第29話

だけど今は大粒の雨が降り注いでいる状態だ。

野犬の匂いも気配も雨によってかき消されてしまっていたようだ。


野犬は一匹だけではなかったようで後ろの茂みの中からもう一匹が姿を見せた。


どちらも成犬で、ミーコの何倍もの大きさがある。

捕まったら殺される!


ついさっき死を覚悟していたものの、野生としての本能で生きることへの固執がつ膨らんできた。


2歩、3歩とゆっくり野犬から距離を取る。

喧嘩になっても絶対に勝てない。


それなら逃げるしかない。

ただ、子猫の足で逃げ切ることができるかどうかはわからなかった。


一か八かやってみるしか他はない。

ジリジリと後ろへ下がっているといつの間にかベンチの外へ出ていた。


これでは体ががら空きだ。



犬たちの視線を感じながらも一気に駆け出す。

同時に二匹の犬も駆け出していた。


広い公園を一目散に出口へと走る。


雨で視界が悪いし、足元も悪くて何度も転んでしまいそうになりながらも、懸命に前へ前へと足を運ぶ。


それでもやはり成犬の足の方がよほど早い。

あっという間の尚美のすぐ後ろまで二匹が迫ってきていた。


その気配におののき、足が絡んでこけてしまう。

そこで見た野犬の鋭い牙と眼光に怯えながら尚美は立ち上がることがやっとだった。


もう無理。

もう走れない。



こんなところで、こんな風に死ぬなんてごめんなさい。

関さん、子猫ちゃん、本当にごめんなさい。


ガクガクと震えている尚美へ向けて二匹が当時に飛びかかってきた。


避ける暇はない。

牙が、爪が尚美へ向けて突き立てられる……寸前だった。


「ミーコ!!」

それはほとんど怒鳴り声だった。


その声が聞こえた瞬間野犬がキュンッと可愛らしい声を上げて一目散に逃げ出したのだ。


呆然としてその後姿を見送っていると、背中から抱きかかえ上げられた。

その手は絶対に忘れることがないだろう。


大きくて、優しくて、暖かくて、大好きな手。

「まったく。急に外に出るんじゃない」



怒ったように言っているけれど、全然怒っていない彼はずぶ濡れのミーコに頬ずりをした。


あぁ……。

ずっとこうしてほしかった。


ここ一ヶ月間ずっとずっと、待っていた。


健一はよほど慌てて出てきたのだろう、傘もささずサンダルをはいていて足もとは泥だらけだ。


「最近かまってやれなくてごめんな。でももう大丈夫だから。山場は過ぎたんだ」


ミーコをきつく抱きしめて健一はそう言ったのだった。



☆☆☆


ずぶ濡れのミーコと健一は一緒にお風呂に入っていた。

今回は健一も濡れていたから、ちゃんとお湯をはって湯船に使っている。


ミーコは風呂桶にためられたお湯に浸かっていた。

こうしていると体の芯から温まってくるのがわかって心地いい。


だけど健一も全裸で入浴中ということで尚美はさっきから目のやり場に困りっぱなしだ。


「ほらこっちにおいで。シャンプーしてあげるから」


と、言われても今の健一は全裸で、しかも抱っこして洗おうとするものだから尚美は必死で逃げていた。


せめて服を着て!

私を洗うのはその後にして!

と、訴えかけてみてもやっぱり伝わらない。


結局は健一の腕につかまってしまって、そのまま膝の上に乗せられるはめになってしまった。



程よく筋肉のついた肉体を目の前にして心臓がドキドキしてくる。

このままでは温まるを通り越して沸騰してしまいそうだ。


そんなこととはつゆ知らず、健一は丁寧に尚美の体を洗っていく。

土で汚れた肉球は念入りに指先でこすられてしまった。


もし、もし今ここで自分の体が人間に戻ったら?

なんてことを考えてしまって余計に頭がカーッと熱くなってきてしまう。


ブンブンと左右に首を振ると健一に泡が飛んで怒られてしまった。

「さ、キレイになった。乾かしてあげるから、そこで少し待っててな」


先に脱衣場に出された尚美は安堵のため息を吐き出して、すっかりのぼせてしまったためそのまま冷たい床にねそべって目を閉じたのだった。

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