第22話 風向きよかわれ


 入店して早々、僕は店内の雰囲気に気圧けおされた。


 太陽や花のモチーフがよく目立つ、昼時を意識した内装に切り替わっていたことだとか、お客さんの上げる声に身動みじろぎしてしまっただとか、そんな些細ささいな事にではない。


 僕を除いて視界に映るお客さんはみな、女性。その人達のテーブルに着いているのはやはり見目麗しい男装に身を包んだ店員で、何かにつけて黄色い歓声が沸き起こっていた。


 注文した商品が届けば声が上がり、耳元で何か――何か、おそらく耳心地のいい言葉をささやきかけているのだろう。それを聞いた女性客は赤面した表情を見られまいと、両手で顔を覆っている。


 一般的なカフェであれば、まず見られない光景だ。


「――二名様でよろしいでしょうか。お嬢様」

「はい、よろしいです」


 なかば異世界に迷い込んでしまったような心地ではあったが、浮足立つ僕とは裏腹に、小春さんの姿勢はやや前のめりになっていた。


 不安よりも期待値が上回っている証拠だろう、心なしか瞳が輝いているようにも見える。


 片目を銀髪で隠した店員に案内されるまま、僕と小春さんはテーブルに落ち着く。


 それから別の店員に交代し、お客さんとしては初来店だった僕らはお店のルールや禁止事項の説明を受けた。


 かなり丁寧な説明だったと思うのだが、いかんせん緊張していたせいで相槌あいづちを打ったり、小さくうなずき返すのが関の山だった。このとんでもなくアウェーな空間にいて、肩身の狭さを感じない男性などいるのだろうか。


 ひと通り説明を終えた店員さんは向かい側の席に腰掛け――僕たちを見て、にやりと微笑んだ。


「案外早く来たねぇ。どしたの、学校サボり? 少年少女二人組」


 ベストとタイトなスラックスを軸に着こなされた、学校の制服とバーテンダーが着る服とを掛け合わせたような衣装は前回と変わらず。中性的なメイク、黒とレモンイエローが混ざり合ったポニーテールが記憶を喚起かんきする。


 目の前に座るハルキさんは、僕らにとっての恩人と言っても過言ではない。


 はいこれ。うちはソフドリも結構揃えてあるし、ぜんぶ美味しいからさ。以前バックヤードで話していた時とは違い、ハルキさんの声はいささか低い。男性的な仕草や姿勢も随分と堂に入っている。


 受け取ったメニュー表を見ながら適当にドリンクを注文し、僕たちは言葉を返した。


「サボりですね」

「サボりです。二人そろってこの有様です」

「いや息ピッタリか!」


 ハルキさんは手を叩いて笑い、


「でもあるある、そういう時って。オレの知り合いも医療系の専門入ってるんだけどさぁ……もうストレスエグい、来月で辞めるわ~って言ってたから。逃げれる時に逃げんのが正解。これ、マジで」 

「なるほど。現代の駆け込み寺はここでしたか」

「そんな感じそんな感じ。……で、小春ちゃん。カケコミデラってなに?」

「何かがのっぴきならずにお寺に駆け込むことをそう言います。ちなみにお寺に殴り込みを仕掛ける際は、カチコミデラと言葉を変えるので注意してください」

破戒僧はかいそうしか使うタイミングなくない? その言葉」


 小春さんの説明には多分にデマが含まれていたが、僕の意識はハルキさんの会話に向いていた。


 オレの知り合いとは、男装に身を包んでいない時のハルキさんの事を指しているのだろう。以前シノさんとの会話で、看護学校を辞めると言っていたのを思い出した。


 緊張を埋めるためにおひやを飲んでいたら、あっという間に底をついてしまう。


 ドリンクが運ばれて来たのはちょうどそのタイミングだった。


「お待たせしました。――嬉しい、本当に来てくれたんですね」


 アンダーリムの眼鏡に白い手袋、背筋がすっと伸びた執事を思わせる装いは、容姿の端麗さと相まって思わず“本物”と見間違う。ただグラスを置くだけの所作にさえささやかな歓声が沸き起こり、そこに完璧な角度でのお辞儀が添えられる。


