cut.16

「待ってくれ。話に追いつけない」

 急激に増える情報に猿田が先に声をあげた。

 彼の隣に座り、切り傷の手当てをしていたフルフェイスヘルメットの男が無言で仰け反った。男の献身的な手当てによって、椅子に座る猿田は包帯だらけになっている。包帯の下はどこも切創を包むように青白いゲル状の治療薬が塗布されている。

 ゲル状の治療薬は、譲葉と猿田をコライドから救い出した蔵先市街自警団が持っていたものだ。猿田と譲葉がみたことがない薬だと伝えると、彼らは傷の治りがよいのでお勧めすると豪語し、二人の外傷に強制的に塗布を始めた。

 譲葉は、自分よりも遥かに傷が多い猿田の治療の風景を眺めながら、二人の向かいに座る自警団遠征組隊長、名波耕太郎ななみ-こうたろうの話を聴いていた。

 譲葉の右手にも同じ薬が塗布されているが冷たくも暖かくもなく皮膚に貼られた感触もない。不思議な薬だと思っていたが、南蔵田に潜むイ形の説明を聞いているうちに気味が悪くなってきた。

「私たちが塗布されている薬もコライドだったりするのかい?」

 猿田の治療を続ける男に近寄り小声で尋ねてみるが、男は首を横に振るだけで声を発しない。代わりに、名波が譲葉の疑問を引き受けた。

「大丈夫ですよ。それはコライドじゃない。うちの医療班が見つけてきた樹海植物を使った治療薬です」

「樹海植物ね。ううん。それだとむしろコライドのほうがよかったんじゃないか。コライドが変じたものは完全な複製なんだろう? イ界産ではない治療薬に変じてもらって使うなら効果はお墨付きだ」

 譲葉たちは、自警団が樹海植物の性質をどれだけ知っているのかを知らない。話を聞く限り、コライドが変じた見知った治療薬を使われるほうが安全だ。

「譲葉さんたちはイ界に慣れていると思っていましたが臆病なんですね」

「早死をしたくないだけだよ」

「大丈夫ですよ。僕たちも遠征中何度もこの治療薬に助けられてきた。ここで生き残っているのは医療班が見つけてくる治療薬のおかげです」

 淀みなく語られる言葉に嘘は感じない。既に使っている以上、副作用がないことを祈るばかりだ。

 それにしても……。

 譲葉たちがいるのは南蔵田地区の崖寄りに位置する土産物屋兼郵便局であった建物だ。2階建ての郵便局を取り囲むように、だだっ広い平屋が繋がっており、建物の外周では庇が大きく取られており軒先でも露店が開けるスペースが多い。遠目にみれば小さな商店街のような外観だ。幸いなことに浸水はない。その代わり、建物敷地より15センチほど低い車道や駐車場は浸水が進んでおり離れ小島のようになっている。

 自警団員たちは、この建物の周囲に南蔵田地区に放置された車両などを集めて足場やバリケードを構築、浸水の少ないエリアを繋いで地区内を移動しているという。

 水のなかに入らない理由を聞くと、譲葉たちと同様に樹海から流れてくる水棲イ形への警戒に加え、コライドとの接触確率を下げるためとの説明がなされた。どういう理由でコライド避けになるのかはよくわからない。

 拠点一つをとっても、情報が多い。

 名波の話も、そのほとんどが南蔵田に到着する前には集められなかった情報だ。

「申し訳ないが少し整理をしたい。私もサルと同じで、このまま君たちの計画を話されても返答を考えることすら無理そうだ」

「構わないですよ。まもなく陽が落ちます。外出は控えたほうがよいですし、時間ならたくさんあります」

 夜間の南蔵田が危険である。新たな情報が増えた気がしたが棚上げする。

「まずコライドのことを整理したい。コライドは南蔵田地区に現れた石あるいは氷の塊状の“原石”に潜み、近くを通る自力で動くモノの姿を模倣する。

 そのうえで、模倣したものとの衝突により、混ざり合うことを習性としている」

「その理解で正しいです」

 数刻前、譲葉と猿田を襲ったのもコライドだ。譲葉たちと同じ姿をし、“衝突”を狙って襲い掛かってきた。南蔵田の“イベント”を知らなければ、警戒する間もなく衝突していたに違いない。

「コライドが“衝突”するのは模倣した対象のみ。だから、別人による対処や武器による攻撃で足止めができる」

「ええ。お二人は初見とは思えない対処をしていましたね」

「死ぬかと思いましたよ」

 実際、二人とも死ぬところだった。

 自警団がコライドたちを狙撃する直前、猿田は背後に現れたコライドから逃げるため、足場としていたビルの窓を踏み抜いて屋内へ逃げた。彼の身体の切り傷は硝子と共に落ちた際についたものだ。

 他方、譲葉は猿田を助けようと駆けだした矢先、眼前に現れた自身のコライドと衝突するところだった。既に2体のコライドが自分と同じ姿をして追ってきている。3体目が出現しない理由はなかったが、気づけなかった。譲葉が衝突を免れたのは、自警団員の狙撃が間に合い、3体目のコライドがバランスを崩したからに過ぎない。だが、頭部と胸部に矢を撃ちこまれてなお、彼女は立ち上がり突進を再開した。

「模倣した本体でも生きていられないほどに解体されたり、破壊されれば活動は止まりますが、傷の再生は私たちの何倍も速い。追われている状況下でコライドを倒すのは至難の業です。別途切り札となる戦力が必要だと思います」

「それが、君の足下にいる……犬、なのか?」

 譲葉たちに事情を話す間、名波の足下には犬がまとわりついていた。あのときも現場に犬はいた。譲葉は遠吠えを聞いたし姿もみたはずだ。犬がコライドの足下で何かをした結果、渇いた粘土細工のように崩れおち譲葉は衝突から免れたのだ。

