【加筆修正版】夏のいなずま-the autumn rain-
on
秋風が立つとき
『私…
痛いくらい、大好きです…。』
そう言って、涙も笑顔もありのままに泣く
精一杯立ち向かって、全力で傷ついて、そんな辛い気持ちでさえ受け止めようとする生き様が、俺にはとても眩しく見えた。
たとえそれが、失恋して打ちひしがれた姿だったとしても。
俺みたいな体育会系の人間にとって、騒いで動いて叫びまくって、とにかくボルテージが上がる体育祭。
高校3年目、人生最後の体育祭で、俺は応援団に入り、ついに念願だった団旗係を任され、おまけに選抜リレーにも参加し、紫組の総合優勝に大いに貢献した。本来だったら、応援団の仲間と打ち上げに行くか、所属していた野球部でのカラオケに行くか、とにかく日付が変わる0時そのときまで”体育祭”を楽しんでいたはず。
両方とも誘われていたのに、何故か断ってしまった。言葉をあまり知らない俺には、とがって聞こえるかもしれないけれど、”気乗りしなかった”としか言い表しようがない。
応援団での記念撮影のあとに、忘れ物を思い出して、教室に戻った。
いつも通り全速力で廊下を走っていた俺は、そこから聞こえる泣き声に気付くこともなく、無遠慮にドアを開けた。
体操ズボンから伸びた、白くて折れそうなくらい細身の足が床に投げ出されている。体を小さく丸めて、まるで子供のように幼い手つきで何度も顔を拭っていたのは、鈴野さんだった。
「…鈴野さん。」
こんな状況に慣れていない、という言い訳が通用しないほど、さっきの俺は本当に不作法だったと思う。自分だって誰かに泣き顔なんて見られたくないし、まして声なんてかけられたくない。誰かに構ってほしいと言わんばかりの場所で泣いていたならまだしも、今日は全員下校しているはずの教室にいた鈴野さんにとって、俺はただただ最悪な奴だったに違いない。
でも、そんな考えとは裏腹に、彼女はこんな言葉を投げてきた。
「振られちゃいました。相手は私の気持ち、知らないですけど。」
その透けてしまいそうな肌に幾筋ものしずくを落とし、肩を落として泣いていた。
これまで、俺は単純な感情しか味わったことがなくて、
強豪相手に試合で勝った時はただ嬉しくて笑顔が隠せなかったし、
じいちゃんが死んだときはただ悲しくて泣きっぱなしだった。
だからそんな鈴野さんがどんな気持ちなのかわからなくて、言葉に詰まってしまう。頭がからっぽになって、考えをまとめる前に口から出てしまう。その結果がこの言葉だった。
「近くに行ってもいいですか。」
言ったとたんに、頭の中で『何を言ってるんだよ』とドスのきいた自分の声がこだました。だいたい俺と鈴野さんはそこまで仲がいいというわけでもない。ならどうしてこんなことを言ったのか。
どんな状況になったとしても、こんな姿の鈴野さんを一人にさせたくない、
そんなことを思っていた気がする。
どうしてそう思ったのかもわからない。分からないことだらけで自分でも混乱するけど、少なくとも俺はそのとき、鈴野さんを置いて、何も見なかったふりができなかった。
意外なほどにあっさりと首を縦に振った彼女が座り込んでいるところから、1mくらい離れて腰を下ろす。
泣いているせいで体温が上がっているであろう鈴野さんから甘い香りがして、心の底を撫でられたような気持ちになる。色んな意味で無防備な鈴野さんは、何かを諦めたように脱力して壁に体重を預けて言った。
「白石くんのこと、好きだったんです。
あれだけよくしてもらっちゃって…私、勘違い、しちゃい、ました。」
しらいしくん…
…どうして、どうしてこんなに頭が重くなるんだ。考えることをやめようとするんだ。
『白石くんのこと、好きだったんです。』
この言葉が頭に引っかかってしまった。どうしてだ?
