水中のアイドルより
ちぇりこちゃん、もとい蓮田桜君と知り合ってから二月経っていた。以前までは時間の経過など気にしたことはなかったのだが、彼との時間はあまりにも濃厚すぎて感覚を失うほどだった。その間に、彼がいかに身勝手で自己中心的な人間かを嫌と言うほど思い知らされたからである。
最早当たり前のように筐体ゲームで一緒に遊ぶようになり、高ランクを出した方が何か奢ると言うルールを勝手に敷かれ、週一のゲーセン通いもいつの間にか週三に変えられた。最初は運賃がかかると断ったのだが、結果「タクってやる」とママチャリで学校からゲーセン、自宅まで送迎されるようになった。
これにより住所を把握した彼は、なんと休日ゲーセンへ誘いにやってきたこともあった。ママチャリに跨がりながら「オーーターークーーくーーん!」と大声で呼びかけてくる姿はかなり恥ずかしいものだった。
近所迷惑になると渋々出てきた僕に顔色が悪いと言い出し、「まず運気あげていくか」と言ったかと思えば、そのまま隣県の神社まで連れて行かれたのだ。二人乗りのママチャリで隣県を往復するとは、あまりにもデタラメが過ぎた。
このように僕のプライベートに上がり込むのが当たり前となっていた蓮田君だが、本日日曜の早朝にまたもや突然家にやってきた。
戸惑うこちらにお構いなしで、開口一番の発言がこうだった。
「今日は遊園地な」
こんな傍若無人な彼を母はすっかり気に入りお礼まで言う始末。嬉々としてお小遣いを渡してくる様子にもう何も言えない。
「蓮田くん、晩ご飯食べて行ってくれるかな。聞いてみて貰える?」
僕に上着を渡す母がそんなことを言うので理由を訊ねると、嬉しさに満ちた表情でこう答えた。
「だってお友達だし、もっとお礼がしたいの」
友達、だなんて簡単に言ってくれる。僕はあくまで彼にとってぼっち回避のためのお飾りのゲーセン仲間か、もしくは気まぐれの暇潰し相手だ。
そんな関係になんてなれやしない。
遊園地でも案の定彼のペースだった。
僕の肝っ玉をチェックするとかで絶叫系アトラクションやお化け屋敷へ連行したり、ホワイトデーだし彼氏力チェックだとかで(バレンタインは何も貰ってないのに)飲食店で僕にエスコートさせたり、メリーゴーランドで揺られる彼を撮影させたりもした。
だが結果的に散々な目に遭っていたのは彼だった。絶叫系の降車後は鮮やかに嘔吐、お化け屋敷では怖いあまり僕の背中から上着に頭を突っ込んで威嚇、飲食店やメリーゴーランドではカップル達にメンチを切っては落ち込んだりと悉くダメージが深い。最後の観覧車では、てっぺんでキスをする男女を見つけて呪詛の言葉を放ち続けていた。
観覧車を降りた今、ひどく落ち込む彼を一応慰める。背中を丸めているのに、受ける印象は何とも賑やかで面白いものだった。その醜態はまるで娯楽に等しく、矛盾しているが落ち込んでいるのに明るいのだ。道中通行人にも注目されたが、中には笑っている人もいたのできっと僕と同じ心理だっただろう。
彼は友達はいないようだが、この姿を見ると疑わしくなってくる。ただ一喜一憂するだけで人を楽しませることができるのなら、下手をすれば面白い奴だとモテるんじゃないだろうか。僕も同じぼっちだが、彼と違い簡単に醜態を晒せない。普通ならこんな姿は本当に心を許した相手にしか見せられない。
そこまで考えて、ふと気づく。彼は一緒にいる相手が誰であろうと、こんな風に振る舞える人間なのかもしれない。
そこが彼と僕の決定的な違いであり、だからこそ僕は、彼に心を許されているかもわからない。
「お前笑った?泣いてる天使を見て笑った?」
「いやそんな……天使ってまさか君のこt」
