飛び道具/飽和の予感

 赤泉院せきせんいんめどぎたちとは別行動をとる楼塔ろうとう流杯りゅうぱい――。

 自分たちの未来に不穏な影が差しかかったことを仲間に伝えるべく彼女は単身、孤島……さしに飛んだ。


 深夜にその地に到達した流杯りゅうぱいさしを管轄する蠱女こじょさし玄翁くろおへのあいさつをいったん控え、夜明けを待つ。


 さしは全体が一個の山のような地形をしている。

 その小川のそばで眠ろうとする流杯りゅうぱいだったものの、なかなか寝付けず、近くにいたカニを指でつつくのであった。


 そのときカニの手前の地面に、一本の矢が刺さる。

 矢をはなったのは、玄翁くろおの妹のひとりさし射辰いたつ

 そして射辰いたつが、弓ひと張りを負って山の斜面の上のほうから流杯りゅうぱいのもとにおりてくる。


 流杯りゅうぱいは手持ちの筒を二本、右手と左手に分けて持つ。


 ――筒。


 ほとんど肌身から話さず、流杯りゅうぱいはそれら二本を持ち歩いている。

 弾を撃ち出す「飛び道具」だ。


 弓矢をあつかう射辰いたつとその「筒」を用いる流杯りゅうぱいは飛び道具を使うという点で共通することになる。

 ただし流杯りゅうぱいのほうの「飛び道具」には、別の意味もある。


 通常、その言葉は「飛ばして使用する道具」を指すが流杯りゅうぱいの筒は文字どおり「飛ぶための道具」なのだ。

 空を飛ぶことができると思われている蠱女こじょ……流杯りゅうぱいはその筒から弾を発射し続け、ここさしの孤島に飛んで来たというわけだ。


 本人いわく弾を撃った反動で飛んでいるのではなく何度も撃ち出した弾を「蹴り続ける」ことで、それを足場にしながら空を走る感覚らしい。

 そんなことが人に可能なのか……そもそも「筒」の構造はどうなっているのか……そこまでは不明だが。


 現に「流杯りゅうぱいなら可能」と思われ、実際に彼女がそれをやってのけているのだから、ありえないと一蹴することも叶わない。


 流杯りゅうぱいは、一流の狩人にして料理の腕もある射辰いたつに師事しているが、射辰いたつもまた流杯りゅうぱいを師と仰ぐ。

 その理由のひとつは、現実に流杯りゅうぱいが「人の身で空を自在に動きまわる」という所業を成し遂げているからだと思われる。


 ほかの誰にも、できないことだ。

 それを知っている射辰いたつ流杯りゅうぱいさしの孤島にいきなり現れても驚かず矢で撃ち落とすこともなかった。


 かつ不安か強がりか、顔をひきつらせている流杯りゅうぱいの表情に心を揺らされる。なにか力になれることはないかと。

 そして月光に洗われる流杯りゅうぱいの顔を目指して、斜面をおりていった。


 流杯りゅうぱいのほうも小川に沿って、少しだけ坂をのぼる。

 しかし射辰いたつ流杯りゅうぱいの横をとおりすぎたところで、とまる。

 それから静かに問う。


「急用か」


 流杯りゅうぱいは、はっとしたように振り返り、ひと張りの弓を背負った人影……射辰いたつに事情を話す。

 両手に握られた筒二本を小刻みに震わせながら。


御天みあめっちが……」


 巨大すぎる蠱女こじょ宍中ししなか御天みあめの最後が始まったことなどを話す。

 なお流杯りゅうぱいは、なぜか御天みあめのことをあだ名で「御天みあめっち」と呼ぶ。


* *


 彼女たちは巫蠱ふこ

 巫蠱ふことは、巫女ふじょ蠱女こじょの総称を指す。


 ただし流杯りゅうぱい射辰いたつも、巫女ふじょではなく蠱女こじょである。

 蠱女こじょとは「思われる者」のことだ。


 その蠱女こじょのなかでも、とくに強大と思われる御天みあめがついに終わりを予告した。

 御天みあめほどの存在が消失すれば同じ蠱女こじょの仲間たちも崩壊をまぬがれないだろう。


 射辰いたつ流杯りゅうぱいは、その当事者というわけだ。

 もちろん蠱女こじょと対をなす巫女ふじょにとっても無関係な話題でなく筆頭巫女ひっとうふじょ赤泉院せきせんいんめどぎも、その対策に動き出している。


 これはもはや、巫蠱ふこ全体の問題なのだ。

 しかし、どういった策を講じるにせよ、まずは情報共有が最優先となる。


 それで、ここ四日、巫蠱ふこのあいだでは「御天みあめの仕事がなくなる」という話が何回も繰り返されてきた。

 流杯りゅうぱいは姉の楼塔ろうとうからそれを聞かされた。


 それで流杯りゅうぱいは自分の終わりをも予感し、未来を案じて怖がった。

 自分の住む楼塔ろうとうの屋敷にいるとき、めどぎの付き人の巫女ふじょである桃西社ももにしゃ鯨歯げいはに接して、その恐怖は少し和らいだものの根源的な恐れは、まだ心の底に巣くっている。