葉月はいい友達。同じ運動部の中でもモチベーションとか目指すものが近くて、話していてとても気分がいいやつ。
そんな葉月を好きになった鈴野さん。何もおかしくない。むしろ納得、それなのに。
自分の中の違和感に名前をつけられないまま、ふと、鈴野さんを横目で見る。
これまで、鈴野さんはいつも、どこか遠慮がちで自分の気持ちを押し込めている、という印象があった。だけど今は違う。誰が見ていても構わないというように、自分がただ泣きたいから泣いているようだ。
心を大きく揺さぶられる。葉月との恋を通して、そんな体験をしたのかもしれない。
これって、どんな言葉で表せばいいんだ。ありきたりなことしか思い浮かばない。案外こういうときには、ぐちゃぐちゃ考えるよりも、どこかで聞いたことのある言葉の方がお似合いなのかもしれない。
「勘違いじゃないですよ。
…それも大切な、青春だから。」
せいしゅん、か。
言ってみて、自分がまだその意味を見つけていないことに気がついた。
ありきたりなことほど深く難しくて、定義も十人十色。俺の青春は何だったんだろう。
そんなことを思っている間に、鈴野さんは更に激しく泣いていた。その細い体から絞り出すように、声を震わせて。
手を差し伸べた方がいいのかもしれない。声をかけた方がいいのかもしれない。背中くらいさすってあげた方がいいのかもしれない。
でもしなかった。うまく言えないけれど、今日はきっと、鈴野さんの頭の中は葉月のことで満たされたほうがいいと思ったから。俺は最後に偶然すれちがった通行人くらいの認識でありたかった。鈴野さんの青春に染みをつけたくなかった。
それなのに。
「私…白石くんのこと、好きになれてよかった。
痛いくらい、大好きです…。」
最後に鈴野さんがこぼした言葉が引っかかったのはどういう
そのとき、”綺麗な人”のように振る舞いたかった自分の嘘に気がついた。
でも、言ってはいけない。形を持たせてはいけない。
ここで出会ったことは良くも悪くもあった。鈴野さんを一人にしないですんだ。くすぶった気持ちを少しでも吐き出す機会ができてよかった。でも、でも、でも…
どうしてもいたたまれなくなって、でもこんな時間に鈴野さんを一人にして行けないから、ある程度落ち着いたのを機に、学校の外に連れ出してバス停まで送り届けた。
「じゃあ…失礼っす」
「うん…あの、」
早く鈴野さんの前から姿を消したくて、踵を返して後ろを向いたまま次の声を待った。鈴野さんの声はまだ少し震えていて、どこか儚い。水のように手のひらからこぼれているみたいで、そういうところを見せないでほしかった。
「
字体、一緒に決めてくれてありがとう。
Tシャツに字書くとき、ずっと手伝ってくれてありがとう。
バトン、渡してくれてありがとう。
隣にいてくれて、ありがとう。
うまく言えないけど、
東くんのおかげで、応援団でも運動部でもなかったのに、
私、すごく楽しかった、です。」
だからそういうところを見せないでほしいんだ、って。
いつもの癖で、指が勝手にスマホの上を滑り、インスタのストーリーを開いていた。紫の打ち上げは焼き肉、野球部はカラオケ。食べ物を映してる奴、人を映してる奴、その中には俺をメンションして『来いよ‼』と書いているものもあった。
行けばよかったか、楽しそうだし。今からでも、と思ったそのとき、ふと、目にとまった投稿があった。
誰だったか、たぶん二年の応援団が投稿したストーリー。
焼き肉の細長い卓で、誰かをはやし立ててる。煙と沢山の人波でちゃんと見えないけれど、男女二人を隣の席に座らせたいらしかった。
えいえいえいっと男子の手拍子が響き渡って、女子がきゃーーーっと悲鳴を上げる。そして中央に押し出されたのは、そっぽを向いた葉月と、顔を真っ赤にした
その瞬間、長田はしゃがみ込んで顔を隠し、男子が野太い声で何かを叫んでいたが、撮影者本人が暴れ散らかしたため何も聞こえないまま動画は終わった。
「ちっ」
自分でも意識しないうちに舌打ちが出てしまった。
俺、多分、ちょっといらついてる。
葉月は、鈴野さんを振って、長田を選んだんだ。
別に、何も悪くない。俺だって薄々、葉月が鈴野さんを拒むなら長田に気があるのか、くらいは思っていた。長田が葉月のことを好いているのは周知の事実だし。お互いに好きな奴同士がくっついたというだけの話。こんな風にSNSにしゃあしゃあとラブシーンを載っけるのはどうかとは思うけれど、勝手に撮られたんだろうし、注意しないと分からない程度だし、第一葉月は、割と情熱的なタイプだから、まぁ、こういうこともあるんだろう。本気で嫌なら力づくでもやめさせるだろうから、きっとまんざらでもないんだ。
ちょっと鼻につくけれど、これまでずっと二人三脚で頑張ってきた二人が実っただけの話。幸せ以外のなにものでもない、なのに。
正面から向き合うことができない自分がいた。
この結末に納得していない自分がいた。
…もし、もしも、俺が、葉月の立場なら、
間違いなく、鈴野さんを泣かせたりしない。一人にもしない。
器用にはできないけれど、自分の気持ちを精一杯伝える。
…自分の気持ちって、何だ?
