第26話

☆☆☆


その日の夜になってようやく健一の弟が帰ってきた。

手術は無事に終わったようで、家族全員が安堵のため息を吐き出した。


よかった。

無事に終わったんだ。

また、一緒に暮らすことができるんだ!


そう思うと頭がクラリとした。

考えてみれば今日は朝からなにも食べていないし、なにも飲んでいない。


心配で心配でそれどことではなかったのだ。

でも、安心した今一気にそのつけが回ってきてしまった。


メマイを覚えた尚美はそのまま横倒しに倒れて、「ミーコ!?」と駆け寄ってくる裕太くんを安心させる暇もなく、意識を手放してしまったのだった。



「ミーコ」

優しく名前を読んでくれるのは誰?


大きな手のひらで優しく私をなでくれるのは誰?


あまりの心地よさに浮上してきた意識がまた沈んでいきそうになるのをグッとこらえて目を開ける。


クンクンと匂いを嗅いでみると消毒液などの匂いに混ざって懐かしい人の香りがした。


ぱっと目を覚ますと尚美はなぜか健一の腕の中に抱かれていた。


「ミーコ。おはよう」

にっこりと笑うその人は間違いなく健一で。


あれ? 私まだ夢を見ているのかな?

と、首をかしげた。


だって健一はまだ病院にいるはずだから。

病院に猫を連れてくることはできないはずだし。



そう思った直後、消毒液の匂いを感じたことを思い出した。


健一の腕の中から室内の様子を確認してみると、そこは紛れもなく健一が入院している個室だったのだ。


驚いて「ミャア」と鳴くと、健一が人差し指を立てて「しーっ」と言った。


どうやら看護師さんたちには内緒みたいだ。

それもそうかと思って更に室内を確認すると、弟さんの姿を見つけた。


「昨日、兄貴に会うために家を飛び出したらしい」


苦笑いを浮かべて説明する弟さんに、倒れてから1日が経過していることを知って驚いた。


「だから連れてきてくれたんだな」

健一が納得したように微笑んだ。


その笑顔はまだ弱々しいけれど、声には力がこもっている。

本当にもう大丈夫なんだと思わせてくれる声色に涙が滲んでくる。


嬉しくて嬉しくて仕方ない。

「退院したらまたいっぱい遊ぼうな」


健一に頬ずりされて幸せが胸に満ちていく。



うん。

いっぱい遊ぼうね!

「ミャア!!」


尚美は元気よく返事をしたのだった。


☆☆☆


手術に成功してから退院するまでの期間、また尚美は実家でお世話になることになった。


裕太くんはあいかわらずパワフルで、遊び相手になっているよ夜にはグッスリと眠れる。


しっかり寝て、しっかり食べて、しっかり遊ぶ。

そんな毎日を繰り返していたある日、昼頃になって家にいた女性たちが慌ただしくなった。


まだお昼を食べていないからその準備かと思ったが、自分たちで作る意外にもお寿司を取ったりていて、いつもと様子が違う。


なんでだろうと気になって近づいてみるけれど子猫のミーコの姿では邪魔にしかならない。

足元へすり寄っていくと踏み潰されてしまいそうになって、慌ててよけた。


そうこうしている間に玄関が開いて「帰ったぞ」と、弟さんの声が聞こえてきた。

え、こんな時間に?


いつもどおり仕事へ行っていると思っていたので驚いて玄関へ向かう。



「あ、ミーコ待って!」

後ろから慌てて裕太くんがついてくる。


1度逃げ出してしまっているから警戒しているんだろう。


その手をすり抜けて玄関先へ向かうとそこには大きな荷物を持った弟さんと、健一の姿があったのだ。


「ミーコ。ただいま」

しゃがみこんで両手を差し出してくる健一に思いっきり抱きつきに行く。


「ミャアミャア」

今日が退院だったんだね!


知らなかった!

そんなことを伝えたくて必死にミャアミャアと声を上げる。


女性たちがいつも以上に張り切って料理を準備していたのはこれだったのだ。

それから健一のお父さんも合流してみんなで退院パーティをすることになった。



テーブルの上に乗り切らないくらいの料理に健一は目を丸くしている。

「俺、こう見えても胃切除したんだけど」


と、苦笑いを浮かべた。

それでも久しぶりに食べる家族での料理にすごく嬉しそうだ。


ミーコも一緒になって高級お菓子を沢山食べさせてもらうことができてご満悦だ。

「そろそろ本腰を入れないか」


料理が半分ほど減ったところでお父さんが健一へ向けてそう声をかけた。

それがなにを意味しての言葉なのかすぐに理解したようで、健一は端を置いた。


裕太くんは沢山食べて今は畳の上で横になって寝息を立てている。

その横で義理妹さんが裕太くんの体をトントンと優しく叩いている。


弟さんは居住まいをただし、お母さんは優しい笑みを浮かべて話しに耳を傾ける。

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