第2話 異世界人生
──今朝の夢の中、不思議な声を聞いた。
その夢の中では目を開く事が出来ず、まるで水中を漂うような浮遊感を感じた。
「ようこそ、貴方が憧れを抱き続けた世界へ」
柔らかな女性の声。
「これから貴方は、この世界に生きる一人の人間として、生を全うしてください…」
声を出す事もできなかった。ただ、その耳心地に良い声を聞く事しかできずに、真っ暗な夢の中を漂っていた。
「そして、祝福を受けし貴方はやがて大きな事を成しえるのです。そう…この世界に鎮座する脅威、恐怖の象徴、それらを拭い去る勇まし」
話の途中で非常に申し訳無かったんだが、最後まで聞き終える前に俺の意識は現実へと浮上していった……。
時間は夜まで進む。泊めてもらっていた宿屋の一階、ふくよかな体系の女将さんの前で、この男は頭を下げながら薄茶色の麻袋を差し出していた。
「…驚いたねぇ。本当に約束を守るなんてさ」
女将は袋を受け取った時に鳴った軽い金属音と重さで、中身がなんだか理解した。
「支払いを待っていただき、感謝の言葉しかありません」
「あー、そんな行儀良くされるとこっちが困っちまうね」
袋の中の硬貨を確認して、女将さんは昨日から一貫して腰の低い態度の男に少し困惑の表情を示していた。
「金を払ってくれるんなら、アンタは立派な客さ。もっと堂々としてりゃいいんだよ」
「ありがとうございます。…ですが、またお願いをしたいんですが…」
神妙な面持ちをする男に、女将さんも表情を少し真面目なものへと変えた。
「もう一晩泊めていただけませんかぁ~。他に泊まれるとこが無かったんですよぉ~…」
今度は一変、情けない顔と声を出す男に女将さんはハッと笑い声を零した。
「いいさいいさ、構わないよ。さっきも言ったけど、金を払うならアンタは客さ。あの一人部屋でいいなら使ってくれて結構だよ」
「いやぁ~、重ね重ねお世話になります」
昨日とは打って変わって、柔和な表情の男に女将さんも自然と笑みを浮かべていた。
時間は遡って本日の朝。男は宿屋で朝食を厚意でご馳走になった後、すぐにある場所へと向かった。その場所とは、冒険者が多く集う集会所、通称ギルド連合。組合会として、街に多く存在する冒険者向けの仕事を斡旋する機関として、正式名称は「グラン・ネーヴェ城下街総合ギルド連合」だが街の人からは後ろの方のギルド連合として呼び親しまれている。
冒険者としてここで発注している依頼をこなしてさえいれば食い扶持には困らないという、国としても路頭に迷ってしまう冒険者を街に出さない為の重要機関であり、冒険者としてはこの国に名を馳せる登竜門として依頼を受けるという仕組みが定着している。
そして、この男も依頼を受ける為にギルド連合へと足を運んでいた。
ギルド連合の中は、城下街の中でも造りが立派な物で、石造りの建築であり清潔感がある内装で、流石は国王の政策によって作られた機関である事を窺えた。
数多くの冒険者たちが依頼が張り出されているクエストボードに目を光らせている中、この男は小さな窓口の受付嬢と話しをしていた。
「はい、先日城下街へとやってこられた冒険者の方ですね。まずはこちらに要項を記入していただけますでしょうか」
「名前と…名前だけ?」
「はい。基本的にこちらで扱うような依頼は重要度の低いものばかりですので、必要となる情報はこちらのみとなっております」
男が受付をしているのは、冒険者が受ける依頼の華、所謂魔物の討伐などでは無く、ただの採掘人員募集依頼なのである。
(しかし、名前…名前ねぇ…)
受付嬢から書き物を渡され、男は少し悩んだ素振りをした後に、丁寧な文字で名前を綴った。
「…モブータさん、で間違いはありませんでしょうか?」
「ええ。よろしく頼みます」
モブータ。異世界でこうなりたいという願望も込め、男はこの世界で生きる名前をそう決めたのだった。
「確かに承りました。それでは、鉱石採掘依頼に関する説明をさせていただきますね」
「はい、お願いします」
まともな装備も無いまま低級魔物の討伐も行けるわけも無く、かといって討伐依頼を受ける気も無いモブータは、支給品の作業服と採掘道具を受け取ると指定された現場へと受け取った地図を頼りに向かう。
「うふ…うふふ…。異世界での夢の生活…」
自然とにやけてしまう口元を抑えはするが、それでも漏れてしまうものはあってしまうもので。
──いざ!異世界モブライフ!!
足取り軽やかに、モブータは採掘場へと向かうのであった。
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