 声をうわずらせないように気を付けつつも流杯りゅうぱいは、その顔がひきつるのを隠せなかった。

 対する射辰いたつは、流杯りゅうぱいから事情を聞いても顔色を変えない。


 ほどほどに流杯りゅうぱいの表情を見たり、小川の流れを目で追ったり、足下のカニに視線をやったりする。弓弦をはじきながら淡々とあいづちをうっている。



 そして流杯りゅうぱいは説明を終えた。


「……話は以上です、師匠」

「感謝する」


 射辰いたつは弓弦をはじくのをやめ、流杯りゅうぱいのほうに向き直る。


御天みあめ、ひいてはわたしたち全体が揺れていることと、そのために筆頭巫女ひっとうふじょたちも行動を起こしていること、了解した。ぬめと姉さんには、わたしから話そうか」

「直接、伝えます。それと、わたしのねーさんを見てません? めどぎさんが探してるみたいで」


「確かに筆頭同士、語り合うべきこともありそうだ。しかしわたしに筆頭蠱女ひっとうこじょは……楼塔ろうとうすべらは捉えきれないよ」

「そうですか、本当にねーさんの失踪癖にも困ったもんですよ。ともかく、そんな事情があってさしまで飛んで来た次第です。夜更けに付き合わせちゃってすみません」

「いいや」


 流杯りゅうぱいに返された言葉の調子は柔らかかった。

 そして射辰いたつはしゃがみ、地面からなにかを抜いた。


 矢である。


 彼女自身が飛ばして、小川のそばの地面に突き刺していた一本……それを回収したのだ。


「察するに夜明けまで待つ気だったんだろう。暗い時間帯にもかかわらず、からんだわたしのほうが謝るべきだ」


 しゃがんだまま射辰いたつは、まだそこにいた小さなカニをつんつんする。

 そのカニは流杯りゅうぱいが指でつついていたカニであり、危うく射辰いたつの矢に射抜かれそうになったカニでもあった。


 しかし射辰いたつの腕ならば、本来はその生き物をしとめることもできた。

 彼女には最初から、危害を加える気がなかった。

 だからカニの手前の地面に矢を突き刺した。


 害意がないことを読み取ったからこそ、カニ自身も逃げようとしなかった。

 そして射辰いたつが立ち上がると同時にカニは小川につかって、水にまぎれた。


「じつは姉さんの仕事もこのごろ、きなくさかった」


 射辰いたつは頭上の夜空を見ながら言う。

 一方の流杯りゅうぱいは、理由もなく周囲の木々を見回した。それは不安の発露だろうか。


 射辰いたつの姉の玄翁くろおは、大工である。

 建築を仕事としているのだが、必ずしも穏当な依頼ばかりをされるわけではない。


 たとえば戦争に使用する要塞を手がけることもあり、仕事がら玄翁くろおも、姉を手伝うことが多い射辰いたつも世界情勢の変化には敏感なのだ。


玄翁くろおさんは、なにか気付いていたんでしょうか。御天みあめっちのことで」


「察することは、できなかったと思われる。いままで戦いが起こる前に感じていたものと同程度のきなくささだったから。……御天みあめの仕事の終わりはわたしたちの終焉のみならず世界平和をも意味する。そして御天みあめの仕事には、人々の戦争がともなう。つまり、じきに最後の戦争となる。しかし最後の戦争というのは、そんなに派手ではないのだろうか。特別に変わった前兆があったとは思われないが……。それとも人々は、あるいはわたしたち巫蠱ふこでさえ次が最後と気付いていない。だから御天みあめは自分だけで全てを受け止めようとして飽和するのかもしれない」


「飽和……?」


 首をかしげる流杯りゅうぱい射辰いたつが微笑を向ける。夜空から目を離して。


「かかえきれなくなった思いが、あふれるということだ」


 彼女は流杯りゅうぱいの持つ二本の筒をじっと見る。

 それは複雑な視線だった。


「ともかく、流杯りゅうぱい師。これから眠るにせよ起きておくにせよ、わたしたちの山小屋で休まないか。小川のそばで寝るのも悪くないけれど、客人を家にも入れず待機させておくのも忍びない」

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