エピローグ

 サンフランシスコで一番派手なユニオンスクエアを一本入った薄暗い裏道で<ハーフ・フェイス>はウィスキーの瓶を片手に待っていた。

 足元を見てはいけない。酔っ払いの吐瀉物や酒臭い小便、ネズミの死体がころがっている。

 野良猫ストレイ・キャッツですら、この裏通りには寄り付かない。

 <ハーフ・フェイス>は知っている。世の中ほどきたないものはない。

 時刻はまだ宵の口。

 夕闇が始まり、心地の良い風がこの裏通りにも流れてくる。

 中西部に比べるとこの西海岸は過ごしやすい。

 そろそろ、朝や昼寝した酔っぱらいや、きっちり日中、港湾施設で汗水流して働いた男たちがが繰り出してくる時間だ。

 通りの端には、街娼が自慢の胸の谷間とガーターを着けた足を見せながら立っている。

 <ハーフ・フェイス>は『ジャック・ダニエル』を軽くあおる。

 どんどん酒にだけは強くなり、酔えなくなってくる。量だけが増える。そして、シラフのときと酔っているときの差がなくなってくる。

 金だけは、たんまりあった。女、酒、博打。どれをやっても使い切れなかった。

 以前は、娼館では女の子と寝てるみたいって言われ可愛がられた。だが今は違う。   

 金を弾んで了承を得ても、露骨に嫌な顔を女たちはいた。火傷の跡がついてからは、面と向かって正々堂々と博打をするプロの博打打ちは居なかった。

 昔は良かった。

 兄と転がり続けているときは良かった。どうすれば良いのか兄が教えてくれた。いや兄の背中だけ追いかけていれば良かったのだ。


「兄ぃ、連れてきましたぜ」


 <ジンジャー>の声だ。

 赤毛の<ジンジャー>が二人の老いぼれを両脇に挟んでこの汚い裏通りにやってきた。

 一人は事務職風。メガネをかけ身なりも整えられきっちりしている。教育もしっかり受けている様子だ。

 もう一人は、赤ら顔の酔っ払いのホームレス風。よぼよぼと、びっこをひきながら歩いている。まっすぐ歩くことすらできないらしい。


「そこに並べろ」


 <ハーフ・フェイス>がもう一口ウィスキーを呷ると言った。ウィスキーは口に入るよりこぼれたほうが多かった。


「へ、へい」


 <ジンジャー>は、二人の年寄を並べると逃げるように<ハーフ・フェイス>の方に飛びのいた。

 ユニオンスクエアのランタンの灯りが漏れてくるだけで、裏通りは暗かった。

 あの娼館キャット・ハウスでの撃ち合いと同じだ。

 <ハーフ・フェイス>が尋ねた。


「お前は、ジョン・スミスか?」

「あ、あんたは、<ハーフ・フェイス>、、、、」


 身なりの良いほうが逆光のなか、怯えながら尋ねた。

 その<ハーフ・フェイス>という単語を聞いた二人の街娼立ちんぼが言い合わせるように、足早あしばやに裏通りの端から消えた。


「私は、この通り銃を持っていない。金ならほしいだけやろう。ただ命だけは命だけは勘弁してくれ」

「ジョン・スミスかって聞いている」


 <ハーフ・フェイス>のもう一度尋ねた声はユニオン・スクエアの女や男たちの喧騒にかき消され本当に小さかった。


「そ、そうだ」


 一瞬だった。銃声だけしか聞こえなかった。

 身なりの良い方が倒れた。どこに当たったのか誰にもわからなかった。

 最初のころは<ジンジャー>もすげーとか言っていたが、<ハーフ・フェイス>が気に入っていないことに気づいてからは、何も言わなくなった。

 隣の男が倒れても、酔っぱらいの男はおののき一つみせなかった。もう機敏に動けないのかもしれない。

 そして、世にも恐ろしいことを言った。


「おまえさんは、顔の片側に火傷の跡がある。ジェイムズ・<くそFuckin'>・ソーントンだろ」


 クソFuckingはつけてもつけなくても、結果は同じだと、酔っぱらいですら、もう理解していた。

 <ジンジャー>は怯えた。以前にも<ハーフ・フェイス>の正体を言い当てたやつはいたが、そのときジェイムズ・ソーントンは怒り猛り狂い。相手を射殺ではなく殴り蹴り、撲殺していた。

 それも、<ジンジャー>がそう思っているだけで、死んだかどうかは定かでなく、相手が気を失い動かなくなり、まるでボロ切れのようになっただけでジェイムズの凶行は二時間以上に及んだ。

