第1話「第一夜、海原へ漕ぎ出せ、名入りのペン」

『(ケーイ!)』


 囁くような女性の声。


字幕『それは、静かに始まった。』


 暗闇の中にボールペンが浮く、その作りは堅牢で高級に位置するものだと見て分かる。その側面に光が当てられる。それこそが戦いの場であることを示すかのように。


(♪ででんでんででん どこどこどん♪)

(♪ででんでんででん どこどこどん♪)


 虚空に刻まれる紅い「K」の文字、感情を叩きつけたかのような力強い動き。次いですらすらと筆なき筆が踊り「プロジェクト」の白文字が添えられる。


字幕『プロジェクトK!』


 大勢の人影が、歩み、立ち止まり、そして去っていく。眼には光なく、表情は暗い。


(♪波の中の水月 潮の中の星河(せいが)♪)

(♪みんなどこへ行った 帽を振られる事もなく♪)


 緑色の看板「ポプリドー」を掲げる文房具店から人が去っていく。その姿は女性、水兵服を纏う。残念そうに被りを振り、防衛区画へと去っていく。


(♪海原の水馬(ケルピー) 峰上の母神(ガイア)♪)

(♪みんなどこへ行った 身儘で水面に踊る♪)


 訪れる客を前に眉尻を落とす男性店主、要望に応えられない。必ず応えて見せると、見送るその背に強い視線を送っていた。


字幕『漢字で掘れないか…顧客の要望に応えたい。』


(♪波間にある月を 誰も覚えていない♪)

(♪人は深海(ふかみ)ばかり見てる♪)


字幕『先代からの願い、客の要望、立ちはだかる課題。』


 希望を目に宿し、机に向かう男性。その横には新型の機械。陽の明暗が時の流れを示す。男性は何度も頭を抱える。その眼下には、失敗した作品たち。名入れに失敗したボールペン。


(♪鯨よ深い海から 教えてよ波間の月を♪)

(♪鯨よ波間の月は 今どこにあるのだろう♪)


『第一夜、海原へ漕ぎ出せ、名入りのペン』


 スタジオ、頭を下げる女性アナ。ゆっくりと顔を上げるとともに二拍、間をおいてその唇を開いた。


「始まりました『プロジェクトK、呉の挑戦者たち』、今夜は本通りの文房具屋の挑戦をお送りします。」


 男性アナへカメラの目先が移り、男性は立てかけられたパネルを示す。それは、灰が峰から写した白黒の呉中心部の写真、その一点に赤いマーカーが打ち込まれていた。


「さて物語は数十年前から始まります。」


 白黒写真の文房具屋が映し出される、その屋号は「ポプリドー」。


『呉の文房具屋「ポプリドー」、街の防衛区画に近く、部隊員の利用が多い。だが、この店には先代から続く悩みが、あった。』


 イメージ画像、水兵服を着た女性が、ボールペンを片手に何かを訴えかけていた。対して店主は渋い顔を浮かべて卓上カレンダーに指を這わせる。それをみて、「ぴゃん…」と女性は呟き肩を落とした。


『名入り…漢字入りのボールペンを求める声が多かった。海に出る部隊員は、所持品に制限が多い、彼らは特別な小物を求めていた。それは自身の名や、自身が所属する艦、尊敬する船の名を宿したペンだった。』


 文房具店の二階、作業机の前で店主にマイクが向けられていた。字幕には「店主、峰本茂樹」と記されていた。虚空にペンで描くように指が舞った。


「うちには古いトレース型の彫刻機があったんですが、これで漢字を書こうとすると細かすぎて難しく、時間がかかるんです。部隊員さんは、半日か長くても一日滞在ですぐに海に出てしまうので、日を跨ぐ作業は受けられなかったんです。」


 画面には当時彫刻された名入りのペンが映し出された。アルファベットのみの、簡単な彫刻。

 スタジオに映像が戻される、男性アナウンサーの前にはアルファベットのABCと呉・大和と描かれたパネルが置かれていた、その文字の線…その横に画数を示す小さな文字が並ぶ。


「はい、このように見ると差は一目瞭然です。簡単な漢字でもアルファベットの数文字分の手間がかかります。」


 女性アナの方へカメラは向き、はいと一度頷いてから女性は口を開いた。


「この状況を打破するため、店主はある計画を行動に移します。続きをどうぞ。」


 画面は呉ではない港街を写していた、背後に山が近いのは呉に似ているが、平野部が横に長い。海の方へ向きを変えると、赤い網目の塔が聳え立っていた。画面下には「神戸」の文字。

 文房具屋店主の男性は、ビルの谷間を歩き、ある一つのビルに入って行った。カメラは屋号を映し出した。


『西日本を代表する文房具大手「ナガサカ文具センター」ここに峰本の求めるものがあった。』


 文房具店その一角、高級筆記具を専門としたコーナーにショウウィンドウがいくつも並び、特別な名を刻まれたペンたちが光を受けて輝いていた。ウィンドウの側には「彫刻名入れサービス(即日対応)」のポスター。