 僕らに手を差し伸べてくれたもう一人の恩人は、涼しくもたおやかな笑みをもって歓迎してくれた。


「……ありがとうございます、シノさん。あの時は本当に――」


 ふっ、とこぼれ落ちた笑いが言葉を引き取り、


僭越せんえつながら……その方はおそらく、です。ですが彼の事は知っていますので、私からよく伝えておきます。……ハルキ」

「うい」

「お嬢様もお坊ちゃまも、みな満足させてお送りするように――私からは以上です」

「ッヘヘ……んなの、トーゼンじゃないすか」


 軽々しくも信頼に満ちあふれた返しが、ただの会話をエチュードに昇華させる。


 小気味よいやり取りに触発されてか、店内の各所からは無理、尊い、ああ私の執事様と、まるで地上に舞い降りた天使を賛美するような声が上がる。

 それを眺めてなるほど、だからソワレやマチネといった単語が店の名前を冠しているのだなと合点した。


 この店に通うお客さんにとって、シノさん達のようなやり取りはちょっとした“公演”であり、ご褒美なのだろう。


 しかし――はたしてどのあたりに感じ入っているのかは、男性の僕にはまだ掴みかねる感覚ではあった。


 拍手喝采がしばし店内を駆け巡り、鳴り止んだところで元の空気が戻ってくる。隣を見れば、小春さんまでもが拍手していた手を下ろしていた。


「知っていますか時生さん」

「な、何を?」

ちまたではああいった人を“おもしれー奴”と言って称賛するそうです。負けていられませんね、私たちも」

「……僕らが張り合ったところで、漫才するのが精一杯なんじゃないかな……?」


 ただ仲がいいだけの僕らの会話と、よどみないやり取りが織り成す掛け合いとではおそらく勝負にならないだろう。そもそものベクトルが違うし、あんなふうに芝居がかった台詞を僕らが言う姿はどうにも想像ができない。


 何より僕にとって小春さんは、既にじゅうぶん、“おもしれー女の子”である。


 笑ってしまうくらい非日常的な体験は、たやすく人の心を弛緩しかんさせる。緊張の糸が完全にほどけた時、僕はようやくこの空間に馴染めそうな気がした。せっかく来たんだ。


 思い切り楽しんでいってやろうじゃないか。




 『マチネ』を出たのが午後三時ごろ。


 その時間はちょうど営業終了時刻で、僕らはシノさんをはじめとした店員の人達に見送られながら退店した。


 ある意味では中途半端にも思えるこの時間帯、じきだいだい色に染まるであろう空の下には、ちらほらと制服を着た学生の姿が見え始めていた。


「楽しそうだったね、小春さん」

「そういう時生さんこそ。さて、次はどこへ行きましょうか……」


 映画を観に行き、ご飯を食べて、男装カフェで遊んだ後は自由時間。陽が沈むまでの事は、その時の気分に任せよう――具体的な予定を決めていたのはここまでだ。


 この非行の終着駅をどこにするかは、今の僕らにゆだねられている。


 気の向くまま足を動かし、アーケード街をひた歩く。仙台駅付近に近付いてくると“激安の殿堂”で有名な量販店が視界の端にちらつき、少し歩いたところで僕は止まった。


「……ネットカフェ」

「寄りますか?」

「あ……うん」返事を考えながら首の後ろを掻き、「結構、歩いたし」


 ここへ来るまでの道中でもなるべく日影の多い通りを歩き、かつ人混みのありそうな場所は避けて移動してきた。

 この間のように万が一の事があってはいけない。そう思うと、思考は自ずとデリケートになっていた。


 エレベーターに乗って、比較的新しめの雰囲気が漂うネットカフェへ。受付を済ませて部屋へ向かう。選んだのは完全個室の少し高めの部屋であったが、学割を併用すれば思いのほか安く利用する事ができた。


 個室の扉を閉めるとしん、とした空間が出来上がる。完全個室をうたっているだけあり、防音まで徹底されているのだろう。


 柔らかなフラットシートが敷かれた六、七畳程度のスペースに、小春さんはブランケットを敷いて寝転がった。


「住めそうです、ここ」


 僕は笑い返しながら空調の操作盤をけ、


「部屋の温度、ちょうどいい?」

「……一度か二度、上げてもらってもいいですか」

「うん。……あ、風向き変えとかなきゃ」


 小春さんの体に直接風を当てないようにする、以前ハルキさんがやっていた事だ。


 それから喉も乾いているだろうと思い、僕は廊下にあるドリンクサーバーで二人分の飲み物を見繕みつくろう。部屋に戻ってきてもなお、小春さんは横になったままだった。


 目を閉じているから寝ているのかと思ったが、


「ときに時生さん」


 言葉遊びのような呼びかけに耳がかたむけられる。


「さっきのあれは、告白だったりするのでしょうか」

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