第17話 浸透性アフタヌーン
今まで気にも
だからどうしたと言われればそれまでだが、教室に足を踏み入れた途端、聞こえてきたのは長田くん達の賑やかな笑い声だった。
何かの動画を見ているのだろう。ひとつのスマホを全員が体を寄せ合って覗き込み、くすくすと点火した笑いの導火線が花火のように爆発する。クラスの誰もそれを気にしない。
時たま教室で起こる笑い声は長田くん達のものだったのかと、僕はどこか
――今までよりも、人の輪郭がぼやけない。
スマホを片手に
自意識から外れていたものの数々が、その輪郭をあらわにする。これまではただの記号や情報でしかなかった筈なのに。
けれど誰がもたらした変化なのかは、この上なく明白であった。
頭の中に思い浮かぶ顔はただ一人。僕は長田くんに借りていたノートを手に、笑いの渦中にいる本人に声をかける。授業合間の十分休憩を利用して、内容は既に写し済みだ。
盛り上がりに水を刺すような形になってしまうが、仕方がない。
「長田くん、ちょっと」
まるで街中に現れた珍獣を見るような、不思議そうな視線が一瞬にして突き刺さる。
唯一の例外は長田くんだけだった。
「おっ! あ、そっか、そうだったわ!」僕が差し出したノートを見てすべてを察し、「サンキュな、久世橋!」
「こちらこそ。丁寧だったし、すごく助かったよ」
「あ、マジ? なんか昨日は冴えてたんだよなぁ、へへ」
鼻をこすりながらの長田くんに、傍にいる男子がちょっかいをかけてじゃれつき合う。お世辞でもなんでもなく、長田くんのノートは要点がきちんとまとめられていて見やすかった。
そしてうっかり冴えていなかった日――長田くん的に言うなら、眠気が強かった日のこと――のノートも覗けてしまったのだが、あえてこの場で本人に告げるような事でもないだろう。
前衛芸術というか、
「っつかやべ、そろそろ授業始まんな。寝るなよ~久世橋!」
「ありがとう。まあ、お互いにね」
軽いノリで脇腹を小突いてきた長田くんだったが、彼はわずか開始五分で睡魔に飲まれかかっていた。
僕の正面三席目では、赤毛を含んだ茶髪の頭がゆらゆらと舟をこいでいる。今の長田くんにとって先生が読み上げる英文は、すべて子守唄のように耳を素通りしている事だろう。
放課後になればバイト先であるスーパーへと向かい、いつものように品出しと、その他の雑多な業務をこなしていく。スマホを壊したことも店長に伝える。
じゃあ、来月のシフトはメモにでも書いて出してくれればいいからね――ルーチンワークのように過ごしていた日々も、今となっては物足りなさが垣間見える。
先週の今頃は、小春さんとチャットで話していた頃だろうか。
「……明日、かな」
この間の土曜日、小春さんから渡されたクーポン券の裏を見る。
『平日ほうかご、駅中のカフェであいましょう。バイトない日でいいです――』
小春さんとは通っている学校が違うし、僕がスマホを壊した今では連絡手段も限られる。あの時はすっかり失念していたが、わかりやすい約束の一つでもあれば互いに会いやすくなるのは確実だ。咄嗟の機転に僕は心の中で感謝する。
念のため今日の退勤後に足を運んでみたものの、カフェに小春さんらしき人の姿は見当たらなかった。
僕と同じく体調を崩して休んでいたのかもしれないし、門限などの都合で早々に帰宅したのかもしれない。どちらにせよ、体に無理のない範囲で動いてくれたらと思う。
万が一の時を考えると、それだけで胸がざわついてしまうから。
普段であればだらだらと日を跨ぐまで過ごしてしまう平日も、今日だけは早々にベッドへ横になる。
『――時生さんに話したいことがあります』
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