第31話 仕事終わり
かなり濃い内容の仕事だった。事務所の地下室で寝転がりながら、天井とのにらめっこを始めてしまうほどに、精神的な疲れが酷い。
緊張の糸が切れてしまい、頭の中を睡魔のようなもやもやが埋め尽くしている。体中が灼熱なので寝ることはできないが、こんな感覚は久しぶりだった。
「最後に寝たのっていつだっけ……」
気付いたら、ここに来て二カ月が経過している。さすがに体の熱にも慣れたとはいえ、そんな中で寝られるようなことはない。慣れと苦痛は共存することを、俺は今日初めて知った。
「あー……ボーっとしちまう」
帰ってきてからどれだけの時間、そんな感じで過ごしていたか分からない。
この体になってから、日が経つ毎に明らかに脳の機能が低下している。気合を入れれば一時的に元の状態には戻れるが、気を抜けばボーっとしているだけで数時間経過しているなんてこともザラだ。
「あれ、帰ってたんだ?」
「あー? あぁ」
多分静香だ。多分、というのは目を閉じていて、声だけで人を判断しているからだ。
何か用があるのだろうか。彼女にも仕事はあるだろうに、こんな場所で油を売っていていいのだろうか。
「聞いたよー、やったじゃん。和彦が被移植者を気に入るなんて、初めて聞いたよ、私」
「お世辞だろ、お世辞」
俺は知っている。大人の褒め言葉の九割は嘘でお世辞だ。喜ぶフリをすることは必要だが、決してそれを鵜呑みにしてはいけない。
静香はウキウキで「そんなことないよー」とか言っているが、本当にそう思っているのだとしたら、こいつはとんだお調子者だ。
「籏崎とは戦ったの?」
「いや? 篠原が完封して出番なし」
「うわぁ……籏崎、もうお日様の下を歩けないかもね」
「やめてくれ……そのあたりのことは考えないようにしてるんだから」
俺の仕事のせいで死ぬ人間がいると考えると、おちおち心を休めることもできない。
どれだけ人間としての能力が高いとしても、やつらは所詮ヤクザなのだと、そう自分に言い聞かせるが、湊のあの声がその邪魔をする。
「戦争、か……」
────必ず、戦争を終わらせてくれる。
夢も見れない今の日本でのこの言葉は、夢以上に夢物語だ。富んだ土壌に生かされているだけの死にかけのアリ、それが今の日本人だと言っていい。大和魂なんてものも既になく、ただ国を守る盾だけは強い。
ROが無かったら、八十年前に戦争は終わっていたのだろうか────被移植者の存在を知ってから、そう考えることも多くなった。
「今何時?」
「夕方前くらい。なに? どっか行くの?」
「篠原が捕まえた被移植者に会ってくる」
「だれ? 籏崎?」
「……」
曲がりなりにも仕事のことなので、口外しても大丈夫なのか心配になる。別に、傭兵業の規則に、仕事中に知り得た情報の守秘義務はない。
だからこそ、これは信用問題になりかねない。これからも傭兵として生きていくつもりなら、口にしないべきだろう。
「仕事のことだから、言っていいか分からん」
「まぁ、確かに。じゃあついて行くよ」
「それならまぁ……いや、いいのか?」
どうせ、浦部瑞樹が捕まっているのは地下だ。その前に検査や許可取りの審査があるだろうし、聞いてみるだけはやってみても良いだろう。
それに、いろんなことがあったせいで今は気分が落ち込みがちになっている。いつも明るい静香が側にいた方が、気も紛れるというものだ。
「……お前はダメに決まってんだろ!」
「なんで~」
獅子堂会を訪れ、運よく入り口で篠原に会うことができた。またアポなしで来たことを怒られたが、どうやら浦部瑞樹に会うのは構わないとのことだった。
案の定だが、静香だけは別の部屋で待たされることになった。少し可哀そうだが、飛行しながら静香を運んだのは俺なので、どうか勘弁してほしい。
薄暗く、ほこりっぽい地下への階段を下りながら、篠原が顔をこちらに向けた。その表情には、心配のような感情が浮かんでいるように見える。
「なぁ、明け方のあの仕事のこと、静香には言ってないよな?」
「あぁ……籏崎がお前に完封されたことくらいは言ったな」
「それ以外は?」
「言ってない」
「ああ……良かった」
篠原は安心の表情を見せながら顔を正面に戻した。
やはり、言わなくて正解だったようだ。ただまぁ、黒川茂の裏切り、浦部瑞樹の捕縛など、明らかに公表しない方がいい情報ではある。ぺちゃくちゃ話す方がおかしいだろう。
「お前も薄々気付いてるだろうが、静香はマジでアホだ。それなりに教育したおかげで外面は普通の大人でいられているが、頭足らずなとこがある」
「んー……そうか?」
「以前あった日本軍とのいざこざも、大元の原因はあいつだった。それを誤魔化すのにどんだけ苦労したことか……」
そういえば、俺の傭兵名を『プラズマ』と名付けたのもあいつだった。篠原は静香のそういった面を言っているのだろうか?
