神聖百鬼夜行伝

夜庭三狼

第壱章 渦

壱話・その壱

 弥生凪花やよいなぎかという名家『弥生家』の長女として生まれた少女は自身が土の上で寝ていた事に気付いた。凪花は上半身を起こすと、目の前には見知らぬ建物があった。

建物から金属を打つような音と、火花が散る音がする。凪花は建物に近付くと、の建物の窓からは赤と橙色の混ざった光が漏れていた。ザッザッという草履が地面を蹂躙する音と共に、〈カチーン――、カチーン――〉という音が近付く度に凪花の耳に響く。そして、建物の扉の近くまで来ると、まるで工事現場で聞こえる音のように金属音が煩く響く。凪花は好奇心で建物を覗くと、其処には見覚えのある人物が刀を打っており、その人物の背後には2人の男性が居た。凪花は『火造り』という日本刀の形に打ち出す工程を目のあたりにした。

(あの人は……)

 凪花はその人物を知っていた。その人物の名は戦国時代の刀工『數多瓦 禎嗣あまたがわら よしつぐ』であった。関西軍の武士達の武器を作って来た人物であり、それら武器は数々の逸話を残したと伝承されている。

まじまじと扉の隙間から見ていた凪花だったが、禎嗣の背後に居たご老人と目が合う。

「そこの嬢さんよ、其処そこからでは細かくは見えんぞ」

「あ、すいません。邪魔でしたよね」

「いや、別に良い。見に行くと良い。儂の弟子の成長を見ている所じゃ」

 凪花はその言葉に驚きを隠せなかったが、その言葉に甘えて、扉を開け家屋へと入る。禎嗣は真剣に刀になろうとする鋼を睨み付け、小槌で打つ。禎嗣の師匠はその姿を見守っていた。

禎嗣の師匠の名は『銀宮小太郞しろがねみや こたろう』と言う、彼もまた有名な刀工であった。然し、戦国時代に写真というものは無く、人物の容姿などは文書や絵で伝わって来たので、禎嗣と小太郞の実際の姿を見るのは、凪花にとって初めてのものであった。凪花は1512年の戦国時代の銀宮しろがねみや派の鍛冶屋に居たのだ。

 すると、禎嗣が小太郞に声を掛ける。

「師匠、火造りが終わりましたでござるよ」

すると、小太郞は禎嗣が打っていた刃を見る。

「うむ、見事じゃ。お前さんも立派になったもんじゃのう」

「教えてくれた師匠のお陰でござる」

 すると、禎嗣が凪花に気付く。

「おや、その少女は?」

「お前さんのそのたくましい背中を見ておったぞ」

「すみません、つい見てしまいました」

「良いでござるよ」

 すると、禎嗣は凪花をじっくり眺めると、微笑んで小太郞にこう言う。

「そうだ、此奴こやつにこの刀の号を決めて貰うのはどうでござるか?」

「え!?」

「ふむ、お前さんが作った刀じゃからな。お前さんの意見を認めよう」

「ちょっと待って下さい! そんな急に言われましても――」

 凪花は反射的に断った。刀鍛冶の知識もない凪花にとっては荷が重いからであった。すると、3秒間の沈黙から禎嗣が声を漏らす。

「――そうでござるか」

 禎嗣は少し残念そうな表情をしていた。するとその刹那、その表情に居た堪れないと感じた凪花は反射的に言っていた。

「や、やっぱりやります! いや、やらせてください!」

 然し、その発言は何故か凪花の心の声とは相反していた衝動であった。

「そうでござるか」

「一体どういう号にするのか――ちと楽しみじゃのう」

(嘘でしょ? 私には荷が重すぎます。こんな私にこの刀に名を付けるなんて。確か号って刀の愛称ですよね? もしダサい名前にしちゃったら、後世でこの刀が笑われてしまう。そしたら禎嗣さんの名誉にも傷が付いてしまう。どうしたら――、どうしたら――!)

 すると、凪花の脳内に語り掛ける声がする。

『そんな心配して、君に徳はあるのか?』

(――誰?)

『今は名乗らなくて良い。いずれ分かる』

(でも私には――)

『お主なら出来る。何故ならば――、この刀はお前も使う事になるだろう』

 その言葉に凪花は驚愕するが、無意識に言葉が出る。

「う――うず――<渦潮丸うずしおまる>で――どうでしょうか?」

「――渦潮丸でござるか」

 凪花は固唾を飲んだ。いずれ却下される。そう思っていたが、周囲は意外な反応だった。

「神渕殿が言っていた性能と合致しておるな」

「渦潮丸でござるか。なかなか良いではないか」

「え? あ、そんな褒められる事でも」

 凪花の表情は少し柔らかくなって、微笑みを見せた。すると、扉が開き、かみしもを着る男が現れた。

「刀はもう出来たか?」

「神渕殿、まだ生仕上げには入っておりませぬ」

「そうか、急用で悪かったな」

 すると、その男は凪花に気付くと、凪花にこう囁いた。

「お前さん、センスあるじゃねえか」

「えっと、貴方は――」

「――俺は<神渕眞栗かみぶちまぐり>だ」

「神渕眞栗って、武将の――ですか?」

「俺の事がよう分かるもんだな」

 すると突然、凪花に眩暈が襲う。そして、バタッと凪花は倒れてしまった。

「お嬢さん、大丈夫か!」

「何か変なものでも食べたでござるか!」

 そう刀工が心配する中、眞栗は凪花にこう呟いた。

「そろそろ目覚めな、凪花よ。そして、俺はあそこで待っているぞ」

(何で――どうして私の名前を――)

