その場所は朝なのか
以前見かけたツイート(正確にはポストと言うべきなのだろうが、呼び慣れているのでこちらを使わせていただく)を思い出した。
細かいニュアンスは忘れたが、旅行先のホテルから見た朝の景色が素敵だったという内容だった。ツイートには動画が添付されており、波打ち際の映像だった。私も素敵だなあと思った。
そしてそのツイートにはこう書かれていた。
天国があるならこんな感じなのだろう、と。
またしても細かいニュアンスは忘れてしまったのだが大体こんな感じだったと記憶している。
私は考えた。この人にとって天国は朝のイメージなのか、と。動画は朝の景色だった(これも記憶にある限りである。もしかしたら違うかも知れない。そうすれば今から私が書くことは全て出鱈目になる。そうだったら戯言と思って聞いてほしい)。言われてみれば私は天国が朝かどうかなんて考えたこともなかった。
私の中にある天国のイメージは明るい。そして重力感を抱かない。どこもかしこも軽い感じで、人(ここでいう人は死者のことだが)は、常に笑顔を湛えている。その背景は色で言うなら白だとイメージする。
ではその白はなんなのか。太陽の光、ではないような気がする。むしろ何か物質的なものではなくて、ただ光や白、といったイメージだ。理解できる領域が違う、神がかった何かという言葉が一番イメージに近い。
確かにイメージする天国は明るい。あまり真っ暗な天国を想像する人は多くないだろう。天国は朝。なるほど、と思える。
では夜になることはないのだろうか。天国は常に晴れ渡り日は沈まないのか。沈まぬ太陽があるのか。恒久の太陽によってその場所は照らされているのか。考えればキリがない。
逆に地獄はずっと夜なのか。こちらもイメージしてみる。私の中の地獄は(現世こそ地獄ではという疑問は置いといて)、黒く暗い、どんよりとした空気感だろうか。暗いという点に関しては夜と言えないこともないが、微妙にイメージとずれる。こちらもやはり夜という現象ではなく、不変の状態である気がする。何にも干渉されることのないただひたすらに暗い闇。
こうして考えてみると私は天国や地獄というものを概念的に捉えているのだなと思う。具体的な事象よりも曖昧模糊とした幸福感や恐怖というものを天国と地獄に抱いている。その点ツイート主はかなり具体的な想像を景色から抱いたのだなと思った。その感性を素敵に思う。
既にそこに辿り着いた先人たちもこんなことを考えたのだろうか。極楽浄土や地獄のイメージは多くの絵画に残されている。それらは人々の死という逃れられない出来事への思考の成果物だったのかもなあと思った。また次回。
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