ただ、そういう性格がどう日本軍とのいざこざに繋がるかが分からない。よっぽどのことが無ければ、軍が自国の国民に手を下すことはありえないだろう。
なんにせよ、今までの静香を見てきた俺にとっては、彼女がアホだと言われてもそんなイメージは全く湧かなかった。なんなら、俺の前ではとても親身に接してくれているように思える。
「そういうところもあるんだなぁ……」
「だから、お前の傭兵名には心底同情したぞ。それ、アイツが付けたんだろ?」
「あぁ、うん」
「傭兵名は変えられないからな……お互い、苦労するな」
明け方の仕事を終えてから、妙に距離感が近くなった気がする。主に、篠原から見た距離だが。
「……こいつまさか」
もしかして急激に俺に優しくなったのは、俺の傭兵名に同情してのことだったのだろうか? 質問に嫌な顔せず答えるところも、その同情からくる反応だったのだろうか?
どんだけ静香が嫌いなんだよとツッコミたくなるが、続く言葉で、それを超える納得感が芽生えてくる。
「この前のスーパーの襲撃だってよ、ヤクザぶったチンピラのやっかみだったとはいえ、静香なら被害ゼロで鎮圧できたはずなのに、調子に乗って能力をバンバン使ったせいで、スーパーがボロボロになったんだよ。ありえねぇだろ」
「そんなことあったのか……」
「獅子堂会と如月組の同盟締結の時も、あいつが地震を使ったせいで支部の建物の基礎にひびが入って、今、修復中なんだよ」
「うわぁ……」
思い出した。確かに、静香は地震を引き起こしていた。あれは音を扱う能力を応用した物だったのだろうが、使った場所が悪かった。感覚的には震度六強はあったと思うので、そんな揺れなら建物にダメージが行くのは目に見えている。
「だから、できるだけ情報は漏らさないでくれよ。それを知って静香が何をするか、分かったもんじゃないし考えたくもない」
「仕事だからな。それはしねぇよ、でも静香も頑張ってると思うぞ」
「頭がなきゃダメなんだよ。喧嘩だけできたって、トラブルを招くだけだ」
若頭ともなれば、仕事も激務なことだろう。そんな中で無駄なトラブルを起こされれば、彼のように苛立ちを感じるのは理解できる。
俺は第三者の視点からその苦労を聞いているだけだ。極めて感情的なその想いを、冷静な他人が否定するのは理解の放棄と同義だろう。口先では静香のフォローをしたが、内心は篠原寄りの感情になっていた。
「……浦部は何か情報を話したのか?」
「ああ、おかげで三笠組合の内部事情が知れた。そのうち奴らは潰すつもりだ」
「浦部のことはどうするんだ?」
「未定だな。あてはあるが、どう処理するか……」
────妙な言い草だ。俺はてっきり、浦部のことを殺してしまうものだと思っていた。今の言い方だと、殺害という手段をとりそうには思えない。
疑問に思っていると、階段の先から金切り声のような高い音が聞こえてきた。
「あ~け~ろぉぉぉー!!」
女の声だが、子供のように甲高い。地下なので壁に反響し、極めて不快な環境をそこに生み出している。
正直もう帰りたい。気になることはあったが、多分、この声の主が浦部瑞樹なのだ。マジで本当に会いたくない。
「はぁ……行くぞ」
「子供なのか……?」
「いや、成人してるはずだ」
せめて子供であって欲しかった。子供であれば、幾ばくかの納得と共にこの金切り声も許容できると思ったからだ。
会ってみて、浦部瑞樹という名前への覚えが勘違いだったら、ダッシュで帰ろう。
俺はそう覚悟し、地下の牢獄へ足を進めた。
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