第27話エスターの独り言

「イムル様は、お優しいですね」


 主と客人が去った畑で、エスターは呟いた。


 それは独り言のつもりだったが、年嵩の庭師にはしっかり聞こえていたらしい。ヨルゼは、白い歯を見せての相変わらずの笑顔である。


 ヨルゼも、エスターと同意見なのであろう。


 自分の主は、年齢以上の思慮深さをもっている。


 エスターが、それを自慢に思うようになったのは数年前からだ。エスターは若いが、スタルツ家に仕えている年数は長い。


 十代の頃から見習いとして使用人になり、徐々に主の信頼を勝ち取って屋敷と領地の会計を任せられるようになった。


 エスターは、イムルの父、キャリル、そしてイムルという三人の主人を知っている。現在のエスターの主は書類上こそキャリルだが、すでにイムルに世代交代が始まっていると彼は感じていた。


 無論、キャリルが無能であるとは微塵も思っていない。


 当主が幼いスタルツ家の見事に取り仕切り、当主代理の役割を立派に勤めている。しかし、イムルが成人したあかつきにはキャリルの時代よりも、一層の繁栄を領地が迎えるだろうと期待してならない。 


 領地の各地の作物や農薬を試す実験場。


 それを始めたとき、エスターはひどく驚いた。


 それは、年若すぎる主が考えるにはあまりにも理路整然としていたのだ。大きなことを始める前に、小さな規模で実験をする。なにかを運営する上で大切なことが、イムルは幼いながらに分かっていた。


 そして、企画書と呼べるものも完璧であった。何にいくらの予算が必要であるかをしっかりと書かれており、携わる使用人の数と名前まで上げられていたのだ。その企画書はキャリルに一蹴されてしまったが、イムルは諦めたりはしなかった。


 父親から受け継いだ大切な形見を売って、資金を作ったのだ。あの時に、エスターはイムルが本気で領地運営に向き合うつもりだと思った。


 イムルの父親は彼が幼くして亡くなったし、決して良い親とは言えなかった。領地経営も下手な部類にはいったので……思い出しても良い点がないが——それでもイムルにとっては大切な父親であるはずである。その思い出の品を売り払った主の姿に、エスターは思わず涙した。


 エスターの父が亡くなったのもその頃だったので、イムルと自分が重なって見えたのかもしれない。


 イムルが売り払ったものは全てが上等な物ばかりで、かなりの高値がついた。


 エスターは父の形見を全て売ってしまうイムルがあまりに不憫になったので、自分の身銭を切って形見のネクタイピンのみは買い戻した。高い買い物であったが、いつかイムルが成人したら渡すつもりだ。


 あんな父親であっても、形見が一つもないのは悲しいことであろう。


 イムルの献身は、思い出の形見を売るだけに止まらなかった。実験の畑が上手くいかない時に、資金が不足してしまう事があった。


 イムルはキャリルに泣きつくことはなく、自分の衣類を売り払ったのである。身長が伸びれば新しいものが買い与えられるからという理由で、躊躇なく金になるものを売り払った潔さにエスターは少しばかり心配になった。


 主のために金を出したエスターのいうことではないが、公的な事業に自分のポケットマナーを出すのはもっと慎重になるべきだと思った。少なくとも衣類を売ってしまったのはやり過ぎであった。


 衣食住に困ったことがないイムルには、どこまで献身的に動けばいいのか線引きが甘いのかもしれない。


 それが主の唯一の弱点であると感じたエスターは、それこそが自分が補うべきことだと使命感に燃えた。残念ながらエスターには、商才というものはない。資金を増やすのは苦手だが、誰よりも細かく金勘定が出来た。


 エスターはイムルの事業を利用してうまい汁を吸おうとしている輩を睨みつけて、主が自由に使える資金を守ることに尽力したのだ。


 それしか出来ない自分が歯がゆく感じたが、畑が上手くいき初めてイムルのやりたいことが増えると「手伝ってくれ」と主が直々に頼んでくれた。


 お前は計算が早いし、書類のまとめ方が綺麗だ。


 それが、イムルがエスターに声をかけた理由であった。


 それからエスターはイムルの事業の書類をまとめ、同時に会計という立場にも収まった。イムルは各地に信頼置ける部下を設置したが、その面接もイムルと共にエスターが行っている。


 イムルが人柄を見て、エスターが事務処理の能力を判断するのだ。


 イムルは、いまや大人顔負けの情報網を完成させた。素晴らしい農業改革も行ったが、それに少しも驕らない。


 むしろ、もっと前を見て進んでいこうとしている。竜を購入した時にはさすがに驚いたが、彼は今では領地運営に欠かせない一匹となった。


 彼は十四歳で、これだけの才能を発揮しているのだ。イムルが成人すれば、もっと大きな権力と財産の全てを運用する権利を有する。


 そのとき、スタルツ領を大きく飛躍させる力を持った主が誕生するだろう。


 エスターは、そのように信じていた。


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