応援コメント

あの日の私が死んだとき、今の私が生まれた」への応援コメント


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    これはこれは、貴重な体験を共有していただき、ありがとうございます。

    子供の頃に成績優秀で、それから一流高校に進学してついていけないで落ちぶれると(作者様は違いますよ!)、心に強い劣等感を持つ、という話を聞いたことがあります。子供の頃に出来てしまうと、肩に力が入りすぎてしまうのかもしれないですね。

    そして、橋にも棒にもかからないようなお話をさせていただきます。もしかしたら作者様にとって棒ぐらいにはなり得るかもしれないことを願って。

    後に自分のエッセイでもこの話は触れるかもしれませんが、ここで出しますねw

    一つは、沖縄県民の話です。

    沖縄の「なんくるないさ」というセリフは有名だと思います。この精神は沖縄県民に根付いていると聞いたことがあります。

    例えば、沖縄に住む家庭の家族は、仕事を失い無職になった家族のメンバーを温かく迎え、次の仕事が見つかるまで怒りもせずに面倒を見るとのことです。「なんとかなるだろう」という精神の元です。そのため、助け合いの精神が浸透しているそうです。もちろん、発展という意味ではこのスタイルでは劣るのでしょうが、失っても家族がいる、というのは凄い安心感なのではないでしょうか。

    それと、マオリ族の話です。
    マオリ族とは、アフリカに住む部族ですが、この部族は生まれた時からボディタッチがよくあり、常に誰かに話しかけられるような環境です。そのため、この部族の人には「人と話をしていて疲れる」という概念が存在しないそうです。しかも、うつ病に当たる言葉が存在せず、説明しても分かってもらえないレベルとのこと。

    人が死んだ時も、あまり長い間悲しまず、次の日には楽しくはしゃいでいたりするらしいです。
    「いつかは死ぬ、それは明日かもしれない」という考えがあり、その日その日を人生最後の日だと思って楽しむのが生き方なのだそう。

    食べ物は動物の血と肉だけ。野菜は摂らない。

    マッチョですが、身体は鍛えていないようです。ジムの概念の話をしたら、「お金を払って仕事をするなんて、馬鹿な人々だ」と笑われたそうです。

    日本人とはほぼ真逆ですね。それが良いとは言いませんが、色々な人生のあり方があっていいのではないでしょうか。