「仏頂面のくせに人の醜態は笑うんちゅか?お?」
変な因縁をつける彼に両頬をつねられ、目尻を下げられる。そんな僕らをふと目が合った小さな女の子が笑いながら見ていた。
ここまでされても、僕らは友達じゃない。
夕方、一通り満足した蓮田君に連れられ帰路に着く。
街同士を繋ぐ大橋を渡りながら、前方の蓮田君を見る。頭にはキャラクターものの耳を被り、手には赤い風船を持っていたりと見るからにご機嫌な格好……にも関わらず、表情はひどく暗い。原因は間違いなく、帰り際に見た大広場でプロポーズをする恋人のせいだと思われる。
「そんなにショックだった?」
「すうちゃんアレ見て何とも思わんの?」
妹のあだ名で呼ばれるのは妙な感じだ。一応本名は知っているはずだが、彼は自分で付けたあだ名で呼んでくる。
「いや……どうでもいいし」
「んまぁ退屈な男ッ!どーりで遊園地のエスコートもサイテーなわけね」
エスコートはどうでもいいが、退屈なのは間違いないと思う。会話も彼が繋げてくれなければ途切れていた場面も多々あったし、そう考えるとひどく申し訳なくなる。
「全く、せめてこの後のディナーくらいは盛り上げなさいよね!」
「ディナー?」
「はぁ?デートの終わりはディナーだろ」
「なん、デー……あの、ゲーセン寄らないの?」
「今日は遊園地で遊ぶっつったろ」
何食わぬ顔でそう答える蓮田君に唖然とする。
神社の時みたいに、ゲーセンに付き合わせるための変な気まぐれじゃなかったのか?本当に遊園地で遊ぶためだけに?
「……何で?何で僕なんか付き合わせたの」
理解できない。こんなことに誘うならそれこそ相手はもっと選んだ方がいい。
さっき言われたように退屈でつまらない人間だし、そもそもゲーセン以外で遊ぶなら僕は必要ないはず。
「お前どうせ暇だし」
「それでも退屈だろ?人を楽しませられないつまらない奴だ。君とは違う」
蓮田君のように常に賑やかでもなく、見ていて面白い訳でもない。ただ押し黙って息を潜めてやり過ごすような奴なのに。
「はぁ?てめぇがつまんねー奴だとか今更だろ。なんか文句、」
「僕らはゲーセンだけの仲だし、友達でもない。こういう遊びには向かないよ」
「えっ」
蓮田君はなぜかぎょっとしたが、気にせず続ける。
「遊園地に行くにしろ、君なら一緒に行く相手もすぐ作れるはずだ。変人でも悪い奴じゃないし、明るくて人懐っこくて、キラキラして……」
そこまで言うと、蓮田君が正体を明かした時のことを思い出す。
筐体の中のすうとちぇりこちゃんの二人が、同じ笑顔で歌い、サイリウムに包まれている姿と共に、すうのカードを押し付けてきた蓮田君の言葉が響いた。
『てめぇが最低でもすうちゃんは光るモンもってんぞ』
『すう』はあんなに輝いている。
けれど僕はそうじゃない。
「僕は不釣り合いだ」
だから隣に立てないし、友達じゃない。彼と同じものを返せない僕ではダメだ。
誰からも可愛がられ、天使のような笑顔で温かさを分け与えるような人間とは違うのだから。
「お前そんなに自分が嫌?」
蓮田君のまっすぐな問いかけが深く突き刺さる。
自分が嫌か、なんて。そんなの決まってる。
「……代わりに死にたかったくらい」
写真を眺める母の顔が過ぎり、胸の奥が痛むまま馬鹿正直に答えていた。こんな流れで言うんじゃなかったと思っても、もう遅い。何の代わりかなんて言わずとも伝わっただろう。
彼の顔も見れないと俯き続けていたが、重いため息が聞こえた後、ぽんと肩に手が置かれる。つられて顔を上げると、彼はいつものノリでこう言った。
「そんならいま飛びゃいいだろ」
