第20話 茹で時間三分、あなたのそばに。


 遠足の予定を立てるのとは訳が違う。


 僕らが立てているのはただのサボりの計画で、決してのどかなものではない事は分かっている。おまけに二度目となる今回は一から十まで意図的だ。


 一度目の「何となく」でサボりを敢行した時に比べれば、今回の方がよりたちが悪いと言えるだろう。けれどもう、待ったをかけるという選択肢は頭の中に存在しない。


 服装は当然、制服。

 持ち物も鞄に詰められる物だけ持ち歩く。


 あとは明日、約束した時間に駅で待ち合わせること――二杯目のドリンクが空になる頃には話がまとまり、僕たちは解散した。


 不安が胸をかすめたのは翌朝、バスに揺られている時だった。


 スマホがなければ学校に連絡を入れる事ができないし、親にだって今日の事は話していない。話せるわけがない。


 登校途中に体調不良で、などと使い古された言い訳を伝えておけば最低限の言い逃れは出来そうだが、改めて退路は断たれているのだと思い知る。


 ――僕も随分、いけない事を考えるようになってしまったものだ。


 自嘲するような笑みが口の端からこぼれ落ち、不思議と誇らしい気持ちが湧き起こる。バスを降りて、待ち合わせ場所は先週の土曜日と変わらない。


 ステンドグラスの下に立つシルエットは、遠目からでもはっきりとその輪郭を捉え

ることができた。


「時が来ましたね。時生さん」


 大仰おおぎょうな言葉を僕は“おはようございます”と脳内で変換し、


「おはよう。待った? 小春さん」

「カップ麺が出来上がる時間程度には。ただで時間が五分のものは、残念ながらここでお別れとなります」


 ということはなるほど、三分以内に来られた僕は蕎麦そばに認定されたという事だろう。同じインスタント商品ではあるが、うどんには申し訳ない。


「危うくうどんになるところだったよ……」

「今日は一日、お互いにいる日ですから」僕がふっと笑い返すと小春さんはスマホを差し出し、「使ってください。学校に連絡は、まだですよね?」


 驚いた。

 今回ばかりはさすがに怒られるだろうから、明日は覚悟しておかないと――家を出た時から着々と固めていた決意の鎧に、亀裂が走る。


「いいの?」

「時生さんのスマホを駄目にしてしまった責任は私にありますから。それにこのままサボりを敢行すると、時生さんだけがモノホンのワルになってしまいます。抜け駆けはNGです」


 小春さんが責任感を抱く必要はないのに。そう思いつつも、僕の事を気にかけてくれた優しさにじわりと胸が熱くなる。


 僕は「ありがとう、それじゃあ少し借りるね」とお礼を言ってからスマホを受け取り、学校の番号を入力する。


 誰かもわからないスマホから電話がかかってきたので担任の先生には事情を――あくまでも嘘の――を説明する羽目になったが、会話は比較的スムーズに進んでくれた。


『――そうか。ちゃんと連絡してくれてありがとう。お大事にな、久世橋』

「っあ……はい。ありがとうございました」


 仮病を伝える際の心苦しさには相応のものがあった。けれど終わり際に添えられた優しい気遣いが、僕には何よりもにがかった。


 もしも今日、何かの間違いで先生と出くわしてしまったら、その時は罪悪感で胸が押しつぶされるような思いを味わうことになるだろう。


 悲喜こもごもの感情がため息になって溶けていく。


 肌寒さの残る昨日とは違い、今日の陽射しはうららかで風も涼しい。気候も穏やかそのもので、大きな気温の変動も無いと予報では出ていた。下旬にもなり、四月もようやく春らしさを思い出してきたようだった。


 気持ちを切り替えて小春さんにスマホを返す。未だ胸に残るほんの少しの罪悪感も――今だけは、見ないフリをする事に決めた。


「小春さんはもう連絡したの?」

「そうですね、ついさっきですが」


 踏み出された一歩に並んで小春さんの隣を歩く。時刻はたった今、八時半をまたいだところ。忙しなさにまみれた構内を出て、僕らは高架橋を道沿いに進んでゆく。


 向かった先は駅から歩いて二分程度のところにあるショッピングモールだったが、買い物をしに行くわけではなかった。そもそもこの時間帯では、ほとんどのお店や施設が営業していない。