『そのウィンドウの前で、峰本は瞳を輝かせていた。』


「やー、すごいと思いましたよ。ここまでの文字が即日で刻めたらお客さんの要望に応えられる!」


 ウィンドウを拡大する、ペンに刻まれた文字は様々なフォントに対応した細かな文字、しかもちゃんと漢字として読めるよう静謐で高品質の文字だった。

 再現映像、峰本は売り場の隅の扉からバックヤードを覗き込んでいた。そこで名入れを行っていた機械へ熱く視線を送る。その機械の側面が拡大された。


『フランスの会社「グラフグラボ社」、最新式の彫刻機械…。この機械を使えば作り出せる…峰本の心は、情熱に湧き立った。』


 イメージ画像、電話で何処かに連絡を取る姿。手元のメモには「輸入代理店」の文字、そして工作機械の値段の概算。その値は、普通乗用車が余裕で買える金額だった。


『個人店で購入する機器としてはかなりの高額、しかし先代からの夢を叶えたい、だがこの値段では…峰本の手が、止まった。』


 スタジオに映像が戻り女性アナウンサーを映し出す。


「突破口を得たと思いきや、機械の値段がネックとなっていたんですね。これを前に挑戦者はどう動くのでしょうか、続きをご覧ください。」


 文房具店の二階作業卓、今度は女性にマイクが向けられていた。画面の下には「峰本幸子」の文字、店主の妻だった。


「ええ、これは『無理でしょー』と思ってしまいましたね。」


 イメージ映像、店内で議論を続ける峰本夫妻。夢に手が届く、だがそのために店の経営に負担をかけるのは本末転倒、どうすれば…。

 トントントントン。その時、二人の肩を叩くものがあった、青いその手の主は…呉氏。呉氏は二人に一枚の書類を差し出した、その紙は商工会議所の補助金申請の紙だった。

 スタジオに映像が戻り、女性アナウンサーが軽く嘆息した。


「まさか、この小さな工作機械がこんなに、高いとは、はい驚きですね。」


 男性アナウンサーに映像が映り、背後のスクリーンには工作機械のカタログ映像が並んでいた。


「そしてこの購入のために、商工会の補助金を使うおうとする。この後、どうなるのでしょう。」


 峰本夫妻が書類に向かって腕を組んでいた。申請書類には申請者名や屋号など、決まった事項しか書けていなかった。


『商工会の得、つまり呉全体の利益になると示せなければ、補助金は認められない。峰本は夢が実現した際の五年後の姿を思い浮かべていた。だが、同時に悩む、そう都合よく夢を描いて良いものだろうか。」


 文房具店の階段をとてとてと登る青い足、青い手は何者かの手を引いていた。峰本夫妻の前に呉氏が現れ、手を引いていた人物に引き合わせた。その胸には「商工会」の文字が。


『商工会会員は、峰本の夢を好意的に見てくれていた「大丈夫だ、俺も協力する。補助金が通るよう頑張ろう」。峰本の肩を、叩いた。果たして、申請は…通った。』


『プロジェクトK!(けーい、けーい、けーい)』


 スタジオの女性アナウンサーが会釈を送った。


「ここでゲストをお呼びしています。文房具ポプリドーの峰本さんです。」


 店主の男性が袖から現れ、少し離れたバーチェアに似た丸椅子に腰掛けた。女性アナは椅子の上で峰元の方へ向きを変えた。


「工作機械を得るまで、大変でしたね。これで、夢は叶ったのでしょうか?」


 峰本は首を振った。


「手に入れてから操作方法をほとんど聞かず、手探りで使い出したんです。なにしろメーカーの説明を聞くだけで受講料が飛んでいくんです。だから自分たちが使う操作だけ絞って、進めていました。」


 峰本の手には先端が折れて使用不可能になった工作機械の針が何本と、一本のボールペンが握られていた、その側面には丸ゴシックで「S.MINEMOTO」と刻まれていた。字幕が捕捉を入れる、成功品第一号、と。

 スタジオから呉の街に映像は移る、街角にはポスターが貼られていた「呉鎮守府開庁百三十年記念」の文字。画面下には二〇一九年の字幕。


『呉鎮守府開庁記念を街全体で盛り上げる構想が立ち上がった、防衛関係の広報の大々的な参加、ステージイベント企画や、指定の限定商品…呉の街は湧き立った。』


 再現映像、ポプリドーの作業卓で試行錯誤を繰り返す峰本が映し出された。いくつもボールペンを持ち、何度も文字を刻む。機械のモニターには「呉鎮守府」の文字が、だが手元のペンたちには、文字が刻みきれていなかった。


