17 エンディング
選挙を仕切るのは選管。
今日をもって解散する四つ葉会今期執行部は選管の人たちの後ろに座っていて、その選管の人たちの前に立候補者と応援演説者が座る。レイフはすでに会長からの指名済みで、今日は新会長という立場で僕たちと同じ並びにいた。
「カリン様、私、緊張してまいりました」
立候補者演説のトップを飾るのは届け出順でマリアン。その後に応援演説の僕となる。
「大丈夫です、しっかり者のマリアン様なら」
僕は表情の硬いマリアンの手を握った。当落に関係なく演説を失敗してほしくない。僕とボエルの前で練習したそのままでしゃべれば上手くいくはずだ。
「ありがとうございます。カリン様が受けてくださってよかった」
マリアンは引き攣った顔で微笑んだ。その顔は意地悪を言う時のマリアンだったけど今は仕方ない。一世一代の晴れ舞台。演説が進めば当選への熱意が顔に現れるだろう。
マリアンの名前が呼ばれ彼女は席を立つと、マイクが置かれている壇上へと歩いていった。
マリアンがいなくなったことで彼女を挟んで座っていたレイフと思わず目が合う。
目を逸らしたのは僕だ。だってほら、もしかしたら僕を見たのではなく隣のニナかもしれないし。
講堂に集まった全生徒を前にマリアンは堂々と自分の思いを語った。この人は本当にどうしてカーリンの腰巾着なんかやってるのだろう。家の事情かな。もしかしたらこれで当選して、腰巾着を卒業するつもりかもしれない。
マリアンの演説は盛大な拍手をもって終了した。
頬を蒸気させたマリアンが壇上を降りて僕の前に立つ。上手くできたのだろうと思う。誇らしげな表情は僕もなんだか嬉しい。
「素晴らしかったです、マリアン様」
お世辞ではなく本気で称賛するとマリアンはにっこり笑った。
「ありがとうございます。カリン様がいてくださったから頑張れました。でもカリン様、白いお花の指輪はヤン・マグヌソン様がくださったでしょう? どうして嘘をついてまでレイフ様をものにしようとするの?」
「え?」
何を言ってる?
「挙句の果てに、婚約者となられたヤン様をご自分の手駒のように扱われて」
「あの、マリアン様?」
その顔は綺麗に微笑んでいるのに、マリアンの口からこぼれる言葉は。
マリアンが何を言ってるのかちゃんと理解できない。
「私がお慕い申し上げたヤン様の伴侶になる資格は貴女にはない、目障りだわ」
!
マリアンの手にはいつの間にか短剣が握られていた。ドレスに隠していたのだろうか。
「地獄へ落ちるといい!」
カッと目が見開かれた鬼の形相のマリアンは僕に向かって剣を振り下ろした。僕はドレスを着ている上に深く椅子に座っていて即座に動けない。立ち上がれない。避けられない!
「カリン!」
どうしようもなくて目を瞑った時に聞こえた声はヤンだったか。確か少し離れたところに座っていたはずだ。
ああ、僕は死ぬんだと思った。それもいいんじゃないかと思う。僕も、カーリンも。ざまぁなエンドになるんだろうな。ヒロインを苦しめた悪役令嬢はヒロインが直接手を下すことなく断罪される。自分の手駒に刺し殺されるという裏切りのような形で。
僕に人の重みがのしかかる。
……。
だけど、それだけだった。
「ぅぐ……」
!?
僕に仰向けにのしかかっていたのは、小さく呻いたのはレイフだった。
近くにいた人たちから悲鳴が上がる。
マリアンの手から伸びた短剣はレイフの腹に深く刺さっていた。
「レ、レイフさ、ま……」
マリアンが短剣を握りしめたままガタガタと震えだし、身を引こうとする。
「駄目だ抜くな!」
ヤンが制止するよりマリアンの方が早かった。抜けた剣から赤いものが滴ると同時に、レイフの腹からも同じものが、血がどろりと溢れ出す。
それを目撃した女子生徒たちが再び悲鳴を上げ、講堂は誰かが刺されたと喚いて逃げ出す者やそれを聞いて逃げ出す者、悲鳴を上げてうずくまる者でパニックになった。
僕にのしかかったレイフはピクリとも動かず、血が僕のドレスをも汚していく。マリアンが先生たちに拘束されるのが目の端に映った。
「あ……、あおい……?」
やっと出た声は笑えるほど情けない声で。
僕は葵の重みに耐えきれず一緒にズルズルと椅子から床に落ちた。
「だめだ……どうしてお前が……」
震える手をどうにか刺された場所に当てるけれど生暖かい血が指の間から溢れて止まらない。僕は医者になりたいと言っていながら止血の仕方も知らない。馬鹿だ。僕は本当に何も知らない。
「死ぬな。死んだら駄目だ。お前は帰らないと」
止まらない血が葵の体温を奪っていく。顔が白磁のようになっていく。
刺されるのは僕でよかった。予定外に殺されて戻れなくなるのは僕でよかったのだ。
「また会いに来てよ兄貴……」