親指でさした先はちょうど真横、橋の下に広がる大きな川だった。それなりに深さもあり、稀に橋から酔っ払いや不良がふざけて飛び降り、溺れて帰らぬ人となったこともある。確かに今の状況にお誂え向きだ。後押しされるように欄干へ体を押し付けられる。
「……あの、」
「拗らせて死にてーなんてほざくのは誰だってできんぞ」
本気なのか?と振り返る僕を蓮田君は本気の眼差しで挑発する。
改めて川を見下ろす。高さは20m行くか行かないかだろうか。陽は沈みかかり、水面は薄暗くなり始めている。覗き込む者に向けて口を開けているようにも見えた。生唾を飲み込み、手摺を握りしめ、そのまま身を乗り出そうとする。このひと押しだけで、僕は口だけじゃないと証明できる。
けど思うだけでは体はうまく動くはずもなく、結局そのまま蹲み込んでしまった。
「えぇ〜冗談で代わりに~なんて言ってたのぉ?お兄ちゃんサイッテー」
ご尤もだ。自分は妹を使ってまで自虐を述べる最低な奴だったのだ。死にたいなんて言ったのも、心のどこかで彼に慰めを求めていたのかもしれない。
ますます情けない。道理でずっと両親を差し置いて、無力なまま俯き続けているわけだ。僕はずっと、変われない恐怖に苛まれ続けるのだろうか。それが悔しくて哀しくて堪らず、ぎゅっと欄干の柱を握りしめる。
「……それでも僕は、僕を許せない」
鼻が詰まり、喉から息が漏れた。顔の内側でじわりと痛みが広がり、何かが溢れようとしている。
……なぜ今なんだ。
冷たくなった妹の前でも出なかったくせに。
「……わーったよもう」
蓮田君のかったるそうな声にそれはぴたっと止まる。ついでバサバサと布が擦れる音が聞こえたので顔を上げてみる。案の定めんどくさそうな表情で上着を脱いでいる最中だったし、被っていた耳を外して投げ捨てていた。
「何やって、」
「形見遺してやってんだよ」
ぽかんとする自分に一瞥もくれず淡々と述べる彼は、欄干に乗り出し足をかける。そこで漸く何をしようとしているのかがわかった。
「待っ、何で……!」
慌てて立ち上がり彼の腕を掴むも、即座に強い腕力で振り払われ、尻餅をついた。
「根性なしのために命使っちゃるってんだよ」
「そんなの頼んでない……!」
逞しい体躯にも関わらず、軽やかに登ると安定したバランス力で立ち上がる。自分より背の高い彼は、欄干の高さもあいまって一層大きく見える。
わからない、何なんだ?風が吹く中、震えもせず、落ちるかもしれない場所に堂々と立って。何で、僕のために、そんな。
「何でそんな事ができるんだよ……!」
彼は僅かにこちらを振り返る。迷いのないその姿は、今までより一層眩しかった。
「そんなのお前が確かめろ。あと言っとくけどな、」
俺、カナヅチだから。
そう呟くと、手首に結びつけられた風船が揺らめいたのと同時に、飛び立つように欄干を蹴った。
「蓮田く、」
その一瞬の後、重いものが水面へ叩きつけられた音が聞こえた。慌てて立ち上がって川を見下ろす。彼が落ちた水面には大きな波紋が広がり、中心にぶくぶくと泡立つもの浮かび上がるのが見えた。
どうしよう。警察か救急車か。だが助けを呼ぶ暇はあるのかわからないし……そもそもあんな逞しい彼なら無事じゃないのか?暫くしたらひょっこり浮かんでくるかもしれない。
でももし、普通の人間と変わらず、そのまま静かに暗い水底へ沈んでいっているのだとしたら……。
俯いて迷っていると、何かが目前を通った気配がして顔を上げる。それは蓮田君が飛び降りる直前まで持っていた赤い風船だ。水中で紐が千切れて浮上し、水面を飛び立ったらしい。ふわふわと浮かんで、橋の上へ消えていく。再び川を見下ろすと、広がっていた波紋も鎮まり、元の何もない水面へ戻ろうとしていた。