『大手文具メーカーのペン、その側面はとても硬く、何本もの彫刻針が磨耗していった。』


 スタジオの峰本にカメラが向く。


「針を研ぎに出すとそれも費用がかかるんです、それも何日もかかる。それじゃダメだと自分で研いでみることにしたんです。」


 再現映像の峰本は腕を組み天を仰いでいた。


『だが、その結果使用に耐えない針を生むことになった。それでも、峰本は研ぎ続けた。』


 画面は呉の街中を映し出し、また鎮守府開庁記念のポスターを映し出した。画面下部には「呉鎮守府開庁記念祭当日」の文字が。


『「二、三本売れれば良いだろう」そう予想した峰本を、顧客は大きく、裏切った。』


 ポプリドーの店内を埋め尽くす男性客たち。艦船ファンや軍港ファンの多くが「この街でしか手に入らないペン」を求めていた。


『即日彫刻を目指していたが、客の量は捌き切れる人数を遥かに超えていた。やむを得ず峰本は、後日発送を選択した。』


 スタジオの峰本にフォーカスが当たる。女性アナは驚きを空に向けた掌で示した。


「想定以上のお客さんで、嬉しい悲鳴という感じですね。後日発送で、大丈夫だったのでしょうか?」


 峰本は頷いた。


「あの時のお客さんは海では無く陸のお客さんなんで、なんとか後日発送で捌くことができました。」


 女性アナはカメラの方へ向き直り軽く頷いた。


「名入りのペンで手応えを得たポプリドーさん、その続きをご覧ください。」


 ポプリドー店内、工作卓で峰本は名入りペンを次々と量産していった。その文字は皆同じ物。


『即日名入れでも、数が来ると捌けない。峰本は刻印済みのペンを、予め作ることにした。」


 作業卓に並ぶペンには「戦艦長門」の文字。イメージ映像では事前刻印されたボールペンが好調に売れていく様子が描かれていた。開庁祭ほどではないが、一定数のファンが戦艦長門のペンを手に取り、防衛関係者にオリジナル名入りのペンが手渡されていく。

 そんな中、一人の艦艇ファンの男性が、ペンを片手に人差し指を立てていた。


『「呉鎮守府の文字の上に、錨のマークがあったら絶対にウケる」艦艇ファンの声に、峰本は驚きを隠せなかった。マークを入れる、それは今まで思いもつかない工夫だった。』


 峰本がセルフォンで電話をかけていた。その通話中画面には「グラフグラボ社」の文字が映し出されていた。


『「マークを刻みたい」、グラフグラボ社日本代理担当はその相談に困惑していた。これまでそういった相談は、無かった。機能としては、存在していた。長時間にわたる説明、機械の操作、刻印の実行…最初のマーク刻印には、八時間を費やした。』


『プロジェクトK!(けーい、けーい、けーい)』


「ついに、ついに呉の、ポプリドーさんだけの名入りペンが発明されたのですね。いかがでしたか、ポプリドーだけの技を手に入れて。」


 女性アナは驚きと興奮に、微かに頬を上気させていた。


「同じ彫刻機を所有している、Y菱広島販社の担当者がこう言うんです『うちにも同じ機械があるのに、どうやって作ったのか誰にもわからないんですよね。』と、これを聞いたときに、『オレやっちまった!がんばった甲斐があったよ』と素直に思いました。」


 峰本の言葉に、音楽が重なっていく。


(♪話(わ)を紡ぐ人もなく 荒れ狂う波の中へ♪)

(♪混ざり散らばる潮の名は 忘れられても♪)

(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )


 スタッフロールが流れる中、呉の景色が白黒のスライドショーとして映し出された。秋、呉鎮守府開庁祭ステージで踊る呉氏と防衛関係者。街を歩く広報担当、街に溢れる笑顔。


(♪引き波はさざなみと 流る時の中へ消え♪)

(♪讃える鬨は 海神のために響いても♪)

(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )

(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )


 ポプリドーの店内の様子が映し出される、春夏秋冬季節を問わず艦艇ファンが訪れ、様々な商品を手にしていく。名入りペンだけではなくファイルやポスターケースなど、ペンをきっかけに多くの文房具ニーズに対応していることを示していた。


(♪右舷(みぎげん)を照らすのは 水平線の果ての夢♪

(♪左舷(ひだりげん)を照らすのは 暁の夢♪)

(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )

(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーン

ライト) 旅はまだ終わらない♪ )


 専用のペンホルダーに乗った濃い緑色のペンが空を向く、その側面には「瑞雲」の文字が刻まれていた。


『ポプリドー名入りペン最新作は「瑞雲」。それは旧大戦の多目的飛行機の名と、吉兆を示す雲の名前を背負った、希望のペン。』


(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )

(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )


 第一夜、了

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