 問題は犬の姿だ。あのとき、コライドを倒した犬は黒い翼を備えた鳥の身体を持っていた。矢と共に、矢のように飛ぶ犬頭の鳥だ。

 ところが目の前の犬は人間の肢体を備え付けている。譲葉に狂いがなければ、その肢体は譲葉煙によく似ている。譲葉と同じ登山服で這い回るそれは、首から上だけが確かに犬なのだ。

「そうです。僕たちは呼び名を知りませんでしたが、犬なのでしょうか」

「私に聞かれても。これは犬なのか? サル」

「俺が答えるんですか?」

 室内にいた隊員の顔が一斉に向けられ、猿田の声は裏返った。

「首から上だけは犬っぽいがそいつの身体はどうみても人間だ。犬と言われても納得がいかない」

 名波は顎に手をあて暫く考え込んだ。

「猿田さんも譲葉さんも、首から下が人間の身体であることを理由に種別を特定できないというのであれば、やはりこれは犬で良いのかもしれません。これは元々頭部と同じ毛に包まれた身体の生物なのです。ただ、コライドを食べると模倣が移る」

「食べるって?」

「はい。この、まぁ……犬と呼びましょう。この犬たちはコライドを食べます。コライドに取って彼等は天敵なんです」

 名波はそう言って譲葉の肢体を持った犬の頭を撫でた。


 ――――――――

 南蔵田地区に到着したときには既に犬が区内を闊歩していた。

 毬のような身体のモノ、鳥の身体を得たモノ、自動車や馬のような身体を得たモノ。団員たちはそれらが別種のイ形と考えた。南蔵田地区は樹海に侵されなかったが、獣頭の化け物に蹂躙された。蔵先市街で語られる歴史は正しかった。

「ところが観察すると随分様子が違うのです」

 まず、この犬は人も動物も襲わない。餌を与えれば食べるが、基本的には食事を摂らない。そして、概ね2週間から1ヶ月を目途に頭部と同じ毛に包まれた体躯へと変化していく。団員たちは統一された毛に包まれた小さな犬たちを見て、これが犬のあるべき姿と思ったという。

「待ってください。戻るんですか? この姿から」

「戻りますよ。途中は何だかよくわからない見た目になりますが。元に戻ると僕たちの腕の中で抱えられるサイズになりますし、その……かわいいですよ」

 名波はおういって犬の頭を撫でた。犬も名波に懐いているのか彼を見上げジッと撫でられている。確かに犬ならかわいいかもしれないが。

「今の姿で頭を撫でるのは止めてもらえると助かる。気分が悪い」

 名波が犬の姿と譲葉を何度か見比べ、犬から手を離す。彼は室内にいた団員に声をかけて、犬を引き渡すと、頭を下げた。

「配慮がたりなくて申し訳ありません。すっかりあれを見慣れてしまって。さて、話に戻りましょう」

 日が経つにつれて元に戻る犬がいる一方で、全く異なる姿に変化する犬もいた。馬のようなイ形の躯だった犬が次の日には自動車になっている。彼らはその変容ぶりに驚いたという。

 元に戻るものと変態を繰り返すもの。彼等は違いを調べるため2種類の個体を観察し続けた。犬を観察するようになって1ヶ月半。ついに彼等は犬が変態する瞬間、つまりコライドを捕食する場面を目撃するに至った。

「初めはわからなかったんですよ。なにもないところで犬が噛みついて躯が変態していくわけですからね」

「コライドを食べているんじゃないのか?」

「そうですよ。これはコライドの本体を何と捉えるかの問題と言ってもよい」

 犬が空中を裂くように爪を立て、噛み付くと、犬の体躯が別の何かへ変貌する。その傍では必ず犬が変じたものと同じ形の物体が砂のように解れて崩れ去る。何度も同じ光景を確認するうちに、犬が騒ぐ場所には必ず鏡があることに気づいた。

 正確には、水やビルの窓ガラス等、そこに虚像が映るものであれば再現性がある。つまり、犬たちは鏡面に映った虚像を食べている。そして、虚像を食べられたコライドは現実での形を維持できなくなる。

「待ってくれ、感覚的には理解できるが、コライド共は生まれてきた……名波さんたちが言う“原石”を持って移動しているというのか?」

「そういうわけではないですね。“原石”は“窓”を作るための媒介に過ぎません。他方で、模倣を終えた彼らは“衝突”が完了するまでは“窓”の先から現れた異物、私たちのいる現実では不安定な生き物のようなのです。原理はわかりませんが鏡面に映りこんだ像は揺らいでいる。そして、犬はその揺らいだ像を捕食することで、彼らの模倣を奪っているのだと思います。

 “原石”から出るために模倣を必要とするコライドたちは、犬に模倣した形を奪われて崩壊する。私たちが知ったそれが犬とコライドの関係性なのです。このことに気づいたのは団員が二名、犬に捕食されたときでした」

 名波の言葉に譲葉は息を呑んだ。それはつまり。

「私たち、蔵先市街自警団にもコライドが紛れていたのです。どこかで人間を模倣して、その模倣元を探し紛れ込んでいた」

 コライドは南蔵田地区に潜むイ形ではなかったのか?

 猿田が無言で譲葉の顔を見た。その問いは譲葉にではなく名波に向けるべきものだろう。だが、今、ここに名波耕太郎がいる。その事実と彼の話が、既にいくつかの答えを示している。譲葉たちの前に情報は揃いつつある。だが。

「名波さん。貴方たちが考えている計画って何ですか?」

 この質問をするのが早計なのか、このときの譲葉煙には判断がつかなかった。

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