む暇なく少女へ向けて走り出した。
それと同時に曲がり角を曲がって走ってくる赤い車が見えた。
いけない……!
泣きながらよろよろと立ち上がった少女の体に尚美は思いっきり体当たりしていた。
少女が2,3歩歩道側へとよろけて尻もちをつく。
呆然としている少女の瞳に真っ白な猫が写っていた。
そして次の瞬間、その体は跳ね飛ばされていたのだった。
☆☆☆
意識を失う寸前に見えたのは驚いた表情で駆け寄ってくる健一の姿だった。
そういえば、拾われたあの日もこんな感じだったんだっけ。
そう思っていたとき、尚美の耳にピッピッという機械音が聞こえてきた。
体はとても重たくてまだまだ眠っていたいのに、機械音が耳障りでどんどん意識が覚醒していく。
もう、なによ。
もう少し寝かせてよ関さん。
そう思いながらも薄めが開いた。
天井が近い。
関さんの部屋の天井ってこんなに低かったんだっけ?
「田崎さん、わかりますか?」
どこか焦っているような女性の声に視線を向ける。
そこには看護師の恰好をした見知らぬ女性が立っていた。
尚美は返事をしようとしたけれど、口に大きなマスクがつけられているようで声はでなかった。
代わりにコクンと頷く。
女性はなにやら慌てた様子で部屋を出ていったので、どうやらまたひとりになったみたいだ。
それよりもここはどこだろう?
どうして天井がこんなに低いんだろう。
関さんの部屋じゃないみたいだけど。
そっと自分の右手をあげてみる。
それを見た瞬間、大きく息を飲んだ。
白くてモコモコの毛がない。
なによりも肉球がない!
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