 酔っ払いは、さらに言葉を続けた。


「兄貴のロブは死んだのに、なぜあんたは生きとるんじゃ? どうせロブを置いて逃げ出したんじゃ、、、、」


 そこまで、言ったときに、銃声が鳴り響いた。

 酔っ払いの姿勢はそれほど変わらなかったが、汚い裏通りにつっぷしてもう決して動くことはなかった。

 顔の片側だけにある火傷の跡は怒りで顔を歪めることさえ拒んだ。まるで、いやがる娼婦のように。

 <ハーフ・フェイス>は泣きたかった。まるで、火傷の跡一つ無いきれいな肌をもつ無垢な赤子のように。

 怯えた<ジンジャー>が気を利かせて言った。


「もう一人、近くにジョン・スミスとかいうたる職人がいるんですけど、まだヒゲも揃わねえガキでしてでも、でもよくあるように親父もおんなじ名前かも、、、、」

「今日はもういい」


 <ハーフ・フェイス>は言った。またウィスキーをあおると、少しふらつきながらきびすを返した。どうやら少し酔っているらしい。

 必死にサウスダコタ州を逃げだし、隠れ家セーフ・ハウスに戻ってる馬の背から金貨を取り出すと、<ハーフ・フェイス>は、ネブラスカ、ワイオミング、ユタ、アイダホ、オレゴンと渡り歩きながらジョン・スミスという名前のやつを殺し続けてきた。

 何人殺しただろう。

 この時代になっても一局面として、早撃ちのやつは無敵だ。

 何度か司法当局に囲まれたが、全員撃ち殺してきた。

 逃げなければ行けないとき、必要ならば、女も子供も年寄りも犬も猫も家畜も、生きてるものは何でも撃った。<ハーフ・フェイス>として。

 気がついたら、西の果てサンフランシスコに居た。

 此処から先は、海だ。

 知ってるぜ、あの白い鳥はカモメっていうんだろ。見た目はきれいだが獰猛で漁師が釣った魚や死肉を漁るらしい。餌が減れば仲間同士でも食い合うんだぜ。

 まるで中西部じゃねえか。

 太平洋は大西洋よりデカいらしい。

 冗談だろ。

 もう一度、東に戻るか?

 冗談だろ。

 ジョン・スミスなんて誰が聞いたって偽名だろ。

 冗談だろ。

 兄のロブ・ソーントンが死んだって。

 冗談だろ。

 どうやらこの世界は冗談で出来ているらしい。

 顔の半分に火傷の跡がついてから気づいたことがある。

 この世の中はきたない。

 取り繕えば、取り繕うほど、きたなくなる。

 酒を沢山飲むようになって一つだけ気づいたことがある。

 酒が身を狂わせるのではなくて、この世は狂ってる。

 

 <ハーフ・フェイス>はユニオン・スクエアまでもう何歩かというところで、誰かが少し遠くの離れたところで後ろに立ったような気がした。

 それと背中から腹にかけて痛みが走り銃声が聞こえたのが同時だった。

 どんな早撃ちも見えない後ろから撃たれれば対処の仕様がない。

 これも、中西部の掟だ。

 背後でも殺気を感じろ。

 そんなことを兄のロブから聞いたことはなかった。

 撃ったのはこの汚く臭い裏通りのゴミ箱に隠れていた<グレート・バム>だった。

 大男の<グレート・バム>はのっしのっしと倒れている<ハーフ・フェイス>のところまで来ると、後頭部にもう一発またもや後ろから笑いながら撃った。

 何でも確実にするためのダブル・ショット。


「へへへへ」


 <ジンジャー>が<ハーフ・フェイス>を見るより怯えながら<グレート・バム>を見て言った。


「後ろから撃ったのか、、、、」

「駄目なのか」


 <ジンジャー>は答えなかった。


「おい、いつまで、こんな余所者よそものをのさばらしておく気だったんだ? ん?。来てたった一週間かそこらで、殺しまくって、のさばりやがって、おい<ジンジャー>そいつから、金をふんだくれ」


 そいつといっても、この裏通りには死体は三つあった。だが、<グレート・バム>が求めているのが誰かはわかっていた。<ハーフ・フェイス>だ。


「死人から金をふんだくるのか」


 <ジンジャー>が尋ねた。


「駄目なのか」


 <グレート・バム>はそういうや、また後ろから<ハーフ・フェイス>のジャケットやそこらに手を入れ金を巻き上げた。この世の中にとりわけ死体には前も後ろもなかった。

 で、札束をひらひらさせた。


「金も血まみれだぜ、死んだナントカはいい奴なんだろ。駄目なのか」

「いや」

「おい、これで酒買って、女を抱こうぜ」


 そう言うと、<グレート・バム>は<ジンジャー>の肩を抱きユニオン・スクエアの方へ連れて歩き出した。


 ジェームズ・ソーントンはサンフランシスコの裏通りで後ろから二発撃たれて死んだ。


 [了]。

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スウィング・シティの血闘 美作為朝 @qww

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