こうしちゃいられない。眼鏡を外して上着を脱ぎ、蓮田君を真似て欄干へ登る。視界はぼやけてますます恐怖が煽られるが、そんな暇はない。だって何もしないまま喪う恐ろしさを知っていたから。
死にに行くのではない、殺すだけ。
俯き続ける僕を殺して、助けに行かなければ。
僕は彼よりも不恰好なフォームで飛び立った。
結果は……すごくきつかった。水底に沈んでいく彼を見つけたまではよかったものの、自分より背が高く体重もある方なので、引っ張って浮上するのにはかなり苦労した。よく溺れなかったと思う。
河岸へ引き上げた彼はぐったりしており、穴という穴が全て小魚で埋まっていた。それを取り除いて呼吸を確保すると、蓮田君は色んなものを吐き出して目が覚めた。ほっとして腰が抜けたが、当の蓮田君は「来るのが遅い」「これだからモサイ君は」と小言と共に色んなものを吐いている。大丈夫だろうか。
「で、生まれ変わった気分はどうよ」
吐き出し切って青い顔の蓮田君がそう言ってくるので、心を落ち着かせながら言葉の真意を問う。
「生まれ変わった、って?」
「お前今さっき死んできたろ。どういう気分よ」
そう言われても……3月とは言え寒くて体中冷え切っているし、全身濡れて気持ち悪いし、眼鏡がないせいで周囲はよく見えないし、ひどい状態だと思う。
でも、不快感は全くない。大掃除をしたような、心の中の空気が入れ替わったような感覚で、最高とも最悪とも言えない。
「どうだろう……生まれ変わったかもわからないのに」
「はぁ?何言ってんだ」
いつもの煽り口調で彼は言った。
「情けねーすうちゃんなら迷ってる間に俺を見殺しにしたろ。そんな奴がこんなことできるか」
確かに僕は迷っていたし、彼なら大丈夫なのではと考えていた。今のこの瞬間は間違いなく、助けない選択を取った僕では得られなかったものだ。
「で、俺とお前は何」
「え?」
蓮田君がひどく拗ねた目で見てくる。
「お前のために死んでやった俺はお前の何なんだ、言ってみろ」
彼もまた死んできたつもりらしい。いや実際に死にかけていたからそうなんだけど。
「………腐れ縁?」
「キィーーーッ!可愛くないわね!!」
歯を剥き出して怒っていたが、こちらとしてもこの流れで言うのは恥ずかしかった。けど彼が僕をどう思ってくれていたかはきちんとわかったと思う。
「蓮田君、」
「何よ!」
「ありがとう」
少しでも今の感情が彼に伝わればと、強く願いながら告げる。彼は僕の顔を見て一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐにふっと笑うと頭をぐしゃぐしゃと撫で回してきた。
「こちらこそ、小此木君」
名前を呼ばれるのはこんなに擽ったかっただろうか。水を拭う振りをして顔を袖口で擦り、いつもの彼の言う仏頂面へ整える。
「……あの、ディナーだけど……母さんが晩御飯食べて行かない?って言ってて。風呂も貸せるし……その、よかったら……」
「……はっ、はぁ!?貸すのは当然でしょ!早く連れていきなさいよ!」
「何そのキャラ付け」
また変なキャラになっている彼を宥めながら、上着を取りに橋への道を登っていく。
河原沿いに立つ桜の木には、蕾がつき始めていた。
「蓮田君もさっき死んできたことになるの?」
「そうなるわね」
「……どう生まれ変わったの?」
「俺のは復活って言うんだよ。一緒にすんな」
二人ぼっちの青春 佐藤シンヂ @b1akehe11
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます