第15話 喧嘩両 say bye


 牛平ぎゅうひれ花果山かかざんから坎源山こんげんざんまでの道中で美猴王びこうおうと交わし与えられた言葉を呟きに変えて、幾度も幾度も反芻していた。さながらに病熱にうなされる体である。

 手持ちの狼煙玉はうに使い果たした。けつまろびつしながらも牛平ぎゅうひれが広範囲に分散して焚いた為に、樹海の数カ所で狼煙が昇っている。

 次は、次は。と、呟く。泳ぐ視線は彼の焦りと苛立ちが如実に顕れていた。右顧左眄うこさべんし、やがて意を決すると、火花が散る程の高速回転でもって辺りの大樹に体当たりを繰り返した。住処の異常に驚いた小動物達が悲鳴を上げて逃げ出す。牛平ぎゅうひれの躰はたちまち擦り傷だらけになったが、お構い無しに体当たりを繰り返した。得体掴めぬ大仰な不穏さを求めて。

 混世魔王こんせいまおうが用いた策。勘所は地形であった。山の裾野に拡がる樹海は道を見失うほど足場が悪い。故に大群に急襲され難い反面、山の砦からの見下ろす視野は極めて悪く、敵に潜まれると厄介で、実は百里魔眼ひゃくりまがんの魔眼の妖術なしでは軍を置く拠点足り得ていない。

 そして、今ひとつ。混世魔王こんせいまおうを喪い、百里魔眼ひゃくりまがんが機能しなければ、端倪たんげいすべからざる猛者揃いの配下達の中でも、物事を明察できる智力ある者が皆無な現状では、単騎を大群に欺く策は嚢中の物を探るが如き容易さで成功すると判断したのだ。

 遂に力尽きて回転が止まる。傷だらけの体で大樹に寄りかかった牛平ぎゅうひれの耳に何処からか呼び声が聞こえた。

 両眼をぎゅっと瞑り、覚悟を決める。

 退却の判断は自分に任されていた。しかし上手く立ち回れなかった自分は仲間の為に死のう。遥か格上相手に最後まで諦めず立ち向かったあの仲間のように。闘って死のう。

 不器用な覚悟を抱いて牛平ぎゅうひれは立ち上がった。


「おい!」


 驚くほど拍子抜けに正面から敵は現れた。

 裸同然のいかがわしき少年を軽々と小脇に抱えている。具足の下からでも判るほど筋骨隆隆とした悍馬かんばのような男。恐らくは全身に及んでいよう炎紋様ほむらもんようの入れ墨が頬で熱く燃え盛っている。牛平ぎゅうひれの姿を認めると、失神しているであろう少年をぞんざいに地面に落とした。ぐぇっ、と少年が呻く。


「随分派手に暴れていたな。この樹海が誰の縄張りか知っての所業かい」


 男の問いに応じる意味などない。表情を見れば自ずと判る。牛平ぎゅうひれは足場を確認するように右脚で地面を二、三度掻いた。

 天を仰ぎ、男が口を大きく開いた。口に掌を入れ、ずるりと何か長い物を抜き出す。不可思議な光景だった。およそ取り出したものは男の胴体の長さを超えている。男の体内から出てきた物は柄頭に蒼い劍穗けんすいを付けた単手剣たんてけんだった。男は稲妻の如き鋭さで剣を振るうと、樹海の大気中の蒸気を表面に纏わせて輝く白刃を見せびらかすように突き出した。


「ところで見てくれ。こいつをどう思う」


「どう思うって」


 男はこれ以上無い程に眼をきらきらと輝かせていた。褒められたくて堪らない童のような表情で、躊躇なく間合いを詰めてくる様は不気味としか形容し難い。


「かなりのもんだな」


 咄嗟に、意図せず、無意識に、口からまろび出た言葉だった。当然、牛平ぎゅうひれに刀剣の審美眼など無い。しかし、男は心臓の鼓動が一瞬止まったかのように眼を見開くと、だらりとだらし無く口を開いて牛平ぎゅうひれだけを見ていた。








 坎源山こんげんざんの地下深く、狐亜こあが捕まっていた場所よりさらに深くにある鍾乳洞、坎源山水臓洞こんげんざんすいぞうどうに流れる地底川があった。山から湧いた水が坎源山こんげんざんの裏側に流れる川へ向かっているのだ。混世魔王こんせいまおうの策は、樹海の異変騒ぎに乗じて、この川を舟で下り、外界に逃げ延びる事で完了する。

 美猴王びこうおう達一行が、長い階段を下り、ようやく舟まで到着すると青龍刀せいりゅうとうを携えた馬喰ばくうが待ち構えていた。


「去れ。花果山かかざん猿王えんおうよ。追手があれば俺が引き受けよう」


 馬喰ばくうは眠ったままの狐亜こあを一瞥すると、階段を登って行った。百里魔眼ひゃくりまがんは去って行く馬喰ばくうの背を見ながら、少し迷った後に舟に乗り込んだ。


「私はお供しますぞ。この魔眼で。貴方が仕えるに相応しい真の魔王となるか見定めるまでは」


 美猴王びこうおうが舟に乗り込むと、牙猪の精、土蹴どしゅうが立ち上がった。その勢いで、舟が縦横に激しく揺れる。手には巨大な櫂が握られていた。


「何でお前がいるんだ。いつの間に」


「えへへ。魔王さまの為に馳せ参じました」


 洞窟内で馬喰ばくうの猛る怒声が反響した。何かと激しく交戦しているようだ。間もなく鰐の姿をした馬喰ばくうが階段から痛ましく転がり落ちてくる。悲鳴を上げて、土蹴どしゅうが櫂で漕ぎ始めた。


「待て!こらァ!」


 馬喰ばくうに続いて、蛇蝎姫だかつきが雪崩落ちてきた。既に気絶している猫の精の胸倉を片手に掴んで猛っている。


「逃げんな!お前は此処であたいと添い遂げるんだ!子を産むぞ!誰よりも強い子をばんばん産んで、一緒に大軍を育てるんだよ!」


 虫の執念深さ、剥き出しの本能が何より恐ろしい。立ち上がった馬喰ばくうの青龍刀の薙ぎ払いを残った片手で易易と受け止めると、蛇蝎姫だかつきが不敵に微笑む。


花果山かかざんでお前を待ってるぞ!」


「俺の家族に手を出したら地獄の末でもぶち殺すぞ阿呆女ァ!」


 怒りに我を忘れた喧嘩腰で、今にも舟から飛び出しそうな美猴王びこうおう喬狐きょうこ百里魔眼ひゃくりまがんが必死で抑えていた。舟は激しく揺れ、今にも転覆しそうになりながら、坎源山水臓洞こんげんざんすいぞうどうの地底川を進んで行った。




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