 すると、脳裏から声がする。

「姉様――、姉様――! ――姉様!」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 2007年5月10日、模倣空想世界『M-SO』の日本京都府の京都市のある邸宅にて、


 凪花は勢いよく起き上がると、自分が蒲団の上に居る事を知る。隣には自身の妹である彩葉いろはが居た。

「あ、あれ? ――いつの間に」

「もう一生起きないと思って心配してましたから」

「ああ、あはは。ごめんね、彩葉」

「ううん、姉様が生きていればそれで良いよ。早く学校行こ!」

 彩葉の声を聞き、凪花は安堵して呟く。

「あれは夢だよ。あれは私の妄想によって生まれた夢でしかないんだ」

 それを聞いた彩葉は少し首をかしげた

「――姉様、どうしたんですか?」

「あ、いや、何でもないんですよ! 早く学校行きましょう、彩葉」

「――今日の姉様、なんかちょっと変。まあ良いか! 姉様が生きてて良かったです!」

「あは、あははは――」

 先程見た夢で凪花は気力が削られていた。

(何だったんだろう。あの夢、長編小説を読み終えるまでの気力を失ったような気がする)


 そんなモヤモヤを抱えて、凪花は彩葉と共に身支度をし、学校へと向かった。すると、周囲の噂話が聞こえる。

「ねえ、知ってる? 最近の不審者の事」

「ええ、男女構わず若い人を襲うんでしょ?」

「そう、最近そういうの多くて不安になるわよね」

(不審者ですか――。あれ?)

 凪花は振り返る。然し、気配がした場所には誰も居なかった。

「姉様、どうしたんですか?」

「いや、何でもないですよ。早く行きましょうか」

「はい、遅れると怒られてしまいますからね!」

 そして2人はスタスタと学校へ向かうのでした。誰かに覗かれていた事も知らずに――。


 京都府立蜻蛉小学校の休み時間、凪花はあの夢の事だけを考えていた。きっと妄想でしかなかった――。そう思っていた。凪花は少し好奇心で、机の物入れにあった『M-SO日本史の人物事典』という事典を開く。開いたページには、『神渕眞栗』という人物のすぐ隣に『渦潮丸』という打刀のイメージ図が載っている。弥生凪花は動揺し、その事典を閉じてすぐさま物入れへと仕舞い込んだ。

(――嘘、嘘でしょ!?)

 公然の前で醜態を晒してしまったような状況が起き、あまりの羞恥心に凪花は赤面した。

 授業中、凪花はあの羞恥心が脳内の中に留まり続けていた。凪花は授業を真面目に受けようとその羞恥心を振り払おうとした。然し、羞恥心により凪花はそれどころではなかった。

「では、この問題を――凪花さん、凪花さん!」

「ふぇ!? ――あっ、これはその――」

 すると、一部の生徒達はそんな凪花を嗤い、担任は凪花を睨み付けた。

「凪花さん、もう貴女は授業を聞かなくて良い」

「え!? ――うぅ」

 そんな凪花をさらに嘲笑う声が響く。凪花は更に羞恥心を覚えて涙目を浮かべていた。すると、親友である芥川三千代あくたがわ みちよ梶井朔太郎かじい さくたろうは凪花に囁く。

「凪花、無理せんでええさかいな」

「僕を頼っても良いんだよ」

「え、いや、大丈夫」

 然し、そんな会話に水を差すように担任は凪花に言う。

「授業に集中する暇が無いなら出て行きなさい」

「え、あっと――、その」

「いいから出て行け!」

 その陰気で威圧的な怒声に凪花は怯んでしまった。咄嗟に朔太郎は担任に抗議する。

啄子たくこ先生! いくらなんでもそれは教師の自覚が無いじゃないでしょうか!」

「黙れ! 男のお前に発言権は無い!」

すると、三千代もその言葉に対して異議を唱えた。

「啄子先生! それは差別です! 生徒の見本である先生がそんな事を言って良いんですか!」

「うるさい!この教室で教鞭を執っているのは誰だと思っているんだ! 恥を知れ! 恥を!」

 すると、その場の空気に耐えられなくなった凪花は弱々しい声で言った。

「本当に帰らなければならないんですか?」

「凪花、あいつの言葉なんて従わなくたって――」

「いや、これは私が原因なんです。原因である私がとやかく言える筋合はありません」

 その言葉を聞いても、担任は無言の圧で黙っているばかりであった。凪花はその圧を察して、荷物をまとめた。

「この度は誠に申し訳御座いません――」

 すると、担任は言う。

「それで罷り通るとでも思っているの?」

「――え?」

 すると、教師は凪花の耳を引っ張って、凪花に言う。

「皆の前で土下座をしてから帰りなさい」

 すると、凪花は生まれたばかりの小鹿のようによれよれと震えながら土下座する。凪花は八歳の身にして初めて屈辱感と羞恥心を覚えた。

「この度は――皆様の邪魔をしてしまい、大変申し訳御座いません」

「――よし、早く帰りなさい」

 土下座から立ち上がった凪花はランドセルを背負い、嘲笑うクラスメイトと心配そうに見つめる親友達を背にして、教室を出て行った。三千代は凪花の背に淋しさを感じた。

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