第25話

と、シワのある手で顔を覆い隠す。

そんなお母さんに寄り添うようにして義理妹さんが座り込んだ。


今日はみんな気が気ではない様子だ。

ただ1人、弟さんの姿がないのは病院へ行っているからだろう。


大勢で押しかけたところでできることは少ない。

邪魔にならないように行くのを我慢したのだとわかった。


「もし健一になにかがあったら……」


「きっと大丈夫ですよ。健一さんには元気になってもらわないと、私も困るんですから」


義理妹さんに励まされてお母さんはどうにかため息を吐き出した。

それでも室内の重たい空気は消えない。


手術は何時間くらいで終わるんだろうか。

予定通り進んでくれればいいけれど。


1度、義理妹さんがお茶を作りに席を立った意外はほとんど会話もなく時間だけが過ぎていく。



裕太くんもなにかしらを感じ取っているようで、今日はおとなしく絵本を読んでいた。


柱時計のカチカチッという音だけがやけに大きく聞こえてきて、そのたびに尚美の胸には焦燥感が浮かんでくる。


まだ終わったという連絡は来ない。


皮膚を開いていてみて手術不可能だと判断された場合はすぐに縫合されるから、手術時間は短くなると聞いたことがある。


だから大丈夫。

時間が長いのは、うまく行っているからだ。


自分自身にそう言い聞かせた。

それでも重たい時間がすぎれば過ぎるほど不安は膨らんでいく。


だんだん健一に会いたい気持ちが膨れあがってくる。



ここへ来て今日で4日目。

あれだけ毎日顔を合わせていたのに、もう会いたいと思ってしまうなんて。


やっぱり自分はどこか傲慢になってしまったのかもしれない。

お母さんが立ち上がり、和室から出ていったすきをついて尚美は駆け出していた。


広い廊下をはしり、少しだけ開いている大きな窓から庭へと飛び出す。

「ミーコ!!」


裕太くんがすぐに追いかけてきたけれど、振り向きもせずに走った。


病院までの道のりはわからない。

それでもいても立ってもいられなくて大きな門から外へ飛び出した。


途端に広い道路が広がっていて足を止める。


住宅街だからそれほど交通量はないけれど、こうして1人で外へ出たのは初めてで行き交う人々に驚いてしまった。


大丈夫。

1度公園まで散歩したことがあるんだから、それを思い出して歩けばいいだけだ。


でもあのときは関さんが一緒だった。

その思いを左右に首をふってかき消す。


1人でだって大丈夫。

大きな病院だから建物の隙間から見えるはずだ。


見えたら後はこの方角へ向けて歩いていけばいいだけ。

くじけてしまいそうになる心を叱責して足を前へ進める。



横断歩道にさしかかったとき、沢山の車が行きかいそのタイヤが目の前と通り過ぎていく光景に冷や汗が出た。


信号をよく見て渡れば大丈夫だとわかっていても、小さなこの体に気が付かずに突っ込んでくる車だってあるかもしれない。


グルグルと拘束で回転しているあのタイヤに巻き込まれてしまえば一発で終わってしまうだろう。


私が助けたこの子も、きっとこんな恐怖を味わっていたに違いない。

それでも自分の親や兄弟がいる場所へ向かおうとしていたんだろう。


湧き上がってくる恐怖心を押し込めて青信号を渡り始める。

数人の通行人たちが尚美へ好奇心の目を向けてはそのまま通り過ぎていった。


人々の足音や話声がとても大きく聞こえてきて、それだけでメマイを起こしてしまいそうになる。


それに加えて排気ガスの匂いが鼻腔を刺激して、鼻がバカになってしまいそうだ。

それでも足を前へ動かす。


信号はまだ青だ。



大丈夫、余裕で間に合う。

もう少しで向こう側へたどり着くと思ったそのときだった。


突然小さな両手が尚美の体を抱き上げていた。

そのまま抱っこされて見上げてみると息を切らした裕太くんの顔が見えた。


「早くこっちに!」


通行人の男性の声が聞こえてきたかと思って視線をせわしなく移動させると信号が点滅に変わっている。


裕太くんは私の体を抱っこしたまま歩道へと走ったのだった。


☆☆☆


「急に飛び出しちゃダメでしょ!」


義理妹さんに怒られている裕太くんはキュッと唇を引き結んでうつむいていた。


尚美はそんな裕太くんの顔を見上げている。


あれからすぐに家に連れ戻された尚美と裕太くんは義理妹さんにこっぴどく怒られることになってしまった。


ただ、怒られているのは裕太くんの方だけだったけれど。

自分を追いかけてきたことでこれほど怒られているのに、決してミーコのせいにはしない。


その分申し訳なさがこみ上げてくる。


同時に、自分は裕太くんにとってもうすでになくてはならない存在になっているのかもしれないと感じ始めていた。


まだまだ短い時間しか一緒に暮らしていないけれど、怒られる覚悟で外へ追いかけてくるほどに。


尚美は裕太くんの足にすりよるとごめんねと告げるために「ミャア」と一言鳴いたのだった。

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