気がつくと俺は夜道の端っこで立ち尽くしていた。静かな夏の夜にほんのりと秋風が混じって、半袖の腕をするりと撫でていく。夏が過ぎ去っていく。何か大切なものが抜け落ちる、そんな気がして俺は怖くなった。だから、はっきりさせたかった。
この夏、一番目に焼き付いたもの。
青空にひるがえる紫色の団旗、応援団の仲間の汗、バドミントン部に怒られて渋々閉めた体育館のドア、白い太陽。
太鼓の音に合わせて先陣を切った葉月の大きな背中、それを支えた長田のよく通る声、
そして、そして…
俯きがちな横顔、葉月を見てかすかに揺れる瞳、筆を洗う優しい手つき。
見た目の頼りなさに到底見合わないダイナミックな漆黒の字、何枚も書いて疲労で震える白い腕、それでも瞳の光は消えなくて。
背筋をぴんと伸ばした後ろ姿、炎天下のバトンパス、俺が叫んだのは。
あのとき、バトンに思いを乗せたのは、鈴野さんだけじゃなくて、
他でもない、俺もだった。
この夏、何よりも誰よりも見つめていた。そのことに、夏が終わった今、気がついた。
『私…
痛いくらい、大好きです…。』
泣きながら笑う彼女の、否応なくありのままになってしまう夏をふちどるみたいな言葉。全てに納得することはできなくて、でも満たされていて、だから笑った。
あの時、確かに、鈴野さんの姿が目に焼き付いた。
痛みを伴って、それでも強く自分の意思で、それを受け止めた。
俺、鈴野さんのこと、好きだったんだ。
初めての気持ちだった。
好き、いつものように、簡単に口から出るはずなのに、
言いたくない、傷つけたくない、……傷つきたくない。
こんなこと考えたって、全てはもう終わっているのに。
もしも俺が団長だったら、アンカーだったら、葉月よりも先に書道教室に行っていたら。
鈴野さんは、俺を好きになってくれただろうか。
たぶんないな。
葉月のいいところ、皮肉なことに、沢山知ってるから。
だから余計に引っかかるんだ。俺が適うところなんて一つもないから。
鈴野さんのことが好きだ。
だからって何だ。今更、もう全部、終わってるんだ。
鈴野さんの想いも、葉月の心も、長田の気持ちも。
全てがあるべきところに収まった。
今更、俺が首を突っ込むところなんてない。
だからって、これ、どうすればいいんだ。
ざあっと大きな音がして、俺は我に返って、顔を上げた。
隣にある公園の木が、風にあおられて、沢山の葉を揺らしている。ざわざわざわざわ、俺の心の中みたいに、うるさい。
秋風が俺の隣を駆け抜けて、あっという間に空へ上っていく。
どんな名前をつければいいかさえ分からないこの気持ちも一緒に連れて行ってくれ、そんなことを、本気で思った。
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