レイフの、葵の目が薄く開き、口元には小さく笑みがあった。
「葵、喋るな」
救急箱を手にしたヤンが僕たちの前で膝をついた。
「いいよもう……多分ムリだし、違う世界の方が俺は楽だ……ここなら兄貴と対等でいられる気がする」
そんなことない、お前はそんなことを考えてたのか。対等どころか、お前の方がずっと大人で格好良くて優しくて怒りっぽくて……ここへ来てわかったんだ。
「僕はお前が羨ましかったよ、葵。自慢の弟だ」
お前は人から愛される魅力的な弟で。
「そうかな……俺は兄貴の子供じみた今更の現実逃避にイラッとしてここに連れてきた。帰れなくなるのならそれもいいって……」
あらためて葵の口から聞くと辛い……。
「いつのまにか……小さい頃みたいに、遊んだりしなくなって。遊べばよかったなって。そしたら……一緒にフィールドで……モンスターを、倒してたかも、しれない……」
息が多く混じる声がゆっくりになる。命が消えていく。葵がここに残る理由はないのに。
「僕と葵を入れ替えてください! あなたならできますよね!?」
僕にできることは何もなかった。だから縋るしかない。
「無茶言うなよ……」
ヤンは本当に困った顔をした。
「こいつにそんなことできないよ、兄貴」
葵の目尻が微かに笑っていた。
「コイツ言うな。……葵、これでいいんだな?」
ヤンの言葉に葵は小さく頷いた。
「俺はそのうち村人Aから成り上がるよ。じゃあね、兄ちゃん……」
小学生の頃の、子供のような無邪気な顔で一瞬微笑んだかと思うとゆっくり表情がなくなっていった。
葵は死んだ。僕をかばって。もう、元の世界に戻ることはない。一生ゲームの中だ。
……。
涙も出ない。絶望と後悔と。葵が死ぬ理由はない。
僕も。
僕も。
「カーリン様」
レイフの命が消えたことはその場にいた皆がわかっただろう。息を呑み、誰もが何も言えなくなっているところへ、後ろの方にいたらしいニナが力強い足取りで僕に近づいてきた。
「レイ様を蘇生します。はちみつが黒い
蘇生? ああ……できるのか……。
「開始します」
その身体が一度きり受け入れることができるという、白魔法の一つである蘇生魔法。レイフにその最初で最後の蘇生魔法が白魔術師であるニナによってかけられる。ニナの体から靄がなくなった今、出力不足を気にすることなく厳かに唱えられた。
よくある眩しい光に、床に横たえられたレイフの全身が包まれて……ゆっくりと光が消えていくと、時間が巻き戻ったように血の染みひとつないレイフがそこにいた。
「……ニーナ、予定通りだ。ありがとう」
レイフは体を起こして、ニナを抱きしめた。
「カーリン様、もう大丈夫です」
僕を振り返り、ニナがにこりと笑う。
近くにいてニナの魔法の切れ端みたいなものを浴びたのか、僕のドレスも血が消えて何事もなかったようになっていた。まさに魔法だ……。
「そうだね、よかった」
教科書でも読み上げるような棒読みで、僕も笑い返した。
そうだけどそうじゃないんだよ、ニナ。もうそのレイフは、葵じゃない。僕の知るレイフじゃないんだ。
レイフとニナの周りに集まった、講堂に残った人たちはみんな涙を流して拍手をしていた。それはそうだ。レイフは無事で、ニナが助けたのだから、感動のフィナーレだろう。己の身を投げ出して意地悪なカーリンを守ったレイフはヒーローで、そして見事レイフを復活させたニナはヒロインで。
僕も、拍手をしなければならないのだろうか。レイフとニナにお礼を言わなければならないのだろうか。
歓声とともに目の端にエンドマークがきらめく。ゲームは終わったらしい。僕の役目も終わった。
僕はのろのろとみんなの輪から外れて、落ちていたマリアンの短剣を拾い上げた。誰ももう見向きもしない、赤く染まった短剣。ドレスの染みは消えてもこの血は消えない。
「何をしている」
両手で柄を掴み直した時、ヤンの声が僕の背中を震わせた。
「別に何も……」
「なら来い」
手首を乱暴に掴まれ、強引にそのまま引っ張られ。
「あ」
ヤンが僕の手首を掴んだまま歩き出した勢いで、カランと音を立てて短剣が手から滑り落ちた。
「ちょ……」
手首が痛い。力を入れ過ぎだ。僕は立ち止まろうと掴まれた手を振り切ろうとした。……力負けしてできなかったけど。
「そんなもの拾うな」
「でも葵の血が」
「葵じゃない、レイフだ」
「でもこのまま置き去りは嫌です。せめて拭き取って」
「必要ない」
僕の言葉は見事に遮られ。
ヤンはずんずん歩いて講堂を出る。
あまりにも勝手だ。僕は訳もわからず引っ張られて。
「どこに行くんですか」
ヤンは初めて足を止めて振り返った。
「どこ? お前は帰るんだよ、決まってるだろ」
今? もう?
