SF短編「妻が交通事故に遭ったんだけど、保険に入ってたから新たな妻が来た話」

SF短編「妻が交通事故に遭ったんだけど、保険に入ってたから新たな妻が来た話」

 その日、俺は昼休憩を終えてオフィスに戻ろうとしていた。


 スマートフォンが震える。知らない番号。


「……はい?」


「ご主人様でしょうか? 奥様が事故に遭いました」


 耳を疑った。


「え?」


「現在、〇△病院に搬送されています。急いでお越しください」


 電話が切れた瞬間、俺は病院へと向かう。


◇◆◇◆◇◆


 病室の前で、医者が俺を待っていた。


「奥様の容体ですが……非常に厳しい状況です」


「……そんな……助かるんですよね?」


 医者はゆっくり首を振った。


「申し訳ありません。彼女はもう——」


 言葉を失う。

 今朝まで生きていた妻が……。

 いってらっしゃいと言ってくれた……。

 あの妻が、もう助からない?


「うそだ……そ、そんなのうそだ! なぁ、なぁ、理沙……! こんなのあんまりだ!」


 俺は扉の向こうにいる妻を見た。


 顔は包帯で覆われ、意識はない。無機質な機械音が彼女のかすかな生命を刻んでいる。


 涙がこぼれた。


 どうしてこんなことに……?


◇◆◇◆◇◆


「失礼いたします」


 スーツを着た男が現れた。


「……どちら様?」


「当社の配偶者補償プランにご加入いただいているブラック生命です」


 保険会社?


 こんなときに何の用だ。


「大変残念なお知らせですが、お客様の奥様はこのままお亡くなりになります。しかし、ご安心ください」


 男は満面の笑みを浮かべて言った。


「補償プランに基づき、新たな奥様をご用意いたしました」


 俺は思わず耳を疑った。


「……は?」


「こちらへどうぞ」


 男が手を振ると、病院の廊下の奥から美しい女性が歩いてきた。


 目を疑った。


「え……」


 ——美しい。


 黒く艶やかなロングヘア、完璧なプロポーション、透き通る白い肌。


 大きな瞳がこちらを見つめ、ふわりと微笑む。


 ……理想の顔だ。


 昔の妻よりも、若い。昔の妻よりも、綺麗。昔の妻よりも、完璧。


「あなた、はじめまして」


 新しい妻が甘く囁いた。


 その瞬間——俺はすべてを忘れた。


「これが新しいあなたの妻です。昔の奥さんのことは、本当に残念です。でも、ご安心ください。もうあなたには新たな奥さんがいますから。これであなたは幸せになれますよ」


 男はそう励ましの言葉を掛け、俺と新しい妻を残して去って行くのであった。


◇◆◇◆◇◆


 病室のベッドには、命を失いかけた昔の妻——理沙がいる。


 俺はその前に立ち、静かに涙を流した。


 医者は俺の姿を見て、「深い愛情ですね」と呟いた。


「……理沙……」


 ——だが、俺の視線は、廊下の向こうにいる新しい妻に向いていた。


 完璧な妻が、俺を見つめている。


 心が震えた。これほどまでに理想的な存在が、俺の妻として用意されたのか?


 すごい。すごい。すごい!!


 ピィ————————。

 耳障りな機械音が鳴り響く。

 妻の心臓が止まった音であった。

 昔の妻との思い出を振り返りつつも、俺は涙を拭い、新しい妻のもとへ歩いていく。


 俺の手を、彼女はそっと握った。


「いこう、あなた」


「……ああ!」


 俺たちは手をつないで病院を出た。


 ——昔の妻のことなんて、もうどうでもよかった。今の俺には、新たな妻がいるから。


【完結】


——————


 作品解説


 電化製品を購入した場合、私たちは不良品を取り替えてもらいますよね。それと同じように、今回は人間を取り替えてもらうお話。


 発想段階のお話をすると——。


 機械には「個体」という考えはないが、人間には「個体」という概念があるよなと。


(※人間の場合は72億分の1を選ぶけど、機械の場合は同じ機種ならどれでもいいよねって話)


 言うなれば、人間には一人ずつに「個体」があり、それを尊重して生きているよなと。


 で、今回の題材では——。


 人間を「個体」で見ない人を書いたわけ。

 だからこそ、倫理観がズレまくってると。

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