 用があるのはこの建物の六階にある、映画館だった。


「やはり違いますね。早朝、映画館の空気ともなれば」


 エレベーターを降りてすぐのロビーにはそれなりに人がいた。大半は中高年の大人で、ソファに腰掛けて談笑しているのは大学生だろうか。見た感じでは二十歳前後に見える。


 ふと窓側の方に視線を向けると、制服を着た女子の二人組が僕らを一瞥いちべつして目を逸らした。制服は、僕や小春さんの通っている学校のものではない。


 けれど似たようなことを考える人間は、いつ、どんな場所にでもいるものだ。


 仮に彼女たちが学校をサボる為ここにいるのだとしても、芽生えるのは非行を許さない正義感などではなく、うっすらとした認知の欠片かけらだけだった。


「時生さん、かもん」


 自分を呼ぶ声に振り返ると、小春さんは物販の棚に目を奪われていた。


 パンフレット、クリアファイル、タオルに缶バッジにタペストリーなど、放映中の作品のものが所狭しと並べられている。いずれも趣向が凝らされており、見ているだけでも何となく雰囲気が伝わってくる。


「グッズの減り具合で人気が認識できますね。……ん? 人気と認識って、どこか惜しいような気がなきにしもあらず」

「何が――いや。言われてみればたしかに、早口言葉とか作れそうな気がするかも」

「候補としては、人魚とか忍者あたりでしょうか」


 視線が物販の壁に飾られた、二枚のポスターに注がれる。僕も別の映画のポスターを見繕みつくろいながら、


「に、錦鯉とか……二毛作とか」

「むむっ、それも捨てがたいですね。ニ行の早口言葉が作れそうです」

「ナ行だよ、小春さん」


 小春さんの中で新たなひらがなが誕生しかけたが、あえなく元の枠組みに吸収されてしまった。


 人気若手俳優出演と銘打たれた恋愛ドラマに、ありがちなSF作品。ソーシャルゲーム原作の劇場アニメ化作品には“大ヒット上映中”の札が添えられている。


 主張の強さはまちまちだが、どれもこれも「これだ」と思えるほどの魅力にはまだ手が届かない。


 というよりも、物販の棚を眺めて、観たいと思った映画を決めるという経験が初めてだ。小春さんは普段からこんな探し方をしているのだろうか。


「どう? 小春さん。何か気になったやつとか」


 白旗を上げるようなつもりで問いかけると、小春さんは一枚のアクリルボードを手にしていた。


「これとか」


 やたらと明るい、派手な髪色をした女の子が冷たい雰囲気を纏わせた女の子と並び立ち、夕暮れ時の太陽と水飛沫を掛け合わせたような、流麗で、幻想的なビジュアルの――


 小春さんの琴線に触れたのは、どうやらアニメ映画のようだった。劇場オリジナルの作品らしく、近くにあったポップにはその通りの文言が添えられている。


「どういう話なんだろう、これ?」

「舞台は海底近くに作られた賭博施設。両親の抱えた借金を返済するために、多額の賞金が賭けられたデスゲームに身を投じる姉妹の話――」

「……じゃないよね、たぶん」

「はい。私にもまったく内容がわかりません」


 あっけない白状に思わず苦笑いがこぼれてしまう。


「でも気になったのは本当です。どうでしょうか。アニメが嫌いでなければ」

「うん、嫌いじゃないよ。……面白そうだし、これにしよっか」


 アニメは人並みに視聴する。数も多くはないし、熱狂するほどのめりこんだこともないが、少なくとも抵抗を覚えるほど苦手ではない。


 何より小春さんの惹かれた作品がどんなものなのか、自然と興味が湧いていた。


 券売機でチケットを購入する。幸い十分後には上映が始まるらしく、適当な飲み物買ってまだ薄明るい劇場内へと足を運ぶ。


 まったく人がいないのは朝早くという時間のせいか、それとも単に人気がないからだろうか。そのおかげでというのも失礼な話だが、ほぼ貸し切り状態で鑑賞する事ができそうだ。


「もしかして時生さん、偉い人にお金を払いましたか」

「いや、別に……」

「そのお金は黒いお金じゃありませんか。どうなんですか」

「ごく自然な状態でこうなってると思うよ」


 デスゲームに参加した覚えはないし、その報酬で手に入れた黒いお金も同じく手元にある筈がない。

 僕の懐にあるのは日々のバイトでこつこつ稼いだ、至極まっとうな賃金である。


 暗転して灰色のスクリーンに映し出された映像を、僕らはぼんやり眺め始めた。

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