「エンドマークがついたら、もうお前がここにいる理由はない。ほら、楽しかったろ? 存分にゲームの世界を味わったはずだ。人の死に際なんてなかなかお目にかかれないからな」
僕は反射的にヤンの頬を平手で殴った。
「……本気で言ってるんですか」
その言い草はない。酷い。人が死んだというのに。あれはフィクションじゃない。あそこに居合わせた人にとって本当のことだ。葵にとって、本当のことだ。
「どうした。俺はそう紳士でもないとニナに言っただろ。お前はここに何しに来たんだ。このフィクションの世界で自分と違う誰かになりに来たんだろう? もう終わったぞ」
「僕は葵をあんな風にする為にここへ来たんじゃない」
「……お前のそんなところがあいつは嫌だったんだよ」
「なっ」
僕は二の句が継げなかった。
「いつまでも子供扱いするようなものの言い方があいつは気に入らなかった。葵だってちゃんと考えてるさ。今回もあいつが考えて決めたことだ。お前にそれを否定する権利はない」
「それは……」
「カーリン様」
大団円で解散になったのか、ヒロインのニナが後ろに立っていた。
「女同士話があります。ヤン様、すみません」
外せというのだろう。
「構わんよ」
ヤンは僕たちの声が聞こえないだろう程度に離れていった。その様子をしっかり確認したニナは、さらに僕に近付き、それでも声を落とす。それにしてもニナはヤンにあんな目に合わされたにもかかわらずよく目の前に立てたな。強い子なんだな。レイフが傍にいるからか。
「カーリン様、貴女は嘘はついてない。ただの間違いなんです」
「え?」
何の話だろう。
「マリアン様があの時言っていた、嘘をついてまでレイに取り入ろうとした、は違うのです」
ああ、そのことか。カーリンをお役御免となる僕にとっては今更どうでもいいことだ。ストーリーは終わったのだから。
「幼少期のレイとヤン様はとてもよく似ていたらしくて、小さな貴女は二人を見間違えた」
「どういう……」
どうでもいいと思いながらもヤンの名前が出てきたことに気を引かれて。マリアンが言っていた花の指輪の話、実はよくわからなかったのだ。
「レイが教えてくれました。白いお花の指輪はヤン様が贈られたのだと。転んだ貴女を起こしたのはレイですがその後泣き止まない貴女を慰めようとしたのはヤン様です」
つまり、ヤンもその時一緒に遊んでいたと。
「そのことを鮮明に覚えていたのはレイだけでなくマリアン様もだったのだと思います」
マリアンもいたのか。
「だからカーリン様、貴女の愛すべき人はヤン様ではないですか?」
「え?」
そこへ飛ぶのか。
「いや、その……」
まあそうなんだろう。カーリンとしては。そう、カーリンとしては。そこに僕はもうリンクしていないわけで。今の僕は単なるカーリンのコスプレをした男ってだけで。
……カーリンの、誰も知らないボーナスタイム。ヤンはこの話を覚えているのだろうか。僕が消えたら二人は本当の意味で結ばれるのだろうか。そうすればカーリンは救われる。もう人を妬んだりすることはないのだろう。きっとニナを祝福できる。
「前向きに検討しますわ。これからゆっくり考えることにします」
ここから先はカーリン自身が考えることだ。
「ふふ。カーリン様は真面目なのですね。何も考えずヤン様の胸に飛び込めばそれで解決するのに。ヤン様!」
ニナはいきなり大きな声で呼んで、ヤンが振り向くやいなや僕を力一杯突き飛ばした。
「わっ」
不意打ちにどうすることもできなくて、またその力が半端なくて、僕は真っ直ぐヤンへ特攻していった。
その結果、僕は転ばなかった代わりにヤンの腕の中にすっぽり収まり。
「あああの、すみません、ニナに突き飛ばされて……」
「お節介を焼く子だ……このくらいしなきゃ引き下がらないだろうな。唯、目を閉じろ」
「?……はい」
言われた通りに目を閉じるとヤンは僕の後頭部に手を回し軽く引き寄せた。
そして唇に何か柔らかいものが触れた。
!?
ひっ。
背筋が震えた瞬間に疎かになったらしい僕の口は開かれ、中に。
「!!!!!」
僕は衝撃に目を見開いた。
口の中をぬるぬると動いているのは僕の舌……ではない。深く繋がっている僕の唇とヤンのそれは熱を帯びて。
何とも言えない感覚に即刻離れたかったけどヤンの、僕をホールドする手が許さない。視線で訴えようにもヤンは目を閉じていて。
僕は何をやってるんだ。人前で、ニナの前で!
恥ずかしさと恥ずかしさとあと何か説明できないもので視界が滲む。
抱きしめられて安心した。もうこれはいい。認める。でも。
「よし、ニナも退散した。よかったな」
そう思ったところで僕はヤンに解放された。
何がよかったんだ。そりゃ熱烈なキ、スシーンなんか見せられれば呆れてさっさっと帰る。別に軽くでも、いや、フリでよかったのに。
……そうか。
ヤンはやぶさかではなかったのか。カーリンのことをずっと。
ひょっとして。
僕は恩返しできたのかな。
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