ーepisode zero_One

《三千八百年六月 藍沢》

 「何見てるの?」

 放課後未だ帰らずに教室に残っている少女。紅に近い色の綺麗な髪の毛に蒼い大きな瞳。今年十五になる彼女の名は水喰凪海花みずばみなみか

 対する俺は藍沢。二十八歳中学校国語教員。

 「提出物終わったのか?」

 そこそこ提出率の低い凪海花に問う。

 「うん!」

 いや何その自信はどこから?

 そもそも提出期限過ぎてるのに国語の課題が出ていないからあえて遠回しに言ったというのに。

 それから

 「うん?」

 「うん!」

 違う。

 「友達じゃないんだから敬語使え。」

 「別にいーじゃん」

 良くはない

 「早く帰れ」

 今日推しの配信ライブがある。

 「へーい」

 ムッと可愛く頬を膨らませ凪海花は自席に荷物を取りに行く。

 はぁとため息混じりに俺は再びスマホに目を戻す。

 “喰花”

 喰花と書いてクラゲと読む天才少女。

 今から丁度一年前春。

 突如現れた彼女は顔をはっきりと出さずにいながらも持ち前の歌でデビュー数日で一部の所謂ヲタク層成人男性を中心としたファンを付け、一ヶ月後にはライブハウスで小規模なライブを行った。

 その後SNSでアップされた複数の楽曲がバズりファンも一気に拡大。

 歌い手配信者の配信ゲストから地上波放送の音楽番組、アニメやドラマの主題歌まで引っ張りだこ。

 五ヶ月でチャンネル登録者は五百万人を突破。

 ライブのクラウドファンディングでは開始早々億の桁まで集まる。

 そんな彼女の魅力。

 “うたをえがきます”

 最初の投稿でこのコメントとともに上がっていたのは影で顔が分からない少女の歌う様。

 顔が見えないというのに先ず何故か見えない瞳に吸い寄せられる。

 そしてその歌声が流れた瞬間、誰もがその歌声に釘付けになる。

 硝子のように繊細で時に華やかに、また時には儚く感情をさらけ出すような、曲を歌詞を全力で表現しているその歌声は誰もの心を奪っていった。

 作詞作曲を基本自分で行う。

 彼女は虚言なく確かに歌を描いていた。

 そして提供曲たちでさえ作詞作曲者の意図を紡いだように描き歌う。

 そんな喰花は遂に武道館ライブを行うとの事。

 今まで豊洲で何度かライブを行ってきたものの武道館規模は初だ。

 今日はその前に歌おう前夜祭配信ライブ。

 喰花をデビュー当初から推している俺としては絶対に見逃す訳にはいかない。

 ……こんな中学生と話している暇は無い。

 「あ、そうだ先生!」

鞄を形からかけ扉の方まで歩みこちらを振り返りふと思い出したかのように凪海花がそう言う。

 「見てこれ!」

 そう言い渡されたのは古いコイン。

 「昔の硬貨?」

 五円と刻まれたその硬貨は、歴史の教科書に載っている、昔使われていた硬貨。

 「うん!そうなんだけどよく見て見て」

 「よく見る?」

 よく見るも何もただの硬貨じゃねえか。

 さっさと帰って欲しいのでとりあえず見てみる。

 「その硬貨、本来なら真ん中に穴が空くはずでしょ?でもね、よく見ると線から少しズレてるの!」

 成程。そんでもってよく見ろと。

 「……で?」

 思わず聞く、一番嫌われるであろう回答、で?。

 「……エラー……コイン」

 おい先程までの元気はどこへ行った。

すげぇ沈んどるじゃんか。

もはや最後は聞き取れないくらいの声で細々と言う凪海花。

いや実際聞き取れたが。

 「エラーコインって更に価値あるんだっけ?」

 「そう価値大ありなの!」

 「くれるのか?」

 「あげるわけないじゃん」

 あげるわけないのか。

 完全にくれる感じだっただろ。今の。

 「ただのミスだろ?何でこんなのに価値があるんだか」

 「……先生はミスはミスでしかないって思うかもだけど、私は好きだよ。エラー。」

 この子は何を言ってるんだか。

 俺の手からそっと硬貨を取りどこか大人な顔で微笑む凪海花。

 幾つも違うのに俺よりずっと大人な顔、と思ったのは気の所為か?

 それも束の間直ぐに年齢相応のやんちゃな笑顔に。

 「なんかほら個性豊かって感じ?」

 「いや分からん」

 「えー!?なんで」

 なんでも何もないだろ。

 というか

 「いいから早く帰れ」

 「冷たっ!?」

 「俺も早く帰りたいんだよ」

 「うわ教師としてどうなのそれ!」

 「うるさい先生も忙しいのさっさと帰りなさい」

 「はーいわかったー」

 本当に分かってるのかこれ。

 「げっもうこんな時間」

 ふと時計を見る。

 時刻は十七時三十五分。

 部活も何もない生徒が残っている時間では無いものの、俺が急かしているだけで別にそんな遅いという訳でもない。

 「なんかあるのか?」

 「あーちょっと用事が……」

 慌てる凪海花。

 というか別に俺は止めてない。寧ろ帰ることを大推奨している。

 「先生さよーならー!また明日!」

 いや切り替え早いな。

 「さようなら。明日学校無いぞー」

 バッと手を振って教室を出、走って帰る凪海花の背を見送る。転けないといいが。と思うのも束の間。

 「いでえ!?」

 転けたな。

 階段の方から痛みを訴える声が響き、ドタドタとその声の主は去って行った。

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